森発言は世代の特質ではない 森会長誕生の問題

 オリンピック組織委員会森会長が、ついに辞任することになった。一端、後任は84歳の川淵氏であると決まったかに思われたが、責任をとって辞任する森氏が指名したという問題と、密室の決め方ということ、そして、その点について官邸やIOCからの異論が出て、現時点では、選考委員会が人選を進めているという段階である。誰になるかは、まったくわからない。実は、この表題の文章は、川淵氏が決まりかけた時点で書き始めたために、その人選および決め方に疑問を書きつらねていたのだが、別のテーマで書いている間に、その部分が無駄になってしまった。それにしても、人材不足だ。何人かの候補者が、メディアによって提起されているが、国民的コンセンサスをえられそうな人が皆無である。全くの能力不足としか思われない人たちか、あるいは批判される要素をもっている人ばかりなのだ。どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 それはさておき、いくつか書いておきたいことがある。
 まず第一に、森発言を古い世代の特質だという議論が少なくないが、これは、大きな間違いである。私も高齢者であり、かつ昭和の人間だが、森発言が含む考えとは、全く違うといえる。それは既に書いたから繰り返さない。また、逆に、若い世代は、森発言とは異なるともいえない。youtubeで、森発言を擁護する番組は、少なくない。そして、そこには若い人がけっこういるのだ。戦前世代の特質だという見解もあるが、戦後になって、変わった人は多い。女性蔑視発言として、強く批判された杉田水脈氏などは、政治家としては若いほうだし、しかも女性である。森氏が、古い世代の男性だから、あのような考えなのだ、というのは、あたらない。あくまで、そういう考えの人だというべきだ。そして、オリンピックを推進しているひとたちには、同じような考えの人がたくさんいるということだ。

 
 第二に、何故森氏が会長になったのかという点だ。いろいろ議論があったが、もっとも興味深く読んだのは、東京オリンピックが決定したときの東京都知事だった猪瀬直樹氏の発言だ。猪瀬氏の語ったことが、本当かどうかはもちろんわからないが、彼がそう思っているということは理解できる。猪瀬氏は、組織委員会の会長には、ある財界人を選出する意志だったという。その人は、無駄を省くことで経営を成功させた財界での大物で、コンパクト五輪という言葉にはぴったりの人だったという。ところが、そういう意向をまわりに伝えると、その途端に、例の5000万円事件が起きて、都知事の職を引きずり降ろされた。そして、その後森氏が決まったというのである。
 時系列で確認してみよう。
 猪瀬直樹氏は、2007年に石原慎太郎東京都知事の下で副知事を務め始めた。
 2012年12月16日に石原氏のあとを受けて、東京都知事に当選した。このときの総選挙で、自民党が圧勝し、安倍内閣が発足した。そして、森氏や安倍首相と猪瀬知事が、オリンピック招致に動き出すのである。しかし、2013年4月には、猪瀬知事は、イスラム教徒や、東京と開催地を争っていたイスタンブールに対する問題発言をして、抗議を受けている。そのときには、謝罪して事なきをえている。
 2013年9月7日に、アルゼンチンの招致委員会で東京に決定した。この招致委員会の席上で、安倍首相は、福島は完全にアンダー・コントロールだという、大きな嘘をつき、国民を呆れさせたが、実は、猪瀬知事も、大きな問題発言をしている。「東京は福島から200キロも離れている」から安全だと述べたのである。これには、当時、私は多いに怒りを感じたものだ。福島の人も同様だったろう。
 開催都市の知事として、猪瀬氏は、オリンピック組織委員会の人選に乗り出し、財界人からだすべきという意見が強かったこともあり、トヨタの名誉会長だった張氏に依頼していたが、そこで横やりが入ったというわけだ。実際、その後「徳洲会事件」なるものに巻き込まれる。
 2013年11月22日、朝日新聞のスクープで、猪瀬氏が、知事選のために5000万円を徳洲会から受け取っていたと報道された。選挙における賄賂として使ったのだろう、ということで非難されたが、猪瀬氏は、これは借りたものであるとした。結局、公選法違反としては立件されず、政治資金規正法違反の罰金刑となった。どのように5000万を受け取ったのかというので、バッグにいれたとして、それを再現すべく、一生懸命、同じタイプのバッグに詰めようとしたが入らずに、あせっていた猪瀬氏の映像は、いまでも記憶に残っている。後日、猪瀬氏のいうように、借用書が出てきて、猪瀬氏のいうことに、大きな間違いがなかったことがわかったのだが、2013年12月24日に、知事を辞職した。そして、翌年1月に森氏が会長になったのである。
 参考までに、ウィキペディアはこの会長就任について、次のように書いている。
 
 「森は東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長について、企業の協力・協賛やスポンサー集めを円滑に進める目的から「財界人の起用が望ましい」という考えを表明していたが、政界や日本オリンピック委員会関係者からは森の就任を求める声が上がった。日本オリンピック委員会は張富士夫(森の後を受け日本体育協会会長に就任)ら財界人に会長就任を打診したものの不調に終わったため、改めて森に就任を求めた。2014年1月、森が東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長に就任した。」
 
 これは森の側からみた経過であり、猪瀬側からの経過とは、かなり相違するわけである。
 猪瀬氏によると、張氏を推薦したのは、東京オリンピックを「コンパクト・オリンピック」とする公約であったために、それを実現するために、トヨタで無駄を省いて、生産性を高めることに成功した張氏に、コンパクト・オリンピックの実現を託そうとしたということだが、結局、オリンピックで利益をあげようというひとたちの推薦で、森氏が祭り上げられたということになる。森氏が会長になってから、経費がどんどん膨らみ、コンパクトオリンピックとは、まったく異なる様相になったことは、今や明らかである。張氏が、引き受ける対応をしていたのかは、私にはわからないが、猪瀬氏のいう、コンパクト五輪ではなく、どんどん費用をかけ、利権に群がる企業に利益を与えるために、そういう形での調整ができる森氏を、みんなが望んだということは、その後の経過からすれば、頷けるものがある。舛添氏は、森氏が費用の削減に尽くしたと書いているが、その個別の事例がそうだとしても、オリンピック全体からみれば、コンパクトオリンピックとは、まったく違うものになっていることは間違いないのである。
 
 
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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