「日本型学校教育」中教審答申の検討2

 今回は、9章の前半を検討する。
 Society5.0時代で、教師はどうなるのか、どうあるべきなのかという内容である。巷では、シンギュラリティ時代が到来すると、教師はいらなくなるのか、というような話題が深刻に議論されている部分があるが、ここには、そういう問題意識はないようだ。あくまでも、前向きに、新しい変化に対応していくべきものとして描かれている。その前向き姿勢は、私も賛成であるが、書かれていることは、あまり現実的とはいえない。何しろ、教師になにもかも押しつけている現状こそが、学校のブラック化を招いているのに、まだまだ教師に、Society5.0時代に相応しい資質を、付加的に求めているのだ。

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親指シフトを富士通が終了させてしまった

 40年ほど続いた親指シフトキーボードの販売が、開発元の富士通が終了させた。私は、最初は、富士通のワープロ機械のオアシスを使っていたので、そこから親指シフトを使い始めた。だから、親指シフトが開発されたあと、かなり早い時期からのユーザーだ。もちろん、それまではローマ字入力だったので、かなり長い間両方使っていたものだ。若いころは、適応能力が高いのか、親指シフトからローマ字に切り換えても、それほど困らなかった。つまり、併用できた。しかし、年をとるに従って、その切り替えが遅くなり、やはりひとつに絞ろうと考えたときには、迷わず親指シフトをとった。いまでは、よほどのことがない限り、ローマ字入力は使わない。ノートパソコンも、富士通の親指シフトになっているものを購入した。それまでは、私のノートパソコンでは親指シフトが使えなかったので、仕方なく、ノートの場合には、ローマ字入力していたのだが、今はその必要もなくなった。もちろん、ローマ字入力は、アルファベットを使うのだから、使うことはできるが、やはり、非常に能率が落ちる。

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読書ノート『検証全国学力調査』(教科研編)2

 ネガティブなことばかり書いても前に進まないので、積極的なことを書いてみよう。
 似て非なる試験として、オランダのCITOテストをみよう。
 オランダは、世界でもっとも自由な教育制度をもつ国として有名である。教育の自由が、憲法で規定されている、おそらく世界で唯一の国でもある。そうした自由のひとつとして、どの学校にいくかは、完全に選択することができる仕組みになっている。基礎学校(幼稚園と小学校が合体した学校)は、完全に自由な選択の対象であり、公立学校も私立学校もまったく同じように選べる。(財政基盤も同じなので、基本無料である)すべて公費で運営されている。違うのは、公立学校は特定の宗教教育を行わないが、私立学校は行うことができる点だけである。基礎学校が修了すると、3つの異なる水準の学校に分かれて進学することになる。大学に接続する学校(6年制)、高等専門学校に接続する学校(5年制)、専門学校に接続する学校(4年制)へと分かれるわけだ。(編入、移行はありうる)最終的には、親や本人の希望によるが、だいたいは、成績で選択する。もっとも、6年制の学校は、極めて厳しい学習が求められるので、勉強が好きではない子どもは、あえて希望しないのが普通だ。

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読書ノート『検証全国学力調査』(教科研)

 2020年は、コロナによる全国的な休校措置のために、全国学力調査も実施されなかった。そのことが、学校教育にとっては、思わぬ(というか、当たり前にそうなった)解放感を生んだ。教科研は、改めて全国学力調査の意味を問い直しを始めた。そして、全国学力調査を悉皆調査として行うことを批判し、3年ごとの抽出調査を提言しているのが、本書である。
 学力調査は、単に文科省の実施する全国版だけではなく、県や市が行う学力調査があわせて実施されている自治体も多い。しかも、これらのテストは、日常の学習とも、また受験とも関係なく、単に、「調査」という名目で実施されているが、逆に、日々の学習活動を大きく歪めている。過去問で事前に練習したり、あるいは、学力テストのための学習を組んだり、そして、それぞれの調査で順位などがだされるので、教師への管理の手段としても活用されている。子どもたちも、テスト漬けで、おそらくストレスの要因にもなっているだろうし、競争による荒廃が進み、学力の向上に役立っていないのである。そうしたことを、実際の現場の状況を踏まえて、豊富な実例をあげて、説得的に主張していると思う。

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「日本型学校教育」中教審答申の検討1

 前に多少検討したが、その後放置していたので、再開する。ただ、前からやっていると、なかなか進まないので、できるだけ後ろにある内容の検討からやっていきたい。
 まずは、教師に関する部分だ。9章に「Society5.0時代における教師及び教職員組織の在り方について」という部分がある。
(1)基本的考え方
(2)教師のICT活用指導力の向上方策
(3)多様な知識・経験を有する外部人材による教職員組織の構成等
(4)教員免許更新制度の実質化について
(5)教師の人材確保
という内容になっている。 
 書かれていることを、表面的に受け取れば、ごもっともという内容であり、それはそうだろうと言わざるをえない。しかし、問題は、書かれていないことにある。
 まず(5)の教師の人材確保について考えてみよう。 

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『教育』2021.3号を読む 「ジェンダー平等教育をすすめるために」3

 多くのひとにとっては、既に解決済みの問題だろうが、自分の考えを整理するために、もう少し続ける。今回は、ジェンダー問題のひとつである選択的夫婦別姓をとりあげる。前にもとりあげたが、今回は、反対の論理の検討に絞って考えてみる。対象は、国会に提出された「選択的夫婦別姓の法制化反対に関する請願」である。実際に、参議院のホームページに掲載されている。
 まず請願書の要約をそのまま引用する。 
 
選択的夫婦別姓の法制化反対に関する請願
要旨
 家族が同じ姓を名乗る日本の一体感ある家庭を守り、子供たちの健全な育成を願う。
 ついては、民法改正による選択的夫婦別姓制度の導入に反対されたい。

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「コロナに負けた証としてのオリンピック」をするのか

 森会長が橋本聖子会長に交代して、新たな動きが始まったように見える。しかし、問題解消という方向に動いているとは、あまり見えない。
 橋本新会長が最初にやっていることは、女性理事を文科省に言われている40%まで引き上げるということだ。それ自体はいいことのように思えるが、なんと、割合を40%にするために、ただ女性を増やしているだけだ。こんなこと許されるのだろうか。理事には多額の報酬か支払われるはずである。理事だから、おそらく最も高いか2番目くらいだろう。任期がいつまでかはわからないが、5カ月程度だとしても、軽く億を越える人件費の増加となる。女性理事が増えたからといって、これまでの作業が各段に飛躍・向上するとも思えない。理事は実働部隊ではなく、方針決定にかかわるひとたちだから、人数が増えれば、それだけ議論が錯綜する。もちろん、これから準備をするという段階なら、それは必要なことだが、今は、そういう時期だろうか。一体橋本会長は、この増員に何を実質的に期待しているのだろうか。あるいは必要としているのだろうか。数字合わせ以外に何かあるのか。
 昨日(3.3)オリンピック5者協議が開かれたが、海外の観客は受けいれない方向に、だいたいの合意かできつつあるような報道がされている。まだ、無観客の確認まではいっていないようだが、とにかく、観客は大幅に制限するということなのだろう。

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『教育』2021.3号を読む 「ジェンダーの平等教育をすすめるために」(続き)

 前回は、婚姻の形態は文化によって異なることを書いた。しかし、婚姻によって生じる利益は、それほど違いはないように思われる。LGBTsの婚姻を、当事者たちが何故認めてほしいと思うかは、社会が認めている婚姻による利益を、LGBTsが共同生活をしている場合には、認められないからである。では、一般的に、婚姻によってえられるものとは何なのか。同性婚によるメリットの一覧表は、いくつかのサイトで見ることができるが、https://lgbt-life.com/topics/superally18/ で上げられているものを確認しておこう。これは、要するに、現在認められている婚姻によってえられるメリットのことである。
・遺産相続
・配偶者控除
・養子
・離婚における慰謝料、財産分与
・病院での面会
・福利厚生
・配偶者ビザ
・企業内の処遇
 サイトによって項目は異なっているが、要するに、婚姻が法的に成立した場合に、社会的なシステムとして、さまざまなメリットがあるのが実情である。LGBTsに限らず、事実婚の場合には、こうしたメリットがかなり限定され、LGBTsの婚姻は、当然、現在のシステムでは大きく制限されることになる。しかし、ともに生活し、継続していこうと考えているカップルであれば、こうしたメリットを最大限保障していくことが、望ましいことはごく当然のことと思われる。男女のカップルのみに認めるというのは、合理的であるとは思えない。

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「鬼平犯科帳」 作者の衰え?

 自分自身が、高齢になってきたために、有名人の高齢になったからの活動について、否応でも考えることがある。「鬼平犯科帳」の作者池波正太郎は、当初長く連載するつもりではなかったらしいが、あまりの評判に、どんどん続編を書いていって、結局、死によって中断された。最後の特別長編「誘拐」のなかの「浪人・神谷勝平」の途中で終り、(作者逝去のため未完)という断りが書かれている。おそらく、前の話で、荒神のお夏を裏切ったために、おまさは、お夏復讐されることを覚悟しているが、お夏一味が、おまさを誘拐しようとしていることに、あえてのっかるという筋書きで進行し、実際に、誘拐される形をとろうとするのだが、それを見張るための同心や密偵が撒かれて、本当に誘拐されてしまうようなところでお終りになっている。
 この最終巻24巻の「誘拐」は、どうも話の進行が、スムーズではなく、また、長谷川平蔵の動きも、どこか鈍いのである。やはり作者の体力の衰え、あるいは病気の進行を考えてしまう。

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『教育』2021.3号を読む ジェンダーの平等

 『教育』2021年3月号の第二特集は「ジェンダー平等教育をすすめるため」で、理論的な論文2つと実践記録がいくつか掲載されている。実践記録は、私としては学ぶ材料なので、特別な場合を除いてコメントすることはない。この特集については、論文的な文章について、若干の疑問を感じる。その点を、羅列的になるが、書いておきたい。
 この特集で、最も不満なのは「ジェンダーの平等」とは何かという点について、コンセンサスがあるという前提があるように思われることである。そして、その前に、実は、特集名を知らされて原稿依頼がなされているはずであるが、必ずしも、ジェンダーに関する文章ばかりではない。性教育やセクシュアリティに関する文章もある。
 私が学生時代や若いころには、sex gender sexuality などを区別して議論するとはいうことはなかったが、いまでは、gender を性についての社会的現象(男らしさ、女らしさ)、sexを生物学的な性、sexuality を性的指向性というように区別して議論するようになっている。ただし、私はそうした専門家ではないので、その使い方が広範囲に受けいれられているかについては、自信がない。とりあえず、上記の意味区分に従っておくことにする。

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