「鬼平犯科帳」 作者の衰え?

 自分自身が、高齢になってきたために、有名人の高齢になったからの活動について、否応でも考えることがある。「鬼平犯科帳」の作者池波正太郎は、当初長く連載するつもりではなかったらしいが、あまりの評判に、どんどん続編を書いていって、結局、死によって中断された。最後の特別長編「誘拐」のなかの「浪人・神谷勝平」の途中で終り、(作者逝去のため未完)という断りが書かれている。おそらく、前の話で、荒神のお夏を裏切ったために、おまさは、お夏復讐されることを覚悟しているが、お夏一味が、おまさを誘拐しようとしていることに、あえてのっかるという筋書きで進行し、実際に、誘拐される形をとろうとするのだが、それを見張るための同心や密偵が撒かれて、本当に誘拐されてしまうようなところでお終りになっている。
 この最終巻24巻の「誘拐」は、どうも話の進行が、スムーズではなく、また、長谷川平蔵の動きも、どこか鈍いのである。やはり作者の体力の衰え、あるいは病気の進行を考えてしまう。

 長編の最初は、「女密偵女賊」という話で、恋人だが、別々の盗賊で働いているお糸と、押切の駒太郎が、両方の仕事が終わったために、お糸が待ち合わせしているところを、おまさが通り掛かり、結局駒太郎が、いくら待ってもこないので、おまさは、お糸をつれてかえってくる。おまさは、いまでも盗賊を続けており、夫になっている五郎蔵に引き合わせるとうそをつくわけだ。駒太郎は、盗賊だが、殺人はいやだということで抜けようとして、殺されてしまうのだが、直前に行った血なまぐさい盗みの捜索をしていた平蔵が、密偵の佐沼の久七から情報をえて、一味をとらえ、盗賊の頭から聞き出した駒太郎の殺害者を、お糸がみている前で切ってしまう。そして、お糸が密偵になるという話である。
 物語の進行として、どこが変かというと、駒太郎の話がでたのは、おまさに、密偵をしている久七に情報を確認にいったときに、一昨日駒太郎がやってきたという話を聞く。そのあと、帰路についたおまさが近所の茶店によったところ、そこに駒太郎と待ち合わせをしているお糸に遭遇したのである。駒太郎が盗みに入ったのは、芝口であり、今の新橋のあたりだ。そして、茶店は渋谷の近くの広尾である。さらに、この一味の本拠は、本駒込なのだから、渋谷は江戸といっても反対側になる。ということは、駒太郎はお糸に会いにきたのではないのか。既に、盗みに入ったあとなのでから、当然、お糸とあわせて渋谷にやってくるはずなのに、2日間ずれている。盗みの日は、きまっているのだから、それを何らかの形で連絡してあったはずだ。こういうずれは、いかにもおかしい。
 平蔵は、このお糸を、間もなく密偵にしてしまう。平蔵は、女を密偵に使わない主義であり、おまさは自分から密偵になりたいといってきたのだが、しばらく許さず、強情さにまけて密偵にしている。彼女が唯一の例外である。にもかかわらず、お糸は、逮捕してから、それほど時間もたっていないし、平蔵とお糸のやりとりも描かれないまま、おまさと同じことをやってくれといって、密偵にしてしまうのである。話の進行がいかにも、唐突なのだ。
 
 そして、次が「ふたりの五郎蔵」という話である。役宅に出入りするようになった、髪結いの五郎蔵の妻を誘拐して、平蔵に揺さぶりをかけ、かつ復讐しようとしている盗賊がいる。密偵伊三次を殺害してとらえられ、火刑に処せられた強矢の伊佐蔵の弟、暮坪の新五郎である。この話は一話が非常に長いのだが、なんとなくだらだらしているのだ。
 まず、髪結いの五郎蔵に、女房子どもに変わりはないかと聞いたことへの対応がおかしいので、何かあると平蔵は直感する。そして、与力の佐嶋はおかしくないというのだが、おまさに調べさせると、盗賊ではないが、女房が帰って来ないとわかる。しかし、あやしい素性の者ではないという、与力同心、密偵たちの言葉で、なんとなく見過ごしてしまうのである。しかし、盗賊改め方の役宅に出入りしている髪結いの女房が誘拐されたとなれば、それは、直ちに、平蔵たちに復讐しようとしている一味の仕業であると、わかるはずなのに、誰もそういうことを考えていないようなのだ。これまでの、「鬼平犯科帳」の筋書きからすれば、ありえない平蔵のゆるみ具合だ。もちろん、見張ってはいるのだが、それは、髪結い五郎蔵が回っている大店のどれかを、盗賊が狙っているのだということに注目しているに過ぎない。そして、密偵の五郎蔵のよく知っているお兼という女賊が、髪結い五郎蔵の出入りしている店にいることを突き止めると、髪結いのことは無視してしまう。そして、確かに、お兼の入りこんだ店に盗みに入るところをとらえるのだが、実は、当日、盗賊の別動隊が、役宅を襲撃して、見事それに備えていた腕利きの同心や、平蔵の長男辰蔵が切り合いのあと、とらえることになる。
 ところが、盗みの当日に、役宅への襲撃があるというのは、何らの予兆もなく、何故か、髪結い五郎蔵が、裏門から出入りしていることを確認しただけで、平蔵は察知したらしく、辰蔵を呼び寄せて、真剣の技を教え、襲撃に供えさせる。少なくとも書かれている部分では、何故平蔵が襲撃を予知したのかは、まったくわからない。
 さらに、髪結い五郎蔵の誘拐された妻の行方を捜索することは、まったくしていない。平蔵としては考えられないミスだ。役宅に出入りする髪結いの妻が誘拐されれば、平蔵への復讐であることと、その妻は、盗人宿のどこかにとらえられているのだから、盗人宿を密偵をつかって探し出すことは、かならずやることなのだ。にもかかわらず、それを平蔵は放棄している。しかも、事件が片づいたあと、それを放棄したからよかったなどと総括しているのである。結局、五郎蔵の妻は、盗みの当日に、新五郎の本拠地に連れ去られてしまう。だから、事件が解決したあとも、五郎蔵のもとには帰って来ない。そして、五郎蔵は投身自殺を図るのだが、助けられ、密偵五郎蔵に連れられて役宅に現れ、再び髪結いとして使ってくれというと、平蔵はそれを許し、同じ名前が二人は不便だからといって、自分の一時「平」を与えて改名させる。至れり尽くせりだ。いかにも、穴だらけの筋書きなのである。
 このふたつは、あまり、「誘拐」という連作の一部のようには見えない。
 連作と思われるのは、次の「相川の虎次郎」からである。ところが、この話がいかにも妙だ。
 密偵を勤めている茂兵衛が、「あの男は盗賊だ」というので、一緒にお茶を飲んでいた松永同心が、相川の虎次郎を捕縛する。役宅に連行すると、拷問するが口を割らない。平蔵は、密偵たちに、虎次郎のことを知っているか尋ねるが誰も知らない。そこで、平蔵は松永に虎次郎を逃がすように命じ、その後、虎次郎は、お熊ばあさんの店にきて、活動を始めるのだが、それが、おまさを荒神のお夏のところに連れてくるように依頼されていることが、なんとなくわかるような進展になっている。
 そして、おまさが、あえて誘いにのるというのだが、この話も実におかしな話だ。茂兵衛が、あいつは盗賊だと告げて、松永が捕縛するのに、平蔵は、虎次郎の素性を茂兵衛には、尋ねていないのである。もともと、関西で盗賊の一味だった茂兵衛だから知っているので、多くの密偵が知るはずもないのだ。そして、いきなり、平蔵自身が逃がしてしまう。おまさを連れてくるのに、そんな無理な筋をたてなくても、十分に他の方策があると思うのだが、作者の創作力が陰っているとしか思えないのだ。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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