『教育』2021.3号を読む 「ジェンダーの平等教育をすすめるために」(続き)

 前回は、婚姻の形態は文化によって異なることを書いた。しかし、婚姻によって生じる利益は、それほど違いはないように思われる。LGBTsの婚姻を、当事者たちが何故認めてほしいと思うかは、社会が認めている婚姻による利益を、LGBTsが共同生活をしている場合には、認められないからである。では、一般的に、婚姻によってえられるものとは何なのか。同性婚によるメリットの一覧表は、いくつかのサイトで見ることができるが、https://lgbt-life.com/topics/superally18/ で上げられているものを確認しておこう。これは、要するに、現在認められている婚姻によってえられるメリットのことである。
・遺産相続
・配偶者控除
・養子
・離婚における慰謝料、財産分与
・病院での面会
・福利厚生
・配偶者ビザ
・企業内の処遇
 サイトによって項目は異なっているが、要するに、婚姻が法的に成立した場合に、社会的なシステムとして、さまざまなメリットがあるのが実情である。LGBTsに限らず、事実婚の場合には、こうしたメリットがかなり限定され、LGBTsの婚姻は、当然、現在のシステムでは大きく制限されることになる。しかし、ともに生活し、継続していこうと考えているカップルであれば、こうしたメリットを最大限保障していくことが、望ましいことはごく当然のことと思われる。男女のカップルのみに認めるというのは、合理的であるとは思えない。

 そもそも、すべての人間が、生物学的に、完全な男、完全な女に分化するわけではない。というより、そういう存在は少ないのかも知れないのだ。かなり単純化していえば、最初はみな女であるが、その後の受精卵の成長の過程で、ある部分が男に分化していく。細胞分裂の過程で設計図通りに進行しない場合が生じてくるので、性分化のありかは、実は多様であるようだ。どこで、何がどの程度違ってくるかは、人それぞれだから、男、女といっても、実は少しずつ違うと考えるべきなのである。そう考えれば、LGBTsは、別に特に異なっているわけではなく、多様性のなかのある種の部分が強くでたというに過ぎない。したがって、そうしたセクシュアリティにしたがって、カップルとなり、生活をともにするというのは、個々の意志の問題であり、男女の婚姻のみが、さまざまな特権をえられるというのはおかしな話なのだ。
 ただし、日本の場合、最大の障壁は「戸籍」というシステムである。私自身は、戸籍という制度は、廃止すべきものと思っているので、戸籍が廃止されれば、LGBTsの婚姻は、さほど制度的に困難ではなくなるはずである。
 戸籍は、日本と日本が植民地化した国にだけあると言われている。つまり、国際的にみれば、非常に特殊な制度なのだ。遺産相続という手続をすると、戸籍がいかに特別なシステムであるかがわかる。父が死んだとき、父の本籍があるところで謄本をもらい、本籍が前にあったところの戸籍をもらい、結婚したときの戸籍をもらい、そして、結婚する前の家族の戸籍をもらい、というように、出生までの戸籍を全部取得しないと、遺産相続ができない。どこにあるかなどということもわからないから、ひとつひとつ前のものをたどって調べていく必要がある。
 ヨーロッパには、戸籍はない。出生届け、婚姻届け、居住住所の届けなどがあるだけだ。(北米では住所の届けもない)法的な結婚をしたいと思えば、前回整理したような、その国の結婚するための手続を行って、届ける。子どもが生まれたら、出生届けをだす。通常は結婚している男女の夫婦が、子どもを生んで、出生届けをだすが、男女の夫婦であることは不可欠の要素ではない。最初からシングルマザーもいる。出生届けに何を記すか、そしてその効果(親の責任)をどのように規定するかは、また国によって異なる。子どもには必ず生物的な父と母がいるから、出生届けには、かならず実際の父母を記入し、結婚していなくても、また、同居していなくても、生物的な親に扶養義務を課すというシステムもあるし、結婚していなければ、空欄にしたり、認知した人の名前を記入する場合もあるだろう。また、離婚して、保護者の組み合わせが変わることもある。その場合、扶養義務は、当事者あるいは第三者を加えた協議によって決めることもあるし、義務者が変わる場合もある。つまり、国際的には、出生届けと婚姻届けは、不可分につながっているわけではないのである。
 しかし、日本の戸籍というシステムは、婚姻届けと出生届けは、不可分のものであり、一連の原簿になるものなのだ。現在のような戸籍のシステムは、江戸時代まではなかったものであり、明治政府が、日本的な「家族制度」を作るために編み出した制度なのである。元々、どこにいたか(本籍)、どの親から生まれたか、そして、いつ誰と誰が結婚したか(新たな戸籍の作成)、そして、その夫婦から生まれた子ども、等々を一連の流れとして記録していくものが、戸籍である。だから、男女の婚姻によって成立し、その戸籍は、その夫婦から生まれた子どもまでで構成される。そういう「家」の記録であり、生物学的な親子の関係を示しているから、当然、婚姻は、男女でなければならないのである。
 私は、現代社会において、戸籍というシステムは、ほとんど意味を感じないし、ただただ不便なものだと思っている。国際社会では、ほとんどの国に戸籍などはないのだから、戸籍がないと不可能な行為など、もともと存在しないのだ。
 
 日本という国家にとって、戸籍は、国民の管理を「家族」を単位で行うという意味がある。戦前は、戸主がいて、家族は戸主に従い、法的にも基本的に戸主が行使することになっていた場面が圧倒的に多い。国家は戸主を管理し、戸主が家族を管理するというシステムを機能させるのが、戸籍だったのである。しかし、戦後「家族制度」がなくなったわけだから、戸籍の意味もほとんどなくなっている。単に、慣習上、こういう場合には、戸籍謄本をださせるということになっているから、制度として維持され、また、戸籍を提出するわけだが、合理的に考えれば、本当は要らない書類なのである。ただただ、面倒な仕事を増やしているに過ぎない。それは、実は法的な意味がほとんどない印鑑の押印と同じなのだ。
 日本のような家族制度と無縁で、より近代的な国民を管理をしている国は、国民個々人の番号で管理している。
 通常、公的機関から家族に来る郵便物は、世帯主宛にまとめてくる。選挙の投票のための手続用紙などが代表的なものだ。しかし、マイナンバー関連の通知は、一人一人別に来た。今後マイナンバーがどの程度普及するのかはわからないが、北欧などは、重要な「行為」(経済、政治、教育等々)は、国民の識別番号を介してなされる。だから、家族が対象ではない。マイナンバーが北欧のような国民総背番号になれば、カップル、親なども、すべて番号で確認しておけば、男女である必要すらなくなるのである。そうした番号は、一生変らないのだから、戸籍も不要になる。
 LGBTsの婚姻が、男女の婚姻と、まったく同じようになるかは、まだ、私にはわからない点があるが、その実現のためには、やはり、戸籍制度、つまり、男女を単位とする夫婦と、その夫婦から生まれた子どもで構成する家族を基本とする制度をかえる必要があるし、変えることで、進展もすると思われる。(続く)

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です