親指シフトを富士通が終了させてしまった

 40年ほど続いた親指シフトキーボードの販売が、開発元の富士通が終了させた。私は、最初は、富士通のワープロ機械のオアシスを使っていたので、そこから親指シフトを使い始めた。だから、親指シフトが開発されたあと、かなり早い時期からのユーザーだ。もちろん、それまではローマ字入力だったので、かなり長い間両方使っていたものだ。若いころは、適応能力が高いのか、親指シフトからローマ字に切り換えても、それほど困らなかった。つまり、併用できた。しかし、年をとるに従って、その切り替えが遅くなり、やはりひとつに絞ろうと考えたときには、迷わず親指シフトをとった。いまでは、よほどのことがない限り、ローマ字入力は使わない。ノートパソコンも、富士通の親指シフトになっているものを購入した。それまでは、私のノートパソコンでは親指シフトが使えなかったので、仕方なく、ノートの場合には、ローマ字入力していたのだが、今はその必要もなくなった。もちろん、ローマ字入力は、アルファベットを使うのだから、使うことはできるが、やはり、非常に能率が落ちる。

 親指シフトについては、ときどき、ブログでも書いたりして、自分なりに広める努力はしたが、今の状況では、やがて富士通が撤退することは、十分に予想されることだった。ただ、親指シフトキーボードを制作している企業もあるので、完全に滅びることはないのだろうが。
 
 何かのきっかけで、風向きが変わることはないのだろうか。そう思いつつ、再度、何故親指シフトがいいのか、書いておきたい。
 理由は明快で、かつひとつである。頭に浮かんだ文章を、そのまま、迅速にキーボードにうつことができるということだ。ローマ字入力は、文章のひとつひとつの音を、ローマ字に頭のなかで変換してうつことになる。そのために、余計な思考が必要となり、また打鍵数も多くなる。親指シフトは、かなの並びを、コンピューターをつかって、最もうちやすいように配列してあるので、頭に浮かんだ文章を、思考の流れを途絶えさせることなく、自然に打鍵することができる。そのことで、文章を頭のなかで考えていくことも、スムーズになるのである。文筆家に親指シフトの愛好者が多いのは、当然なのだ。
 では、何故、これだけ素晴らしい親指シフトが普及しなかったのか。実は、多くのパソコンメーカーが協力して、親指シフトを普及するための協会をつくっていたのだ。ところが、富士通の発明品である親指シフトを、他のメーカーは、熱心に後押しすることはなかった。企業エゴというのは、酷かも知れないが、日本人のキーボード入力の向上をめざそうと思えば、もっと熱心に取り組んでもよかったと、今でも残念に思う。
 多くの人は、誤解しているが、親指シフトキーボードは、ローマ字で入力できないわけではない。入力モードをローマ字にすれば、通常のローマ字入力ができる。これは、アルファベットがうてるわけだから、当然の事なのだ。しかし、JISかな入力という方式があり、いまでも、日本のメーカーの制作しているキーボードには採用されている。だが、この方式で入力しているひとが、それこそどれだけいるのだろう。少なくとも、親指シフトがかなり普及していた時期には、あえてJISかな入力をしているひとは、少なかったに違いない。そのときに、メーカーが、JISかな方式をやめて、かなは親指シフトに絞っていれば、かなり普及したに違いないのである。アルファベットと親指シフトの両用となるキーボードを通常のキーボードにすればいいのだ。それでこまることはない。JISかな入力をしていたひとは、親指シフトに多少の練習をすれば、すぐに移行できるのだから。
 そうすれば、日本人の日本語入力は、はるかに向上しただろう。そういうことに、あまり関心をもたないひとがほとんどだが、キーボードの使いやすさは、とても重要なはずだ。実際に、アメリカ風のキーボードをそのまま使って、自国語を入力している言語など、ほとんどないのだ。ドイツも、フランスも、当然中国や韓国も、独自のキーボード仕様で使っているのだ。
 日本では、JISキーボードも、親指シフトにたちふさがった。JISキーボードは、ある意味国策の結果だったから、いいかげんなものだったが、メーカーとしては、優先せざるをえなかったのだろう。いいものをいいものとして採用することができないということでは、文化は発展しないのではないか。
 私は、幸い親指シフトキーボードをたくさんストックしているので、仕事ができる限り使い続けるだろう。そして、富士通がやめたからといって、使えなくなったわけではないし、いまでも他のメーカーが作っている。少しでも多くのひとが、キーボードについて、もっと考えてほしい思うのだ。とくに、GIGA政策が実施される段階では、入力方式のことをもっと真剣に考えるべきだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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