『教育』2021.3号を読む 「ジェンダー平等教育をすすめるために」3

 多くのひとにとっては、既に解決済みの問題だろうが、自分の考えを整理するために、もう少し続ける。今回は、ジェンダー問題のひとつである選択的夫婦別姓をとりあげる。前にもとりあげたが、今回は、反対の論理の検討に絞って考えてみる。対象は、国会に提出された「選択的夫婦別姓の法制化反対に関する請願」である。実際に、参議院のホームページに掲載されている。
 まず請願書の要約をそのまま引用する。 
 
選択的夫婦別姓の法制化反対に関する請願
要旨
 家族が同じ姓を名乗る日本の一体感ある家庭を守り、子供たちの健全な育成を願う。
 ついては、民法改正による選択的夫婦別姓制度の導入に反対されたい。

 
   理由
 (一)夫婦同姓制度は、夫婦でありながら妻が夫の氏を名乗れない別姓制度よりも、より絆(きずな)の深い一体感ある夫婦関係、家族関係を築くことのできる制度である。日本では、夫婦同姓は、普通のこととして、何も疑問を覚えるようなことはなく、何の不都合も感じない家族制度である。婚姻に際し氏を変える者で職業上不都合が生じる人にとって、通称名で旧姓使用することが一般化しており、婚姻に際し氏を変更しても、関係者知人に告知することにより何の問題も生じない。また、氏を変えることにより自己喪失感を覚えるというような意見もあるが、それよりも結婚に際し同じ姓となり、新たな家庭を築くという喜びを持つ夫婦の方が圧倒的多数である。現在の日本において、選択的夫婦別姓制度を導入しなければならない合理的理由は何もない。(二)選択的だから別姓にしたい少数者の意思を尊重するために選択的夫婦別姓制度を導入してもいいのではないかという意見があるが、この制度を導入することは、一般大衆が持つ氏や婚姻に関する習慣、社会制度自体を危うくする。別姓を望む者は、家族や親族という共同体を尊重することよりも個人の嗜好(しこう)や都合を優先する思想を持っているので、この制度を導入することにより、このような個人主義的な思想を持つ者を社会や政府が公認したようなことになる。現在、家族や地域社会などの共同体の機能が損なわれ、けじめのないいい加減な結婚・離婚が増え、離婚率が上昇し、それを原因として、悲しい思いをする子供たちが増えている。選択的夫婦別姓制度の導入により、共同体意識よりも個人的な都合を尊重する流れを社会に生み出し、一般大衆にとって、結果としてこのような社会の風潮を助長する働きをする。(三)家庭の機能として、次代を担う子供たちを育てるというものがあるが、選択的夫婦別姓制度導入論者は、夫婦の都合は述べるが、子供の都合については何も考慮に入れていない。一体感を持つ強い絆のある家庭に、健全な心を持つ子供が育つものであり、家族がバラバラの姓であることは、家族の一体感を失う。子供の心の健全な成長のことを考えたとき、夫婦・家族が一体感を持つ同一の姓であることがいいということは言うまでもない。
 
 まず(一)だが、簡単に論駁できる論理満載である。
・夫婦同姓は、別姓よりも「絆が深く、一体感ある」家庭関係を築くことができる制度である、とする。家族の絆は、名前ではなく、相互の尊敬の念や協力的な行為によって深まるものだろう。実際に、通常結婚しても別姓である韓国人の手記も、名前は絆に関係ないと書いている。https://rocketnews24.com/2020/02/05/1330525/
・現在の日本に、選択的別姓制度を導入する合理的理由は何もない、と断言しているが、選択的別姓制度がないから困っているというひとがいることは、合理的理由ではないのだろうか。実際に、結婚前に、既に名前が世間で知られており、名前が変わることは、大いに仕事上の支障が生じるひとは、たくさんいる。結婚前に論文を書いているひとは、当然本名で書くわけだが、結婚後名前が変わって、別の名前で書くことになると、以前に書いた論文との継続性が失われてしまう。これは、研究者の世界では大きなマイナスである。そこで通称が使われるようになるのだが、通称はあくまでも、当人の生活している組織が、認めるかというものであり、かつ、役所関係の公的書類は、ほとんど通称を認めないから、二重の書類記載になって、これも大いに不合理である。そして、通称が社会的に広く知られれば、家庭内でも別姓を実行していることと変わりない。それは絆が浅くなるのか。
 (二)について。
・少数者の意見を取り入れていいのか、と疑問を呈しているが、これはそのまま、少数者の利益は無視してもいいのか、という問いとして、跳ね返ってくるはずである。少数者の権利を大事に扱うことは、民主主義の大原則であろう。2020年8月に実施された内閣府の調査によると、現行制度の維持が29.9%、選択的別姓の支持が、42.1%、どこでも通称を使えるようにする23.3%で、実は、選択的別姓制度の支持がもっとも多く、どこでも通称と加えれば、65%にもなる。どこでも通称が使えるということは、事実上別姓と同じことであり、それでも、同姓の制度を維持する意味はないと思われる。
https://survey.gov-online.go.jp/h13/fuufu/images/zu15.gif
・家族や共同体より個人を重視するので、共同体の機能が損なわれ、離婚が増え、子どもが不幸になるという。家族・共同体・個人は、相互に矛盾するものではなく、それぞれが機能してこそ、人としての幸福につながるものであろう。ここに示されている考えは、個人の意志は尊重されなくてもいいととらえられかねない。別姓のひとたちが、離婚が多いというのは、何を根拠にしているのだろうか。そもそも、現在は別姓が認められていないのに、離婚が増えている。別姓と離婚を結びつけるのは、なんら根拠がない。ちなみに、私の職場にも、通称を使用している人が何人もいたが、離婚した人はいない。
・共同体意識を個人意識よりも優先させるべきという立場が表明されている。いかなる共同体を前提にしているのかが不明であるが、国家共同体などであれば、それこそ国家主義というべきであろう。共同体は、基本的には、自覚的な個人の集合体であって、個人の意識を超えた共同体は、個人の抑圧を前提とした制度である。教育勅語などは、その典型である。
 (三)について
・一体感をもつ家庭でこそ子育てがしっかり行われるという主張であるが、それは大いに賛成だ。しかし、同姓の家族が一体感があり、別姓だと一体感がないというのは、あまり説得力がない。一体感は、繰り返しになるが、家族間の敬愛の念と協力的行為によって実現するものであり、名前によるものではない。名前が一緒なら一体感が生まれるなどというのは、あまりに形式的発想と言わざるをえない。名字が全員同じなのに、崩壊している家庭がたくさんあるのは、どのように説明するのだろうか。
・「子供の心の健全な成長のことを考えたとき、夫婦・家族が一体感を持つ同一の姓であることがいいということは言うまでもない。」と考える者は、同一姓にすればよいのであって、むしろ、相互の敬愛や協力が大事だと考え、名前は重要ではないと考える人は、別姓を選択できる。その方がずっと、多くの人にとっての幸福につながると考えるのが自然である。
 最後に、前にも書いたが、私は、選択的別姓の実現だけでは不十分で、結婚するときには、新しい姓を創ることができるように、改定すべきであると思う。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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