前に多少検討したが、その後放置していたので、再開する。ただ、前からやっていると、なかなか進まないので、できるだけ後ろにある内容の検討からやっていきたい。
まずは、教師に関する部分だ。9章に「Society5.0時代における教師及び教職員組織の在り方について」という部分がある。
(1)基本的考え方
(2)教師のICT活用指導力の向上方策
(3)多様な知識・経験を有する外部人材による教職員組織の構成等
(4)教員免許更新制度の実質化について
(5)教師の人材確保
という内容になっている。
書かれていることを、表面的に受け取れば、ごもっともという内容であり、それはそうだろうと言わざるをえない。しかし、問題は、書かれていないことにある。
まず(5)の教師の人材確保について考えてみよう。
文科省のホームページに掲載されている「要約」バージョンでは次のようになっている。
・教師の魅力を発信する取組の促進,学校における働き方改革の取組や教職の魅力向上策の国による収集・発信や,民間企業等に就職した社会人等を対象とした,教職に就くための効果的な情報発信
・教員免許状を持つものの教職への道を諦めざるを得なかった就職氷河期世代等が円滑に学校教育に参画できる環境整備
・高い採用倍率を維持している教育委員会の要因の分析・共有等による,中長期的視野からの計画的な採用・人事の推進
しかし、答申本文はかなりニュアンスが違う。通常、要約は、本文の言葉を短縮するものだ。念のため、本文も引用しておこう。
○近年,採用倍率の低下や教師不足の深刻化など,必要な教師の確保に苦慮する例が生じており,教育の仕事に意欲を持つより多くの志望者の確保等が求められている。
○教師は,ICT等を駆使し,子供たちの個別最適な学びと,協働的な学びをつくり出すことのできる創造的で魅力ある仕事である。こうした教職の魅力についても,適切に認識される必要がある。
○教師が教師でなければできない業務に全力投球でき,子供たちに対して効果的な教育活動を行うことができる環境を作っていくために,国・教育委員会・学校がそれぞれの立場において,学校における働き方改革について,あらゆる手立てを尽くして取組を進めていくことが重要である。
○教職を志した学生を,民間企業等に流出させることなく,着実に確保していくためには,例えば,早い段階から教職の魅力を発信する取組を促進することや全国で実施されている学校における働き方改革の取組や教職の魅力向上策を国として収集・発信すること等が必要である。また,民間企業等に就職した社会人等を対象として,教職に就くための効果的な情報発信等を行うことも考えられる。
○教師の採用に当たっては,受験年齢制限の緩和や特別免許状を活用した特別選考を進めること等により,多様な知識・経験を有する外部人材を活用することも必要である。その際,採用倍率が非常に高く教員免許状を持つものの教職への道を諦めざるを得なかった就職氷河期世代等が円滑に学校教育に参画できる環境を整備することも考えられる。また,学習指導要領の改訂等を踏まえ,小学校中学年での外国語活動及び高学年での外国語科の導入や,情報教育の推進等の近年の学校を取り巻く課題に対応した採用を進める必要がある。
○公立学校における教師の年齢構成は不均衡が生じており,近年,大量退職に伴い採用者数を増加させた教育委員会において採用倍率の低下が生じている傾向にある。そのため,例えば,高い採用倍率を維持している教育委員会の要因を地域特性等も踏まえつつ分析・共有すること等により,中長期的視野から退職者数や児童生徒数の推移等を的確に踏まえた計画的な採用・人事を進めることが考えられる。
本文には、近年教師への志望が減少し、必要な教師を確保することが困難になっていることが、まず書かれている。これは、昨年まで大学で教職を希望する学生たちを相手に教育活動をしてきた経験から、実感していたことである。というより、私は、20年くらい前から、このままの教育政策を続けていけば、やがて日本は、欧米のような教師不足の状況に陥ると何度も書いてきた。それが現実になっているのである。その理由は、ひとつではないが、最も大きなものは、教職の魅力が低下し、学校という職場が「ブラック」になっているからである。私の職場では、カウンセラー、教師、社会福祉士と精神保健福祉士、そして、社会教育主事の養成を行っているが、福祉士は、実習にいくと、かなりきつい印象をえて、実際に職に就くことに躊躇する学生が出てくるが、教職の場合には、実習にいくと、教師になりたいという希望が増幅すると言われていたのである。しかし、近年、実習から帰ると、教職に対する不安感が増してくる学生が多くなっていた。そして、実際に、教職を志望する学生が少しずつ減少していたのである。現在は、今後ますますその傾向は続くだろう。コロナ後の民間企業の募集状況にも影響される部分があるが。
この答申のこの部分の問題は、教師の志願者が減っているにもかかわらず、その原因について触れておらず、教職は魅力あると発信するとか、あるいは、免許がない人を任用するとか、志願者が減っている原因を改善する発想が見られない。それは、この答申のもっている論理構造そのものに原因があると言わざるをえないのである。
つまり、教職のブラック化を引き起こしている最大の原因は、「日本型学校教育」そのものにあるからなのだ。教職のブラック化とは、あまりに過重な労働というものだが、それは、単に通常の教育だけではなく、福祉機能等多様な機能を学校教育で実現していることだというわけだが、実は、この答申は、はじめのほうで、次のように書いているのである。
「子供たちの教育は教師にかかっている。しかしながら,学校の役割が過度に拡大していくとともに,直面する様々な課題に対応するため,教師は教育に携わる喜びを持ちつつも疲弊しており,国において抜本的な対応を行うことなく日本型学校教育を維持していくことは困難であると言わざるを得ない。」
抜本的な対応を行うことがなければ、日本型学校教育は不可能というのだ。しかし、抜本的な対応をすれば、それは機能限定以外にはないのだから、日本型学校教育ではなくなるのである。要するに、中教審は、不可能なことを提言している。
次に(4)の教員免許更新制の実質化について考えてみよう。全体として、ここでは、更新制について検討が必要であるとしている。まず、この免許更新制を大学で担っていた者としていえることは、この制度は、現場の人間は誰もが望んでいないということだ。当然講習を受ける教師にしても、そして、実施する大学の側も。職業的な国家資格で、一定年限での更新が義務付けられている資格は、教職以外には、ほとんどないはずである。そして、義務付けられているにもかかわらず、教職免許をもっている人が、全員受講して、更新できるわけでもない。管理職や優秀な教師(誰がどう判断するのか不明)、そして大学で教職関係の講義をもっている人などは免除される一方、教職についていないペーパー免許の人は受講できない。従って、10年たつと免許が失効する仕組みなのである。こんな馬鹿げたシステムがあるだろうか。自動車免許は、5年ごとの更新が義務付けられているが、ペーパードライバーでも更新できる。
現職限定というおかしな条件になった理由は、端的に、キャパシティの問題である。免許をもっている人が、大挙して押しかけても、講義を可能にする条件が、日本の高等教育機関には、存在しないのである。最初から不可能な制度をつくったというわけである。だから、実質化をいうのではなく、廃止の可能性も考えるべきであろう。
そもそも、教師の研修は極めて重要であるが、研修の在り方そのものが、現在の行政は間違っている。教師のような専門職では、研修は、随時、自由意思によって行うことが、効果をあげるためには不可欠なのである。押しつけられた官製研修がほとんど意味がないことは、現場の教師のほとんどが述べている。日常的に、様々な研修機会が用意されていて、自分の意志で選択的に研修し、修了したら、その後の待遇に反映していけばよい。全員が、高度なICTの技術をもつ必要はないし、教科指導や相談活動の技量を磨きたい教師だっているだろう。子どもでも同じだが、自分の意志としてやる気がある研修が効果的であることは、間違いないのである。初任者研修も10年研修も、そして、免許更新もすべて法的に義務としている。そして、随時行われる官製研修もだいたい業務命令である。また、多数行われている研究指定校も、校長がとってきて、教師に押しつけるのがほとんどだ。こうした押しつけ研修ではなく、自由な研修を実現することこそが、教師の力量を高めるのである。
自由な研修を保障してこそ、教職の魅力が回復するのである。