law & order 飲酒運転と植物人間へのレイプ

 Law & Orderをみていると、日本とまったく法意識が逆ではないかと思うことがある。シリーズ8には、そう感じる例がふたつ続いた。
 3人がひき逃げ事故にあって死亡した。犯人が捕まるのだが、犯人とその弁護士は、飲酒運転をしていたので、意識がなく、無実であると主張する。そして、飲酒の事実を認められれば、無罪が確定するかのようにドラマは進行する。たまたま担当した判事が、飲酒運転撲滅を強く意識しており、この裁判をそれに活用しようとする。しかし、検察としては、ここで法の矛盾に突き当たる。犯人は、飛行機で飲酒をして、そのまま運転し、ひき逃げをするのだが、検察は、飛行機内で世話をしたCAに聴取する。15杯くらい飲み、ぐでんぐでんに酔っていたことがわかる。検察は、それでは無罪になるというので、それを隠そうとする。判事とも険悪になったりするわけだ。最終的には、3人も轢いて殺してしまったことへの反省の気持ちを引き出し、取引をするのだが、このドラマをみて、日本人ならそもそも納得できないものを感じるだろう。
 日本なら、飲酒運転で事故を起こせば、それだけで有罪だし、まして意識がないほど泥酔して、3人もひき逃げしたら、かなりの重罪になるはずである。酔っていたので意識がなく、故意ではないから無罪だ、などと思う人間はまずいないといえる。しかし、アメリカでは、無罪なのだろうか。まさか、法の規定を無視したドラマを作るはずもないのだから、なんとも不可思議だ。
 実際に、以前はアメリカでは、飲酒運転に寛大だった。今から20年以上前のことだが、ペンシルバニア州にいって、そこの家庭に一晩世話になったことがある。娘と一緒だった。ピザ・レストランにつれていってくれて、そこのピザがとてもおいしかったのだが、運転をする旦那さんは、ビールをビン2本飲んでいた。「日本では許されないが、アメリカでは大丈夫なんですか?」と、率直に聞いたが、まったく問題ないということだった。実際に運転に際して、危険な感じはまったくなかった。慣れているのだろう。しかし、その後アメリカでも、飲酒運転には厳しくなったときいているから、現在ではこのようなドラマにはなっていないと信じたい。日本では、「飲酒をするという時点で、そしてそれでもなお運転するという時点で、故意であり、悪質である」と判断されるだろう。事故のときに、意識がないことは、飲酒が原因である限り、違法性阻却事由にはならないのが、日本である。
 次は、事故で植物状態になった娘に対して、母親が孫がほしいと思って、病院で働いていた男性に、娘に妊娠させてほしいとお金を払って依頼するという話である。前後の詳しい事情は省略するが、最終的に、そういう事実が明らかになる。ここで、検察は、娘は意識がないのだから、了承のない性行為であるからレイプであると認定する。そして、男性を逮捕するのだが、その内、母親が依頼したことがわかり、どちらに責任があるのかで、検事内で意見が対立することになる。男性の検事であるマッコーイは、孫をほしがった母親に同情し、お金で引き受けた男性を罰するべきとする。しかし、女性の検事補のロスは、首謀者は母親だから、母親の責任だと主張する。
 そもそも医学的に、植物状態になった女性が性行為をして、妊娠し、出産にまで至るものだろうかと思うのが自然な疑問だが、ドラマでは帝王切開で出産し、その際母親は亡くなってしまうことになっていた。
 ただ、アメリカと日本におけるレイプの考えかたに、違いがあることはわかる。レイプであるかどうかは、同意があるかどうかで、それは同じだが、意思表示をしなかったときに、どちらに判断されるかに、微妙な相違があるように感じる。個別の事例で異なるだろうが、「拒否をしないと、同意と見なされがちである」のが、日本ではないか。しかし、このドラマで見る限り、「明確な同意がなければ、拒否である」と、アメリカでは見なされるということだろう。植物状態で、同意するはずがないのだから、男性が行ったのは、レイプであるという認識そのものは、ドラマ内で、誰も否定していないのだ。
 飲酒運転については、日本のほうが、レイプについては、アメリカのほうが、法認識として合理的であるように思われる。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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