『教育』を読む 2020.7月号 ナショナリズム・歴史・教育1

 『教育』の7月号の特集は、「ナショナリズムと歴史と教育と」「もう一つの教育を求めて」というふたつの特集からなっている。今回は、前者の佐藤和夫「ナショナリズムを乗り越えるつながりの形成のために」を検討する。優れた論考だと思うが、出だしの素材のきり方に疑問を感じる。(従って前半のみの検討)
 特集がナショナリズム、歴史、そして教育であり、佐藤論文もナショナリズムを乗り越えることを模索している。そしてまず、佐藤氏は、津久井やまゆり園で多数を殺傷した植松聖を俎上に乗せる。しかし、植松聖の起こした悲惨な事件は、ナショナリズムと関係しているのだろうか。 
 教育を生涯に渡る意味で使うなら別だが、ここで主要に問題になっている学校教育に関していえば、植松は決して、学校において虐げられたり、あるいは劣等感に苛まれたりしたような状況ではなかった。また、家庭においても一人っ子だった彼は、教師である父と漫画家である母に愛情豊かに育てられたと言われている。昔の彼を知る者は、とても優しかった印象をもっている。そして、父と同じように教師になるために、大学の免許取得できる課程に進んでいる。ここまでは、とりわけ問題行動も見られず、もし、初志貫徹して、教員採用試験を受ければ、大量採用時代だから合格して、普通の人生を歩んでいた可能性もある。(尤もその前に刺青に関心をもち、自分でもいれてしまったので不可能になっている。)
 表面的に見れば、彼が特異な人生を歩み始めるのは、大学時代及び卒業してからのように見えるのである。もちろん、本来の志望であった教員採用試験を受けず、通常の就職もしなかったわけだから、大学の学生時代に、何かの変化があったのだろう。そのひとつが刺青をいれたことだろう。これが教職に就く障害になったようだし、また、親との関係も悪化させた。大学ではまともに勉強していなかったことは確かだったようだが、それは小学校から高校まで、あまり違いはなかったのではないだろうか。学校の競争主義を批判し、そうした能力主義が、子どもたちの発達を歪めているという指摘は、もちろん間違ってはいないが、実は逆に、そうした競争主義には最初から入らず、勉強もしないのに卒業していく、そしてそれを許してしまっている学校教育があることも、また事実なのである。大学は、そうして育ってきた人間にとって、最も楽な場であるから、植松は、麻雀に明け暮れ、脱法ハーブをやって、大麻の合法論者になっていく。刺青は、友人のものもみて、自分も格好よくなりたい気持ちからいれたと話している。(漫画家である母の才能を受け継いだのか、彼は非常に絵が上手で、刺青を本格的に勉強して、専門家になれば、かなりのレベルになったという人もいる。)
 一面的に断言することはできないが、私が植松の青年期までの生育歴を見ると、逆に学校教育の甘さの悪い面を受け取りすぎたのではないかと思うのだ。もちろん、悪い面とは能力主義の意味ではなく、競争にすら入らないという意味での、自己脱落である。
 このような青年であった植松が、事件を起こすように変化するのは、やはり、重度の障害者施設である津久井やまゆり園で働くようになってからなのではないだろうか。『開けられたパンドラの箱』で、植松は、津久井やまゆり園でのことを語っている。
 就職のきっかけは友人に紹介され、楽な仕事だから応募したといっている。そして、実際、見まもるだけだし、暴れたら押さえつけるだけなので、楽だったと、面談者に語っている。もちろん、それには様々な意見があり、誠実に仕事をすれば、心身ともに大変な仕事であることは間違いない。トランプ大統領の演説やイスラム国の処刑映像などをみて、影響を受け、「心失者(植松の造語)」を肯定できなくなり、彼らが不幸の源であると考えるようになった。それを職員に打ち明けると、「だめだよ」「ヒトラーと同じだ」「法律が許さない」(2人)という反応があったということだが、実は、既にあとで実行に至る「考え」を職員に話していたわけである。そして、そういう気持ちには、徐々になったと語っている。その後、退職、大島衆院議長への手紙、措置入院、退院して再び一人暮し(実家。両親は別のところで暮らしていた。)、生活保護で生活、そして犯行というように進展していく。
 では佐藤氏は、この特集の問題として、どのように植松氏を扱っているのか。
 中等教育の序列化教育のなかで、植松は「中の下」であり、そうした生徒は、「自分がこの世界に生まれた積極的な意味は感じられず、無用感から自由になれない」「たとえ殺人であってもこの世界に自分の存在を輝かせることがしたいという彼らの願いは強い。」そして、秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大も同様であったという。
 私には、植松聖と加藤智大とは、かなり殺人の様相も異なるし、動機も違うように思われるのだ。植松は、明確に、心失者としての障害者は、生きる価値がなく、殺害することが日本と世界に貢献することであると、少なくとも主観的には考えていたから、その目的を達するために殺害した。しかし、加藤は、自分の就職に関する閉塞感から脱するために、誰でもよいから殺してしまおうという、文字通り無差別殺人を実行した。殺人が自己アピールであったのは加藤で、植松は必ずしもそうではなかった。おそろしいことだが、「いいこと」をしているという自己満足があったのではないか。
 「障害者を殺すことが、日本や世界のためになる」という思想は、実は日本の保守的思想家によって、主張されていた。渡部昇一は、かつて、ドイツの若い医師と話したときのこととして、その医者は、ナチスが障害者を殺害してくれたおかげで、西ドイツは戦後経済成長が順調に進んだと話してくれた、と紹介している。つまり、その話を肯定的に書いているのである。これは、単にドイツの話などではなく、障害者に関する法的議論に関しての話題提供であり、つまり、障害者を殺害しないまでも、社会的に排除することが、国にとって望ましいことであると主張していることになる。ただし、植松聖が、このような文章を読んだ可能性は低いと思う。むしろ、施設で働いている彼の体験から、出てきた感覚ではないか。
 そして、障害者施設で働く人のなかに、植松のような考えを100%もっていないという人は、私は少ないのではないかと思う。人間は100%割り切れるものではない。まして、完全に寝たきりで、自分では何もできない人、すべての生活を他人に頼っている存在を、日々世話していて、この人たちは何のために、どういう喜びを感じて生きているのだろうか、と心の片隅で思うことはあるのではないだろうか。
 私は、学生の教育実習に毎年何校も見学にいったが、その中に重度重複障害の子どもたちへの実習も何度かあった。そして、実際の見学の前に校長といろいろと話すのだが、この子たちは、発達した医学によって生きているけど、もっと前の時代なら、この世の中に生まれることはなかったのだ、とはっきりと言われた校長もいる。もちろん、その校長は教育を疎かにしているわけではなく、医学の発展を踏まえた、事実ともいえることを語っているだけで、それを踏まえてしっかりした実践をするように、教師たちを指導していたわけだが、それは、実際に働いている教職員が感じていることでもあるはずだ。
 そうした認識が、障害者への教育や介護の困難さを冷静にみさせ、充実した教育・介護を実現するために、より一層肯定的な方向を強化するように、変化していかなければならない。
 佐藤氏が指摘しているように、現代社会、そして現代の学校で支配的な「能力主義」は、植松のような多くの者が弱い形でもっている「排除」の考えを肥大化させる機能をもっている。ほとんどの人は、それを表にはださないし、おさえている。しかし、ごく稀に極端な形でもち、現実行動に移してしまう者がいる。サカキバラとして有名な少年は、小学生のときに、「何故人を殺してはいけないのですか」とかなり執拗に担任に聞いたという。植松も、自分の考えを同僚に話している。
 日本の教育、あるいは社会には、こうした考えが表明されたとき、あるいはここまで極端ではなくとも、しっかりと議論をするという気風が欠けている。そして、日本の能力主義は、実は植松のように自ら脱落している者にとって、それなりに楽しくやっていけるやわなものなのである。その両面からみていく必要がある。(続く)

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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