自民党総裁選で高市氏が当選して、おそらく内閣総理大臣にも選出されるだろう。なぜ、高市氏が当選したのかという政治的な分析は、私にはできないし、多くの人がだされているので、そちらにまかせるとして、この間の選挙報道に関連して、いくつか感じたことを書いておきたい。
まず、第一に、最近あまり見ないのだが、youtubeの「一月万冊」では、何人かがそれぞれ語っていたのだが、私の見たかぎりでは、すべての人が、高市当選は絶対にありえない、状況からみて「ない」と断言していたことである。とくに、佐藤章氏は自信満々の調子で、自分の収集した情報では、「ない」と何度も語っていた。さまざまな情報をみると、小泉有利だが、高市が追い上げているということもずいぶんいわれていた。それなのに、「一月万冊」では、「情報から判断して」という形で予想していたのである。 “高市氏の自民党総裁当選を考える” の続きを読む
月別: 2025年10月
宅配は置き配を原則に
最近は宅配を利用することが、どの家でも多くなっているに違いない。我が家でも、かなり頻繁に利用している。そのとき、いつも思うのが、不在のときの措置だ。これは受け取り側も届け側も同様に重要だろう。以前は、不在のときには、荷物を持ちかえって、後日配達か、あるいは受け取り側から連絡して、可能な時間を指定するということが多かった。JPの場合は、私は後日自分で郵便局に取りにいく。 “宅配は置き配を原則に” の続きを読む
高校の授業料無償化を考える(4)
しばらく間があいてしまったが、今回はこのテーマによる最終回である。
私立学校と公立学校の関係が、これまでの、そして多くの国でそうであるように、公立学校は国家の設置する学校で、万人用の教育を行い、私立は公立学校とは異なる教育を行うための、特別の学校であって、公立は国家によって費用が賄われ、私立は利用者が負担するというシステムである。現在の日本に限らず私立学校に公費補助がなされる国も少なくないが、しかし、まったく平等というのはオランダに限られる。
では、どういう関係が好ましいのか。 “高校の授業料無償化を考える(4)” の続きを読む
ショルティ・シカゴのマーラー5番
ちょっと風邪気味で寝ていたのだが、youtubeを見ていると、偶然ショルティ指揮のシカゴ交響楽団によるマーラー5番の映像が出てきたので、全部聴いてしまった。寝ながらのイヤホンなので、音はまったくよくなかったが、いろいろと興味深いものだった。
半月ほど前に、私が所属する市民オケでもこの曲を演奏したのだが、練習の合間に話題になったのは、第3楽章でソロのホルンが目立つにような位置取りをして演奏するのが多いが、いつからそうなったのだろうか、ということだった。私がライブのこの曲を4、5回聴いていたのだが、80年代以前で、ずいぶん前のことで、ホルンを立たせたり、前にだしたりはまったくしなかった。私が知っているかぎりでは、ラトルがベルリン・フィルの音楽監督になった最初の演奏会で、マーラーの5番を演奏したのだが、そのとき3楽章でホルンの首席を協奏曲のソロの位置、つまり指揮者の横に立たせて演奏させていたのが、最初であった。その映像をみてびっくりした記憶がある。その後、前に立たせることはあまりないとしても、特別な位置にたって演奏するのは、なんども映像でみた。私たちの演奏会では、座って演奏したが、それでも、時間をとって、木管のフルートの位置あたりまで出てきて、特別感をだしていた。 “ショルティ・シカゴのマーラー5番” の続きを読む