読書ノート『プーチン 内政的考察』木村汎3 ロシア民衆はなぜプーチンを支持するのか

 ロシアのウクライナ侵攻が始まってから、ずっと、ロシア民衆の動向に注目が集まっている。結局、ロシアの民衆が立ち上がって反プーチンで力を発揮するか、あるいはプーチン側近のなかでの宮廷クーデターしか、この侵攻を止めることはできないのではないか、という期待のような予想があるからだろう。しかし、現時点では、オリガルヒの一部が戦争反対を控え目に述べたり、あるいは国外に逃げている人が出たりする程度で、宮廷クーデターという規模とはほど遠いようだ。 国民のプーチン支持は高く、また、ウクライナへの侵攻も支持率が高いといわれている。民衆の場合には、プーチン政権による徹底的なメディア支配のために、正確な情報に接することができず、プーチンによるプロパガンダしか見ることができないからだと説明されることが多いが、オリガルヒの場合には、おそらくロシアがウクライナで何をしているかは、ほぼ正確にわかっているだろう。にもかかわらず、多くはプーチンを支持しているように見える。不思議な現象のように見える。

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一太郎Justsystemはあせっているのか

 日本語ワープロの老舗である一太郎をめぐって、不満が高まっている。私もびっくりしている者の一人だ。というのは、一太郎の売りのひとつである日本語入力システムであるAtokが、2022年バージョンから、AtokPassport となって、一年間の期限付きになるというのだ。一太郎は、そのまま使っていても、入力ソフトだけは、毎年お金を払いなさいということになる。
 普通、こうしたソフトを、毎年新バージョンが出たからといって、その都度買い換える人は、ほとんどいないに違いない。私も5年くらいは使う。もっとも、ワードは、家族も使うことを考えて、Office365に入っているので、毎年支払いが生じるが、こちらは、ソフトの数が異なり、Access まで入っているから、それほど不当な感じはしない。しかし、一太郎ユーザーが、一太郎はバージョンアップしなくても、Atokは支払わないと使えなくなるというのは、ユーザーとしては怒っても当然だろう。私自身は、一太郎はあくまでも見栄えのよい文書を作るときだけ使い、既に大学を退職して、教科書を作成しなくなったので、特に使う必要はなくなったし、また、普段から、親指シフトを使っている関係から、日本語入力はジャパニストなので、Atokは使っておらず、毎年支払いになっても関係ないのだが、しかし、このやり方には大いに疑問に感じる。

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ドキュメント「クラシック音楽と冷戦」を見る

 「クラシック音楽と冷戦」というドキュメント映像を見た。市販もされているものだが、私が見たのは、クラシカジャパンで放映されたものの録画だ。現在、ロシアによるウクライナ侵攻の影響を受けて、音楽家やアスリートが締め出しをされている問題とも重なる側面を示しており、今見たためか、余計に興味深かった。
 内容は、第二次大戦でドイツ崩壊後、ソ連が東ベルリンを支配するようになったのが、米英より早く、直ぐに文化重視の政策をとったため、劇場なども早期に再建され、一貫して、東独を西側に対する優位性を示す材料として、音楽が使われたために、歪みを伴いながらも、音楽家たちは優遇されていた状況が語られている。社会主義体制では抑圧される教会も、重要な文化資産ということで、トーマス教会合唱団やドレスデン聖歌隊なども、活動を容認されていた。ベルリン、ライプツィッヒ、ドレスデンなどの優れたオーケストラ、歌劇場が東ドイツには存在したし、また、優れた音楽家がいたので、彼らの政策するレコードは重要な産業として位置づけられており、また西側のレコード会社も東ドイツの音楽家を使いたがった。共同作業も盛んだった。

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エルシステマは健在のようだ

 久しぶりにエルシステマの記事を見た。https://www.afpbb.com/articles/-/3375803 一緒に演奏する人数を競う記録で、ギネスブックに挑戦したということだ。1万2000人が一緒に演奏したとして、写真もでている。エルシステマで育ったひとたちが参加するのだから、空間があれば、もっと大人数でも可能だったろう。椅子と譜面台が必要だから、1万人が演奏するというのは、何よりも場所の問題があったのだろう。飛行場などを活用すれば、5万人くらいでも一糸乱れない演奏ができるはずである。
 ベネズエラの政情と経済が不安定になっていることは、ずいぶん前から言われていたので、エルシステマがどうなっているか心配だったが、どうやら継続してやっているようだ。元気づけのための挑戦だったのかも知れない。

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旧中山道旅行記6

 今日は帰宅する日で、夜遅くに帰った。早速パソコンをセットしたが、対して書くことはないのだが、最後の報告として。
 まず、宿を出て、せっかくだから琵琶湖を一周したことにしようと、今回は北回りに車を走らせた。これまでは、米原あたりから、琵琶湖の東側を通って、坂本あたりまでいっていたが、坂本に宿泊していたので、西側を北回りにすると、一周したことになる。それで改めて感じたのは、琵琶湖は大きいという当たり前のことだ。諏訪湖を通ってきたので、特に強く感じた。
 昨日、滋賀県の人と偶然少し話したのだが、滋賀のいいところは自然災害がないことだという。地震もないし、台風も来ないと。火山も廻りにない。大雨は降るだろうが、琵琶湖が吸収してくれるのだろう。確かに、滋賀は暮らしやすい土地なのに違いない。だから、商人を多く輩出したのかも知れない。
 途中長浜城があったので、見ようと車を降りたのだが、来年春まで休館だったために、諦めて、最後に彦根城を見るために、彦根に向かった。
 残念ながら、時間があまりなかったので、資料館のみ見ることにしたが、予想に反して見応えがあった。

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旧中山道旅行記5

 今日は、まず滞在先のすぐ近くにある日吉大社にでかけた。滋賀県大津市坂本にある日吉大社は、全国の日吉、日枝、山王神社の総本庁であり、かなり大きな神社で、山の反対側には比叡山延暦寺がある。数年前に、延暦寺を訪れ、坂本のほうに降りてきたのだが、今度は坂本に宿をとった。
 非常に大きな神社で、たくさんの建物があった。

 日吉神社は、猿を神としており、実際に日本猿の雄雌一組を小さな檻にいれて飼っていた。「時々乱暴になって水を浴びせるから注意」という看板がたっていた。あまり神のような雰囲気をもった猿ではなかったようだ。こんな小さな檻に閉じこめられているのだから、ストレスもたまるに違いない。残念ながら、暗い檻だったので、写真は撮れなかった。 “旧中山道旅行記5” の続きを読む

旧中仙道旅行記4

 今週は台風のせいで、雨が多いと事前の予報では言われていたのだが、よく晴れた日が続いて、旅行にはもってこいの天気が続いている。今日も熱いくらいだった。一昨日と昨日は、南木曽の山奥のホテルに宿泊したのだが、一昨日は、真っ暗になってついた。やっと予約ができた人気ホテルだということだったのだが、直前にキャンセルが続いて、私たちが到着した2組目の客で、他は全部キャンセルされたということだった。その日は、食事を頼んでいなかったので、食事で利益をだすホテルとしては、本当にこまったことだろう。復元された宿場町での観光も、コロナの影響で影響をうけたということだったが、ホテルはもっと大きいことが、実感として理解できた。GOTOが切実にホテル業界にはやってほしいことなのだと感じたのであるが、それでも、観光業に対する援助が、GOTOなのかという点については、まだ納得がいかない。

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旧中仙道旅行記3

 今日は、いよいよ本来の目的である、旧中仙道にある史跡巡りを実施することができた。というより、今回の旅行の目的は、岐阜県にある馬籠宿と、長野県の妻籠宿を見ることにあった。島崎藤村の「夜明け前」の舞台となっている宿場であり、当時の面影がどの程度かはわからないが、できるだけ保存しようと努力しているふたつの旧宿場街である。しかし、実際にいってみて、となりの宿場であり、互いに復元という点において影響しあっている両宿場でも、ずいぶん雰囲気の違いを感じた。そして、それが、人出の違いにも現れていたように思う。
 とった宿の関係で、まず妻籠宿にいった。最初間違って車で乗り入れてしまい、まずは車で妻籠宿を通りすぎてしまった。完全に通行禁止になっているわけではないようだが、車の乗り入れはほとんどない。私たちが歩いている間に、他の車は通らなかった。しかし、通りにある家は、もちろん車をもっているわけで、この通りを避けることはできない。再度駐車場を探して、そこから、いよいよ歩いて妻籠宿の通りを端から端まで歩いてみた。

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旧中仙道旅行2

 今日は、ホテルで朝食を食べてから、まず山下清美術館を訪れた。貼り絵の天才山下清の作品が多数展示されているので、平日の午前というのに、けっこう観覧者が多かった。
 私は、あまり美術に興味がないので、詳しいことは知らないのだが、とにかく、山下は放浪で有名だ。ある程度名前が知られるようになってから放浪癖が始まったので、食べることにはこまらなかったという。それでも、最初は、食べ物を恵んでもらって、駅や野原に野宿する形だったのだが、そのうち、作品を書いてあげるなどして、かなり謝礼をもらったり、あるいは、宿泊場を提供してくれる人がでてきたそうだ。それで、山下は、芸術家として、将来的にやっていけるという自信がついたという。

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旧中仙道旅行1

 以前から、国道を制覇することを、趣味としてやっていた。あまり時間もないので、たまにしか行けないが、これまで、1号、2号、4号、6号、7号、8号、9号、20号を制覇した。もちろん、そのほかにも、125号とかたくさんの関東近辺の国道は制覇したが、江戸時代からの基幹的な道路に添った国道として、中仙道が残っていた。ところが、他の江戸時代の基幹道路と国道の関係は、ほとんど一致しているが、中仙道だけは、ひとつの国道になっていない。17号から始まって、順番に21号までの部分がそれにあたっている。そこで、中仙道を国道にしている道をたどってみようという計画を立てた。
 ところが、最初から、計画が頓挫し、2日目からになった。そして、当初の国道17,18号は帰りに通ろうということで、最初に諏訪にやってきた。下諏訪大社と高島城をみた。

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