以前から、国道を制覇することを、趣味としてやっていた。あまり時間もないので、たまにしか行けないが、これまで、1号、2号、4号、6号、7号、8号、9号、20号を制覇した。もちろん、そのほかにも、125号とかたくさんの関東近辺の国道は制覇したが、江戸時代からの基幹的な道路に添った国道として、中仙道が残っていた。ところが、他の江戸時代の基幹道路と国道の関係は、ほとんど一致しているが、中仙道だけは、ひとつの国道になっていない。17号から始まって、順番に21号までの部分がそれにあたっている。そこで、中仙道を国道にしている道をたどってみようという計画を立てた。
ところが、最初から、計画が頓挫し、2日目からになった。そして、当初の国道17,18号は帰りに通ろうということで、最初に諏訪にやってきた。下諏訪大社と高島城をみた。
朝10時に自宅を出発して、諏訪についたのが13時半くらい。まずは何か食べないということで、探すと、ネパール料理の店があいていたので、そこにはいった。個人の古い家を改造したところで、娘はチキンカレー、私と妻はマトンカレーを注文。
正直下諏訪大社は、面白いところではないが、興味深かったのは、吉良上野介義央の養嗣子が葬られているということだった。上野介の子孫は多数いるようだし、とくに、重要な人物ではないはずなので、どうもこの下諏訪大社には、興味がわかなかった。というのは、本来あんた建物が、ほとんど潰されており、ここに何々があったという単なる地面をみても、想像力を掻き立てられることもない。
そのあと、下諏訪大社の近くにある藤森照信が設計した不思議な茶室を見た。空中に浮いているような茶室で、ニューヨークタイムズが世界でもっとも危険な建物のなかにはいっているそうだ。あまりに突飛なので、私には理解不能だった。娘と妻は、大いに感心していたが。
実際にここに、梯子のぼることが可能だそうだが、茶会をするかどうかは、説明してくれなかった。
そのあと、諏訪湖付近の高島城に。高島城は、当初は諏訪湖のなかに建てられた水城だったそうだが、その後諏訪湖がかなり埋め立てられて、今は諏訪湖からは1キロ程度離れたところにある。そういう意味では昔の面影を残していない残念な史跡だ。安土城も琵琶湖に面して建てられ、直ぐに軍勢を舟で送ることができるような位置にあったのだが、復元されつつある安土城は、琵琶湖からちょっと離れたところにある。やはり、埋め立てのせいで離れてしまったわけだ。昭和30年ころまでの日本は、水運が盛んだったのだが、東京オリンピックをするために、東京の川をふさいでしまい、水運も完全に滅んでしまった。そのこと自体も日本にとって好ましい変化だったとはいえないように思うが、こうした史跡については、かつての姿を変えてしまっているのが、とても残念に思った。