一年を振り返る コロナに明け、コロナに暮れた年

 一年を振り返るとき、たいていは今年はああいういいことがあった、と思い出すものだが、今年日本にいいことがあったのだろうかと、懸命に考えてみたのだが、どうも日本全体に関わるおめでたいことが、何もなかったような気がする。昨日からずっと考えているのだが、思い出せない。今年はノーベル賞受賞者もでなかったし、スポーツの国際大会は軒並み中止だから、そうした話題もない。ただし、コロナの影響で、普段ならあまり進展しないことが、かなりの速度で進んだこともあった。最大のことはICTの活用で、オンライン授業やオンライン会議などが進んだ。オンライン授業は窮余の策だろうが、オンライン会議や在宅ワークは、生産性向上や、ライフ・アンド・バランスの改善に役にたつ。ただし、その裏の事実として、日本があまりにICT活用の点で遅れているかが、はっきりしてしまった。
 コロナ対策についても、いまだに議論が継続している。PCR検査を多数やるべきか、強制的な自粛措置をするべきか、違反者をどうするのか等々。
 今日の新聞に、三重大学がクラスターを発生させたことに対して、県からの問い合わせに、違反して感染した学生は処分するという方針を伝えたことが、話題になっていた。そして、ヤフーのコメントでも、様々な意見が書かれている。感染することについては、誰でも感染するのだから、感染したことを非難するのは間違いだと言われることが多いが、しかし、明らかに、感染リスクがあることを、注意もせずに行ってしまった結果、感染したとすれば、それは批判されても仕方ないと思う。大学でも、明らかにルール違反をした結果、感染クラスターを発生させ、しかも、そこからルールを守っている学生たちに感染させたときに、感染させたことではなく、ルール違反を、大学の処分規則に従って対応することは、必要ではないか。

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永山則夫の死刑を考える

 永山則夫は、私と同世代である。私が大学生だったときに、かれは次々と殺人事件をおこし、そして逮捕された。当時大学紛争が最も盛り上がっていたときで、しかも、それは永山にも大きな影響を与えた。街頭活動で逮捕された東大生の活動家が、永山と同房になり、永山に勉強することの大切さを教え、それがきっかけとなって、永山は猛然と読書をするようになり、自分の人生をふり返ることになる。そして、自分をモデルにした小説を次々と発表し、高い評価をえるようになった。哲学書なども読破していたようだ。印税は被害者への賠償や恵まれない人への基金として拠出されていった。
 永山の裁判は、大きな話題となり、しかも、判決が揺れたことで論争にもなった。現在でも「永山規準」なるものが語られる。そういう中、永山を担当していた刑務官木村元彦氏の「実弾50発を盗んで4人を射殺した『死刑囚』はなぜ世界から注目される作家になったのか」「『絶対に殺してはいけない』現場が声を上げた死刑囚・・・その最後の瞬間に待っていたもの」という文章が掲載された。
 永山が更生し、贖罪のために小説を書き続けたこと、死刑は執行されないという予想が、サカキバラ事件で急変したこと、死刑判決そのものに疑問があることなどが記されている。ぜひ多くの人に読んでほしい文章だ。

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安倍前首相の証人喚問を

 安倍前首相の桜問題の説明が、いよいよ焦点になってきた。民主主義が徹底している国であれば、あのような嘘をつき続けること自体が無理だったろうが、一年間も嘘を通してしまう、そしてそれを許してしまう状況がまず問題だと思うが、それでも、嘘をついていたことは既に明確になったわけだから、説明が必要であることは、どんなに安倍氏に近い人でも認めざるをえなくなっている。
 しかし、これは多くの人が述べているように、安倍ラインと菅・二階ラインの権力闘争であり、その結果は、どちらが勝利したことを意味する。
 最初の権力闘争は、安倍氏が元気であることをアピールしたことだと、私は理解している。安倍氏が首相をやめたのは、一部メディアなどは病気の悪化のためだとしているのが、どう考えても、政治がうまくいかないことにやる気をなくした安倍氏が、政権を放り出したわけだ。第一次内閣のときも、本当の理由はそうだった。病気は後付けのように言われただけだ。今回は、安倍内閣のコロナ対策は、ほんとうに酷かった。そして、大きな非難に晒された。こういうときに、あくまで頑張るという良識と能力がない人物だから、案の定政権を放り出して、菅氏に後始末を押しつけた。もちろん、権力奪取に意欲的だった菅氏は、幸いとばかり権力を手にしたが、その後、安倍氏が元気になり、3選もありだ、などというアピールをしたのが、菅氏には受けいれらないものだったに違いない。それで、反撃に出たのが、桜問題の暴露だろう。そこで、安倍およびその側近たちが、3選を完全に諦めれば、進展は違ったのだろうが、むしろ、菅氏の支持率低下傾向か出て、反撃に出ているのが現状だと理解する。不起訴決定や非公開での説明などという路線でいけば、安倍氏の勝利であり、菅氏の痛手となるだろう。菅内閣にも安倍派はおり、上川法相と不起訴の関係はどうなのだろうなどと考えてしまう。

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CMの効果 どのようにして購入に至るか

 東洋経済「投資対効果を測れるテレビCM新時代の幕開け」によると、インターネット広告がテレビCMを超えた。それは、インターネットでの広告は、効果測定が詳細に可能であるのに対して、テレビのほうは無理だったからだが、現在では、テレビでもCM効果が測れる手法が開発され、それによると、動画で比較すると、テレビのほうがインターネットよりも5倍も効率的だということがわかってきたのだそうだ。それで、広告を送る側ではなく、受ける側として、CMについて、考えてみたいと思った。あまり物を買わなくなった世代としての話になってしまうが。
 
 もちろん人によって異なるだろうが、ある商品を買うときには、どういう経過で選択をするのだろうか。ほしいものが先にある場合と、別にそうではなく、何かをみて、これが欲しいと思いつくこともあるだろう。それがCMの場合もありうる。私の場合には、ほとんどが、まずこういうものが欲しいという必要性を感じる。だから、ネットでどのような製品があるのかを調べ、そして、アマゾンなどを見ることが多い。

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日本滞在のベトナム人の苦境

 アルバイト募集やアパートを借りるなどで、ベトナム人お断りが増えているそうだ。特に、豚の大量窃盗のあと、ベトナム人が豚を解体していて逮捕されたという報道によって、増幅したらしい。私自身、数年前から、日本に滞在するベトナム人による犯罪が目立つことが気になっていた。私のイメージでは、ベトナム人は概してまじめな人たちが多いというものだったからだ。なんといっても、私たちの世代は、青年期にベトナム戦争が進行しており、あのアメリカの不当な侵略戦争に屈せず、断固として闘い抜いたベトナム人の印象がある。アメリカがベトナム戦争に敗北し、撤退したあと、南ベトナムの住民が大量に、ボートピープルと化し、各地に亡命していった。そして、日本も大量のベトナム難民を受け入れたわけだ。日本がこうした大量の外国人の難民を受け入れたのは、初めてのことだった。ベトナム人は日本社会に溶けこんでいったと思っている。
 そして、ベトナム人による犯罪の増加だ。何故だろうと、ずっと疑問に思っていた。豚の窃盗事件があったとき、ベトナム人かも知れないと思ったのは、私だけではないだろう。そして、解体して食べたというベトナム人の逮捕だ。実際に盗んだ犯人ではなかったようだが、ベトナム人コミュニティのなかで、盗品が売られていたと報道されている。(産経新聞2020.12.20)

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Eテレ売却騒動

 youtubeの高橋洋一チャンネルで、Eテレ売却論を見たとき、面白い発想だと思った。(実は、雑誌に寄稿した内容をyoutube でも流したようだ。)高橋洋一氏の考えに、すべて賛成できるわけではないが、この案は賛成できると思っていた。ところが、その後、この売却論に大きな反対意見があること、そして大論争になっているらしいことを知った。
 批判の多くは、Eテレこそ、NHKらしい番組を多く放映しており、それをなくしたら、NHKではなくなってしまう、という番組擁護論だった。しかし、高橋氏は、Eテレの内容が悪いから廃止せよとは、一言もいっておらず、電波帯を売却すれば、NHKの受信料を下げられるというだけだった。よい番組は、ネットで流せばよいという。したがって、Eテレの番組を守れ的な批判は、ほとんど取り上げる価値がないものだろう。高橋氏の問題提起をまったくねじ曲げているからである。
 しかし、違う立場からの高橋氏のEテレ電波売却論への反対もある。
 小寺信良氏の「NHK再編の狼煙、「Eテレ売却」は妥当か、素人考え」https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2012/10/news018.htmlだ。氏の主張は、Eテレの電波枠を売却しても、それほど大きな意味はない。Eテレの費用の多くは番組制作費だから、Eテレの電波を売っても、たいした意味がないというわけだ。受信料については、払っている者と払っていない者との公平感がまず問題だという。
 確かに、見ているのに払っていない人、見ないのに払わされている人という、二重の意味での不公平がある。
 そして、小寺氏によれば、むしろ、無駄は衛星放送ではないかという。すると、単に地デジのNHKだけではなく、BS、CS、そして民放を含めた議論にしていかないと、問題を把握てきないことになる。素人考えが無意味とは思わないので、考えてみたい。

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説明責任は、小室圭氏だけにあるのか

 真子内親王が「結婚決意文書」をだしてから、いろいろな騒動が起きている。その最大のものが、西村宮内庁長官が、小室氏に「説明責任がある」として、国民の不信感に対する説明をきちんとするようにという、見解表明を行ったことだ。私はもちろん、皇室内部事情などは、まったく疎いので、表に現れた情報によって判断しているだけだが、宮内庁長官が個人的な見解を述べるはずがないのだから、これは、皇室の誰かの代弁であるか、あるいは、政府の誰かの代弁なのだろう。そこはわからないが、この説明の要請を聞いて、疑問をもつ人は多いに違いない。
 そもそも、説明責任とは何だろうか。常識的には、何かネガティブな状況になっている、あるいはトラブルが生じている場合に、その状況に対して責任をもっている人が、説明しなければならないということだろう。では、現在生じているトラブルとは何なのか。実は、このトラブルに対する認識が、かなりばらばらなのではないだろうか。
 ある人にとっては、小室家の借金問題と、家庭における複雑な事情であると受け取っている。そう考える人たちは、小室氏に対して、説明を求める発想になるのだろう。あるいは、こんな結婚は絶対に認めないという立場かも知れない。

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選択的夫婦別姓について

 選択的夫婦別姓論議が新たな局面を迎えているようだ。自民党のなかにも、賛成する人がけっこう出てきていることが要因だろう。野田聖子氏が重要なポストについたことも影響しているのだろう。また二階幹事長が、選択的夫婦別姓に違和感かないとも表明している。他方、自民党内に、選択的夫婦別姓をあくまで反対するためのグループ(絆を紡ぐ会)などか結成されるなど、賛否両方の動きが活発になっている。
 海外で、日本のように、法律によって夫婦が同一の姓を名乗ることを原則的に規定していく国は、ドイツやオーストリアなどごくわずかなようだ。http://www.hirokom.org/minpo/siryo01.html
 日本でも、同一姓を名乗ることか規定されたのは、明治からになってからのことであり、もともと、江戸時代までは、庶民には姓が存在しなかったのだから、同一姓などは問題外であったし、女性の場合にも、ほとんど名前だけで呼ばれていたのではないだろうか。歴史的に有名な女性は、それに対して、むしろ生家の姓を名乗っていることが目立つ。北条政子や日野富子など。明治になって、戸主を管理の対象とした家族制度を創設する際に、家族はすべて同じ姓をもつということにしたわけだ。したがって、同一姓というのは、日本の伝統的な制度でもないし、あくまでも戸主を絶対とする家族制度の名残りである。そして、それは女性が独立して社会に出て活躍することを想定しないシステムでもあった。もちろん戦前にも、社会的に名前を知られる形で活躍する女性はいたが、やはり、少数だった。

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国会審議の形骸化

 私の記憶では、田中角栄首相が、国会を年中開会するようにして、一年間を通して審議をしようと提案したことがあったと思う。それに対して、野党がとんでもないことだ、国会の議論を充実させるためには、休会の期間に国民の実態を調査したり、いろいろと勉強したりする必要がある。また、国民の反対が多い法案は会期という期限があるから、そこで廃案になる。つまり、国民の支持がある法案なら、会期中に処理できる、というような反対意見を述べていた。
 しかし、近年安倍内閣あたりから、この関係が完全に逆転した。特に今年は、野党が国会を開くこと、会期を延長させることを主張しているのに、自民党がさっさと国会を閉会させてしまうことが、続いた。通常国会も、また、菅内閣に変わっての臨時国会も、野党は審議を主張しているのに、自民党がそれに応じていない。そのためにコロナ対策が完全におざなりになっている。
 こうした逆転現象は、何故起きたのだろうか。また、それはいいことなのか、あるいは国会の劣化なのか。

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リニア新幹線は、まだ続けるのか

 毎日新聞(2020.12.7)によると、川勝静岡県知事が、環境問題の解決抜きには、リニア整備認めないと明言したとされる。本会議で「リニアに長く関わり、賛成してきた。現在も推進すべきだとの考えに変わりない」とする一方「大井川の水や南アルプスの自然環境に悪影響を及ぼすなら、認めることはできない」と述べた。水資源の問題だけではなく、有害物質を含む掘削土が発生する可能説、大井川上流で取水して山梨県側の富士川水系に放流する田代ダムに対する点では、田代ダムの取水口付近の河川流量は確実に減って、水利権者に影響が及ぶ可能性があるとしている。
 こうした環境悪化の問題だけではなく、工事が行われている地域では、さまざまな使用制限がかけられ、自然を活用した教育を行っている学校や幼稚園などの活動が阻害されているという話を聞いたことがある。様々な悪影響が指摘されている。もし、そうした悪影響を帳消しにするほどの、社会的なプラスの側面があるならば、作るのもよいのだろう。

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