突然、もう葬り去られたとみられていた「桜を見る会」の問題がクローズアップされてきた。安倍前首相の政治の私物化の典型的な事例として、昨年来大きな問題となっていたが、コロナ禍がずいぶんと安倍氏には助け船となっていたし、首相を辞任したことによって、ついに逃げきったという雰囲気になっていた。市民の目から見ると、突然検察が頑張りだし、安倍前首相の秘書が任意で取り調べを受けて、これまでの国会での説明が虚偽であったことを認めたという。
何故突然このような事態に急変したのか。なかなか素人である私には詳細がわからないが、権力の位置関係が変化していることは感じざるをえない。そして、大胆に安倍対菅の権力闘争が始まったのだと考えてみたい。
菅氏は安倍前首相から、権力を禅譲されたわけではない。安倍氏は長年言われてきたように、岸田前政調会長に禅譲したいと考えていたのに違いない。岸田氏のほうが、院政を敷きやすいという考えがあったのだろう。自らは、首相をめざすことはないと公言していた菅氏は、特に最後の一年間は、安倍前首相に排除されていたように見える場面がたびたびあった。ただ考えが合わないということではなく、菅氏の権力奪取の姿勢を感じ取ったからではないだろうか。そうして、菅氏は権力を奪取することに成功した。そのためには、かなりの手練手管をもちいたようだ。
そもそも安倍氏と菅氏は、政治姿勢としては同一路線なのか、あるいはかなり相違する政治路線をとっているのか。私には、後者に見える。ずっと安倍第二次内閣の官房長官として、安倍首相を支えてきた菅氏は、当然同一路線の政治家であるようにみられていた。しかし、首相に選ばれて、そのやり方、方針などを見ると、やはり、かなり違う政治家なのではないかと考えたほうが、事実に近いと思われる。
現在の政治の対立軸は、いくつかあるだろうが、新自由主義対ケインズ主義、グローバリゼーション対自国主義というふたつを考えてみると、安倍内閣は、どちらかというとケインズ主義的であり、自国主義であった。だから、トランプとうまが合った。もっとも、それは徹底したものではなかった。他方菅氏は、むしろ新自由主義的で、グローバリゼーション派のように思われる。つまり、二人は政治のめざす方向がかなり違うのである。そして、菅氏には、もうひとつの大きな政治的資質がある。それはかなり露な権力志向である。
このように考えると、「桜を見る会」の不正会計の摘発は、菅氏による、対安倍戦争としての宣戦布告ではないかと見られる。コロナ対策では、菅氏はかなり露骨に排除されていたし、権力奪取に相当な寝業的策略(一時石破氏を担ぐなど)を用いたこともある。また、このような動きになった大きな要因として、安倍氏が健康回復をアピールし、第三次安倍内閣も視野にいれられるかのような雰囲気を醸しだしたことがあるのではないだろうか。もともと、安倍辞任は、健康悪化を口実にしているが、それは口実に過ぎず、辞任をする時期には、薬の改善で健康も回復しているように見えた。私には、スキャンダル(モリカケ、さくら)と、コロナ対策の失敗から逃れるために、一時的に権力から離れるという意図だったとしか思えなかった。とすれば、菅氏としては、自己の権力を維持するためには、安倍第三次内閣を潰す必要があり、そのためには、安倍氏を政治的に葬り去ってしまうのが最善である。また、自身の新自由主義的な政策を押し進めるためにも、妨害要素になると考えているのではないだろうか。
更にこれを後押しする国際情勢の変化がある。それはトランプが敗退し、バイデンが登場することである。トランプと安倍氏の親密な関係は周知のことだ。菅氏は、バイデンの登場を非常に喜んだという。新聞報道は、安倍氏のように、トランプと打ち解けた関係にはなれないし、バイデンとはゴルフ仲間的な関係を構築する必要がないから、というような分析があったが、それは間違いではないとしても、やはり、路線的な問題と、何よりも、安倍氏の政治力を低下させやすくなるということではないか。
安倍氏への捜査が、今後どのように進むのかはわからない。ただ、桜を見る会の前夜祭における会費補填は、明らかに政治的な腐敗であるから、徹底的に究明してほしいものだが、ただ、そのことで、菅内閣の功績として称賛するようなものではない。権力闘争の一環であるに過ぎないのだし、ある意味では、弾圧を厭わないという資質の表れなのかも知れないからである。もう一方で、学術会議への弾圧ということも同時進行していることを忘れてはならないのである。