読書ノート『「いろんな人がいる」が当たり前の教室に』原田真知子(高文研)

 歳をとると、本を読んでもあまり感動しなくなってきたのだが、この本は、とても感動した。教育実践録としては、津田八州男氏の『五組の旗』以来だ。原田氏は、神奈川県で小学校教師を30数年勤めたあと、定年退職しているが、この本は、これまで雑誌などで発表してきた素材をもとに、実践の集大成としてまとめたような感じだ。こんな小学校の教師がいるのかと、正直驚いた。
 これほど優れた教育実践書は、滅多にないので、教師のあり方を考えたい人には、ぜひ読んでほしい。
 神奈川県のどういう地域で教師をしていたのかはわからないが、出てくる話は、とにかく、手をつけられないと多くの教師や親が考える子どもを、たくさん抱えて、彼等とコミュニケーションをとりつつ、子どもたち同士の繋がりを、通常のクラスよりもずっと強固なものに形成していく話である。しかし、そういう実践が、すんなりいくはずもなく、どの話も、苦労の連続で、暗中模索のなかで、子どもたちと一緒に考えて、なんとか改善しようという姿勢で貫かれている。
 どんな優れた実践であっても、表面的にそれをまねることなどはできない。そして、原田先生も、最初からうまくいったわけではなく、また、ベテランになっても、それまでいじめられたり、教師に不信感をもっている子どもたちを、直ぐにまとめられたわけではない。悪戦苦闘を繰りかえして、次第に子どもたちを集団としてまとめていったわけである。その基礎には、全生研の民主主義的学級と班作りの理論があることが、随所でわかる。

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スマホは脳に悪いという科学的説明があるが?

 ダイヤモンドオンラインに「スマホが頭を悪くすると断言できる科学的な理由とは」と題する文章が掲載されている。(川口友万 2021.7.7)https://diamond.jp/articles/-/275768?utm_source=daily_dol&utm_medium=email&utm_campaign=20210707
 このような議論は多数あるが、これは、「5分間のスマホ利用で記憶に重大な障害(Mobile phone use for 5 minutes can cause significant memory impairment in humans)」(Hell J Nucl Med. Sep-Dec 2017;20 Suppl:146-154 Kalafatakis Fほか)という衝撃的(?)な論文の紹介である。原文の要約はウェブで読むことができるが、川口氏の紹介は、要約に基づいているようだ。簡単に紹介すると、(私も本文を読むことはできなかった)
・健常者64名、軽度認知障害者20人を実験群、健常者36人が対照群とする実験。
・実験群に対しては、最初に10個の単語を見せ、思い出して書いてもらう。
 スマホを使う前・スマホを5分使った直後・スマホを5分使ってから5分後でスコアを比較。

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雑感1 松坂の引退・子どものオリンピック観戦

 今日は昼間他のことに時間をとられたので、まとまったことを調べることができなかった。それで、雑感をいくつか書くことにする。
 
1 松坂大輔が引退をするという。平成の偉大な投手の引退を惜しむ声が彷彿として起こっているらしい。しかし、私は、遅すぎた引退だと思う。選手としては、晩節を汚したとしかいいようがない。甲子園の試合をほとんど見なかった私だが、松坂のときだけは、何度かみたし、例のノーヒット・ノーランをやってのけた決勝戦はずっとみていた。そのくらい、高校生のときの松坂をすごかったと思う。しかし、その後の松坂は、高校生までの遺産を食いつぶしていっただけで、激しいトレーニングによって、更なる高見に昇ったとは思えないのである。西部という球団は、大スター選手を甘やかす傾向があった。現場の監督やコーチではなく、球団経営者のことだ。鮮明に覚えているのは、まだ新人だったころに、松坂が車での交通違反をして、その身代わりに、付き人をしていた元オリンピック選手だった黒岩が警察に出頭したのである。こんなことは、黒岩の一存でやるはずがないので、球団の指示だったとしか思えない。もちろん、直ぐにばれたが、これで、私の松坂の印象は180度変わり、以後好感をもつことはなかった。

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都立高校の男女別枠定員問題について

 東京の都立普通高校のほとんどが、男女別に入学定員設定していることについて、都立高校教師の有志が、撤廃の署名を求め、また、弁護士らが撤廃を求める意見書を提出するという動きになっている。28日の毎日新聞に「「東京都立高の男女別定員は廃止を」弁護士有志らが意見書公表」という記事を掲載している。
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性別による合格ラインの差を生む東京都立高校の男女別定員制は、法の下の平等を定めた憲法や性別による教育上の差別を禁じた教育基本法に反するとして、弁護士の有志たちが28日に記者会見し、制度の廃止を求める意見書を公表した。

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『教育』2021年7月号を読む 人材育成は大学教育の役割ではないのか

 『教育』7月号は、第一特集が「大学はどこへ向かうのか」となっている。そして、最初に、基本命題を書いたような文章があるのだが、疑問が出てくる。それは後回しにして、まず書かれていることを箇条書きで整理しておきたい。
 
・21世紀の20年間は、内発的ではなく、外圧による大学改革の時代だった。
・国公立大学の法人化は、大学の自治を解体し、教育・研究の在り方を大きく変えた。
・産・官・学連携は当たり前のことになった。
・役にたつかどうかが、価値を決定し、学問の自由とは相いれない
・この状況をもっとも反映しているのは、教員養成の分野であるかもしれない。
・実務家教員の採用強制など、大学教育への直接的な介入はあとを絶たない。
・大学版学習指導要領である教職課程コアカリキュラムが自由を脅かしている
 
 内発的か外圧かというのは、いろいろな考えがあるかと思うが、決して、大学改革は外圧だけだったとは思わない。大学にとって、改革の必要性を最も強く感じさせたのは、とくに私学では、少子化による大学全入状況だった。端的に「大学冬の時代」と言われ、応募数が大きく減少すれば、存立そのものが危うくなるわけだから、大学もかなり一生懸命、改革に努力したはずである。私の勤務校でも、短大はつぶれてしまったし、専門学校もつぶれた。それらを4年制に吸収する形で改革を行ってきたわけだ。これは、純粋に内発的であったと断定はできないが、少なくとも外圧とはいえない。

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現職教員の兼業 育休中に漫画の出版は認められないのか

 6月2日の中日新聞に、「育休の男性 経験描いた漫画 書籍化不許可」という記事が出ている。普段から漫画を描き、ツイッターやブログで公開してきた著者が、出版社から書籍化の申し出があり、育休を利用して作業をすることを計画した。教育公務員は、兼業が一定の条件の下で認められているが、許可が必要であるので、校長を通して、都の教育委員会の許可を求めたところ、不許可となり、その理由などの説明をなされなかったという。そこで、都教委を提訴したという記事である。実は、私の教え子で教師をやっている人が、同じように、育休中に出版の話があり、許可を求めたところ、同じように不許可になったという話があった。これは東京のことではないのだが。
 提訴した東京の男性は、「都教委と対立したいわけではなく、兼業が認められる基準が知りたい、そして、男性教員の育休取得が低い現状を訴えたい気持ちもある」と述べているそうだ。中日新聞の記事は、何人かのコメントを掲載している。

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対面授業がないと、学生が大学を提訴

 本日(6月9日)の朝日新聞が、明星大学の学生が、対面授業が一切ないことは、大学が義務を果たしていないということで、学費の半額返還を含め、140万円の損害賠償を求めて、大学を提訴した。まず、感じたのが、日本もずいぶん社会感覚が変わってきたのだということだった。以前ならば、こうした訴訟が起こされるというのは、考えもしなかったろう。訴訟を起こすことは、本人にとってもかなりの負担になるから、相当の覚悟だったのだろう。これは、単に法律的な問題ではなく、やはり、教育学的な問題を提起しているとみるべきだ。私自身は、原告の訴えが認められる余地は、正直あまりないとみているが、しかし、提訴の意味は十分にあると考える。 “対面授業がないと、学生が大学を提訴” の続きを読む

スポーツ根性論ではなく、専門的指導を

 毎日新聞6月6日付けで「近づく五輪、仏記者が見た日本のスポーツ指導者の問題点」という記事がでている。要するに、日本では、まだまだ根性論、精神論が根をはっており、スポーツの指導を歪めているという趣旨だ。特に印象に残るのは、フランスのルモンド記者の話として、1983年から2010年までに、柔道の事故で110人以上の子どもが死亡しているが、フランスでは子どもの死亡事故は一件もないという。日本における柔道の部活における死傷事故は多数でているが、スポーツに伴う危険から生じたというよりは、間違った指導から生まれたものである。中学の柔道部での事故として有名な、福島県須賀川一中での、重大事故をみれば明らかだ。

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ネット依存症・ゲーム脳・対応1

 度々『教育』の文章の論評を書いているが、別途、『教育』の書かれたすべての論文を批評するlineをやっている。その参加者から、『子ども白書2020』に書かれた文章の問題性を指摘された。それは、教科研に参加している人が多いのに、この『子ども白書』はインターネットに極めて後ろ向きな文章が多いということ、そして、その典型がゲーム依存症に関するものだという。それで早速市立図書館にいって、関連文章を読んでみたが、既に、『教育』の個別論文批評で扱っているひとたちの同種の論文があったが、それとは別に、成田弘子「休校をきっかけにメディア機器とのつきあいを考える」という文章があった。そこに「スマホの時間 わたしは何を失うか」という図が掲載されている。日本医師会と日本小児科医師会のホームページからとっているということだが、スマホをやっていると「睡眠時間、学力、脳機能、体力、視力、コミュニケーション能力」が失われるのだそうだ。文字通りにとれば、間違いではない。しかし、何をやったって、同じではないだろうか。読書もほとんど同じように、失われるはずだ。子どもは読書にふけるなんてことはない、という前提で考えているのか。昔は、農民や労働者の家庭では、子どもが本を読みふけっていたりしたら、かなり怒られたらしいから、同じようなことを大人は考えるのかも知れない。しかし、今読書をすると、何が失われるか、などという「問い」そのものを考えないだろうし、懸命に読書依存症としてやめさせようとはしないだろう。なぜ、読書はよくて、ゲーム、スマホはいけないのか。

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持久走で小学5年生が死亡

 今年の2月に、大阪で、体育の授業を受けていた小学校5年生の男子が死亡していた。それが、わかったのが数日前で、間があいたことの理由はわかっていないようだ。体育は持久走で、マスクを顎にかけた状態で倒れていたので、マスク着用に関する指示に関して議論になっている。この議論は、非常に複雑で単純な結論をだすことはできないといえる。例によって、ヤフコメを参照してみたが、ヤフコメとしては異例で、多様な主張が乱立していた。比較的単純な話題に関しては、90%以上が同一見解が示されるのだが、この件については、大きくわけても5,6種類以上の意見があった。
 まず、授業は2月であること。この時期、学校の体育では持久走を行うことは、めずらしくない。ただし、この持久走は、距離を指定しているのではなく、5分間走るという形式だったそうだ。それから、マスク着用については、強制はしていなかったと公表されている。
 大きな議論になっているのは、マスク着用の体育という点だ。現在の指導では、文科省は、体育の授業ではマスク着用は必要ないという立場をとっている。ただし、禁止ではない。

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