山本論文に限らず、学校が教育的機能の絶対的中心にいるという信念がある。もちろん、そうした気概は教師にとって重要かも知れないが、学校は、人間を教育する場のひとつに過ぎない。学校の中心的存在である信念をもつと、現在のように、塾やネットに脅かされると、不安になる。
次の「学校外公教育の隆盛」という部分では、学校の地位が低下することへの危機意識を感じる。だが、私からみると、逆に、戦後の数十年間が、教育システムにおける学校の位置が異常に大きすぎた時代なのだ。前近代社会では、学校に行く人間など、ごく少数しかいなかった。もちろん、人間が社会のなかで一人前の大人として生活していくためには、たくさんのことを学習しなければならないから、学校以外の教育が存在したわけだ。多くは、労働に参加することによって、そのなかで必要なことを学んでいたのであり、先輩の働き手が教師だったのである。近代社会になって、国民教育制度が成立してからも、農民などは、学校の価値をあまり認めていなかった。学校社会で勝ち残る人は、だいたいが中産階級以上のひとたちだった。そして、学校社会での競争に参加する人も、限られていた。