「日本型学校教育」中教審答申の批判4 外国人の教育

 今回は、第5章の「増加する外国人児童生徒等への教育の在り方について」を扱う。このようなテーマをひとつの章として扱ったことについては、これまでにない積極的な姿勢を感じる。しかし、残念ながら、この問題を扱うには、日本政府の姿勢になじまない部分があり、委員たちは苦労したに違いない。早々に矛盾した記述に出会う。
 
 「また,日本語指導が必要な外国人児童生徒等が将来への現実的な展望が持てるよう,キャリア教育や相談支援などを包括的に提供することや,子供たちのアイデンティティの確立を支え,自己肯定感を育むとともに,家族関係の形成に資するよう,これまで以上に母語,母文化の学びに対する支援に取り組むことも必要である。
 加えて,日本人の子供を含め,多様な価値観や文化的背景に触れる機会を生かし,多様性は社会を豊かにするという価値観の醸成やグローバル人材の育成など,異文化理解・多文化共生の考え方に基づく教育に更に取り組むべきである。」
 
 後段では、多文化主義を掲げ、多様性を社会のなかにとりいれることで、社会を豊かにするという発想が語られている。しかし、この答申全体の趣旨が、この表題にもかかげているように、「日本型学校教育」である。全体の制度理念を「日本型」ということを強調しつつ、多文化主義を実現することなど、どう考えても矛盾しているのではないか。中教審委員にも、多様な立場のひとがいるだろうから、ここで、多文化主義に共感するひとたちが、頑張ったのかも知れない。

 しかし、具体的提言の最初の2項目は、いずれも日本語指導の充実である。指導員の養成、オンライン等を使った教授法の改善、教材の開発等々具体的に提言がなされているが、詳しい検討は省く。いずれも必要なことには違いない。
 「日本型学校教育」というのは、単に教育機能だけではなく、さまざまな機能を複合的に学校教育に含めているというだけではない。安倍首相が、教育基本法の改定をした主目的は、日本の伝統を重視させることにあった。そして、そのなかで「道徳教育」の比重を一貫して高めてきた。もちろん、その道徳は、決して普遍的な人権とか、そういう価値観ではなく、あえていえば、教育勅語の価値観と結びついた道徳観である。教育勅語を実際の教育活動にとりいれていた森友学園を、安倍首相が高く評価し、当初援助をしていたのは、おそらく、自分の理想とする教育を森友学園が、幼稚園教育で、実践しており、それを義務教育の段階にまで拡張する計画だったからである。当初は、籠池氏は、安倍晋三記念小学校という名称を考え、提案までしていたことが知られている。さすがに、安倍氏は断ったようだが、夫人が肩入れしたのは、当然安倍氏の意志と無関係ではなかった。こういう政権を土台にした中教審、そして文科省が、「多文化教育」を推進するはずはないのである。しかし、さすがに、日本の文化的伝統のなかに、外国人を同化するような教育を構想していない。
 
 私が最も不満を感じるのは、「(4)就学状況の把握、就学促進」という部分である。ここでは、「全ての外国人の子供がいずれかの教育機関に就学することを目標に,国,地方公共団体を挙げて,学齢期の子供を持つ外国人に対し,就学促進の取組を実施することにより,着実に就学につなげていくことが求められる。」と書かれている。そして、昨年出された文科省の指針を基本にするとしている。そこでの指針は、具体的には、以下のようなものだった。
 
外国人の子供の就学促進及び就学状況の把握等に関する指針 2020.7.1
* 外国人の保護者に対して、住民基本台帳等の情報に基づいて、公立の義務教育諸学校への入学手続等を記載した就学案内を送付すること
* 就学案内や就学に関する情報提供等を行うに当たっては、域内に居住する外国人が日常生活で使用する言語を用いることにも配慮すること
* 就学案内に対して回答が得られない外国人の子供については、個別に保護者に連絡を取って就学を勧めること
* 首長部局(福祉部局、保健部局等)と連携し、乳幼児健診や予防接種の受診等、様々な機会を捉えて、外国人の保護者に対する情報提供を実施すること
* 学齢期に近い外国人幼児のためのプレスクールや来日直後の外国人の子供を対象とした初期集中指導・支援を実施するなど、円滑な就学に向けた取組を進めること
* 義務教育諸学校への円滑な就学に資することに鑑み、外国人幼児の幼稚園・認定こども園等への就園機会を確保するための取組(園児募集や必要な手続等の情報について多言語化を行うなど)を進めること
 
 要するに、就学促進である。しかし、中教審としては、いささか検討不足ではないだろうか。結論がこうであったとしても、検討すべきだった課題がある。それは、日本に滞在する外国人の教育義務化問題である。文科省の指針も、日本の法令では義務を課していないことを前提としている。しかし、いかに外国人であっても、教育を受けない状況で放置されることは、好ましくない。その子ども自身にとっても、また、日本社会にとっても同様である。外国人であっても、教育義務を課す国はある。私が滞在したオランダもそうだった。もっとも、オランダでは、とにかく認められている学校で学べばよく、オランダの学校でなくてもよい。外国人学校でオーケーだった。日本人は、日本人学校に通わせているひとが多かった。だから、外国人に義務を課すといっても、その形態は一義的ではない。これは、逆に、日本人が他の国の外国人学校に就学することを認めるかという問題にもつながる。日本政府はそれを認めていないので、アメリカンスクールなどに通っている日本人は、罰金を払っているはずである。真に多文化教育を推進するならば、日本人がアメリカンスクールや、ドイツ学校や、インド学校に通っても、義務教育を果たしていると見なすべきであろう。
 問題を整理すると、外国人の就学問題は、外国人が土台としてもっている文化を、どのように日本の学校のなかで扱うのかという問題を含んでいる。彼等の母語を大事にするなどと書いているが、外国人にも就学義務を課すと、多文化教育、彼らの母語を本当の意味で、制度的に尊重しなければならなくなるからではないかと、私は思っている。したがって、就学を促進するレベルにとどまっている。みずからの意志で日本の学校に入った以上、日本型学校教育を受け入れるという前提をつくりたいのであろう。だから、日本人が外国人学校で学ぶことも、許容しない。実際には、外国人学校で学んでいる日本人は、少なくない。
 この両方の面からの制度設計が必要であり、私はいずれも認めるべきであると思うが、少なくとも、検討のあとの考えかたを示すべきであった。
 
 
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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