「鬼平犯科帳」好きな話1 大川の隠居

 あるサイトに、好きな鬼平の話のランクづけがあったので、私も考えてみた。まずあげたいのは、「大川の隠居」だ。これは殺陣の場面などはまったく出てこない、盗賊の話だが、ユーモアに満ちた作品だ。これほどおかしみのある話は、「鬼平犯科帳」には他にないと思われる。
 足を洗って10年になる老船頭友五郎(かつての盗賊友蔵)は、芸の廃れた盗みと、平蔵に反抗心を示すために、病に寝ている平蔵の寝間に忍び込んで、平蔵愛用の銀煙管を盗む。やがて病が癒えた平蔵は、剣友岸井左馬之介と巡回に出るが、途中でよった船宿加賀屋で頼んだ船頭友五郎が、平蔵のの銀煙管をもっていることに気づく。そこで、平蔵は小房の粂八に、友五郎の調査を頼む。早速出かけた粂八は、友五郎に声をかけられる。旧知の盗賊仲間であったのだ。粂八は、まだ現役であるといって、江戸では長谷川平蔵のために盗みがやりにくくなったと嘆くと、友五郎は、侵入の成果を思わず誇ってしまう。それを平蔵に報告した粂八は、平蔵と策をねって、友五郎に会い、「俺も盗みに入った」と平蔵の印籠を示すと、友五郎は驚き、粂八が、この印籠を元に戻しておくから、友五郎は、そのあと、銀煙管を元に戻して、この印籠を盗め、そうしたら30両あげるという話を持ちかける。それに乗った友五郎は、約束を果たして、上機嫌に30両早く払えと粂八に要求する。それを受けて平蔵が、加賀屋に出かけて、友五郎に舟をださせ、別の船宿で、「お侍さんのようなさばけた人をみたことがない。どんな方なので?」と質問をすると、平蔵は、銀煙管をだして、煙草を吹かす。すると、すべてを知った友五郎は、杯を落としてしまう。その最後の場面だ。

 
 友五郎 の 手 から、 盃 が、 音 を たて て 落ち た。
  平蔵 が 見やる と、 ぽかんと 口 を 開け た まま の 友五郎 の 老顔 が 凍りつい た よう に 動か ない。 白茶け た 友五郎 の くちびる が、 わなわな と ふるえ 出し た。
  平蔵 は、 用意 の 小判 一両 を 友五郎 の 眼 の 前 へ 置き、 さも うま そう に 煙草 の けむり を 吐き出し つつ、 にんまり と、 こう いっ た。
「とっつぁん。 その 一両 で、 おれ の 印籠 も 返し て おくれ。 この 煙管 も 印籠 も 死ん だ 親父 の 形見 の 品 で、 おれ に とっ ちゃあ、 かけがえ の ねえ もの なのさ」
 
 何度読んでもにやにやしてしまう場面である。粂八が、友五郎をめこぼしにしてくれと、強く頼んでいたので、友五郎は罰せられることはなかったはずである。そして、以後、陰ながら平蔵に協力するという立場になる。密偵になりたがったが、高齢であることを理由に、平蔵が許さなかったのである。
 ちなみに、「大川の隠居」とは、友五郎と平蔵が舟に乗っているときに、平蔵が月が出ているから明日は晴れだ、というのに対して、友五郎が、大川の隠居が現れたから明日は雨だといいはる。そして巨大な鯉が舟に並行してしばらく泳ぎ、友五郎が親しく語りかける。この鯉は、70年以上大川(隅田川)に住んでおり、現れると必ず雨になるのだと、友五郎が平蔵に説明する場面がある。そこ以外には登場しないが、それが題名になっているわけだ。.
 
 この「大川の隠居」は「鬼平犯科帳」の第6巻に出てくるが、その後何度か友五郎は登場する。しかし、あまり一貫しないのが残念だ。
 第8巻の「 流星」で、友五郎は心ならずも盗賊の一味に加わってしまうのである。平蔵は、何度も、火付け盗賊改め全体が危機になるような経験をしているが、「流星」はその最初にあたる。江戸での盗みをするだけではなく、平蔵を懲らしめるというふたつの犯罪を同時並行的に実施されてしまう。同心やその家族が襲われ殺害される。そして、その合間に何度も、急ぎ働きでの盗みを許してしまう。完全に窮地に陥るのだが、友五郎も、盗賊仲間に引き込まれてしまうのである。友五郎はもともと船頭としての高い腕をもっており、その技術を駆使した盗みを行っていたのだが、その技が必要とされて、友五郎が預かっていた引退前の頭の子ども、庄正太郎の誘拐で脅迫され、拒否できなくなってしまう。そして、何度かの盗みに、盗金を運ぶ手伝いをすることになる。結局、苦心の上、平蔵はこの事件を解決し、友五郎も捕まってしまうことになるが、このとき、平蔵は、島流しになることを告げ、お金を渡す。流された島でも金が必要だというわけだ。
 しかし、本当に島流しにあったのか、あるいは、入牢していたのか、この後の事情については、まったく書かれていない。にもかかわらず、第16巻になると、それまでと同じように、加賀屋の船頭を勤めているのである。「火付け船頭」という話で、同じ加賀屋の若い船頭常吉は、これまで二度火付けをしたことがあり、三度目の火付けをしようとしたら、その家に盗賊が入り、盗みが嫌いな常吉は、ぼやで済むように放火して、盗賊を妨害する。たまたま、そこに妻を寝取った浪人が仲間としていることを発見してしまったので、それを密かに盗賊改めに密告して、盗賊たちはほとんど一網打尽にされる。
 密告に不信の念を抱いて、密かに平蔵は常吉を見張るように、友五郎に頼んでいたので、一年後、再度放火をしようとした常吉を現行犯逮捕することができた。友五郎は、常吉はいい奴だったというが、特にかばうこともしていない。当時の火付けは、殺人よりもずっと罪が重かったということもある。
 何故平蔵が常吉を疑ったのかはまったく触れられていないが、盗みが放火によって妨げられた事実、その盗みに常吉と同じ長屋の浪人が加わっていたこと(それが密告の内容)、その浪人と常吉の妻が不倫関係にあったこと、等から、密告の主が常吉であると検討をつけたのだろう。すると、放火をしたのも常吉と疑わざるをえない。
 その後第17巻鬼火、第19巻「雪の果て」で、盗賊を捕縛する捕手たちを運搬するために、友五郎は協力しているが、ただそれだけのことだ。多少活躍するのは、第23巻ほのおの色のなかで、盗賊にスパイとして入り込んだおまさとの連絡役を頼まれて、巧妙にそれを実行する役割をはたしている。しかし、大変短い登場だ。
 島流しが実際どうだったのか。島帰りの罪人を、元の職場が雇うものだろうか。どういういきさつがあったのか、どこかで解説してほしかった。「鬼平犯科帳」では、一人一人の過去の事情を詳しく説明する部分は、頻繁に出てくるのだ。
 それから、なぜ平蔵は友五郎を密偵として使わなかったのか。最初に平蔵の寝間に忍び込んだとき、68歳であった。だから、年寄という理由で使わないと書いてあるが、実際には、70の老人を密偵として使っている。舟形の宗平や、佐沼の久七などである。しかも、友五郎は68で、平蔵の寝間に忍び込んだほどの能力をもっている。ぜひ密偵になりたいと願った友五郎を使わない手はないと思うのだが。
 
 
 
 
 
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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