透析中止で死亡–生涯を決定する権利はあるのか

 3月7日の毎日新聞には、人工透析中止の選択肢を提示され、意思確認書を書いた女性が死亡した事例で、当該病院に立入検査が入ったことが報道され、この問題に多角的な分析が加えられている。私は、オランダを研究しているが、世界で始めて安楽死を国家として合法化した経緯やあり方について調べたこともあり、この問題について考えざるをえなかった。多数の記事が掲載されているので、いちいち示さないが、すべて資料とするのは、毎日新聞の3月7日の報道である。
 この病院では、本人の意思確認によって人工透析を中止した患者が3人おり、そのうち2人が中止後短期間に死亡している。ここで、問題になっているのは、そのうちのひとりである44歳の女性である。何が起きたのかを、時系列で追ってみよう。
“透析中止で死亡–生涯を決定する権利はあるのか” の続きを読む

道徳教育ノート 泣いた赤鬼1

 道徳の教材としてよく用いられる文章の第二位が「泣いた赤鬼」だそうだ。もちろん、一位は「手品師」である。
「泣いた赤鬼」は、日本のアンデルセンといわれた浜田廣介の作品であり、発表は昭和8年である。最初の題は「鬼の涙」であり、「鬼同士の絆を描いたこの童話に出てくる犠牲という言葉からは、恩人さよへの負い目が廣介の心を離れなかったことが想像される」と、浜田廣介記念館の名誉館長をしている娘の留美は書いている。(小学館文庫『泣いた赤おに』の解説より。さよは、廣介の母の従姉妹で、廣介が経済的に困っていた時期に、ずっと援助し続けた恩人)
 留美氏によると、浜田は、常に人の善意を重視する物語をつくり続けたという。
 一貫して「童話」を書き続けたことからみて、それはごく自然なことだろう。
 しかし、世界の名作童話は、実は、ほとんどが、作者の意図を超えて、(あるいは、元々作者が意図していたのかもしれないが)大人が読んでも、様々な解釈が可能で、単なる善意とか、愛とか、友情などの枠におさまらない内容をもっているし、その多くは、実は大人でなければ充分には理解できないことさえある。
 アンデルセンの「裸の王さま」を考えてみよう。

“道徳教育ノート 泣いた赤鬼1” の続きを読む

音楽と国際化2 記譜法の発明

 イギリスの作曲家ハワード・グッドールの著書『音楽を変えた5つの発明』という本がある。クラシック音楽が発展した契機となった音楽上の「発明」が5つ記されている。
・記譜法
・歌劇(オペラ)
・平均律
・ピアノ
・録音技術
の5つである。このうち4つが、クラシック音楽が国際化した理由を明らかにしていると、私は思う。オペラは結果として、様々な形で存在している民族的「歌芝居」のなかで、国際化したのが、17世紀以降にヨーロッパで発展したオペラだけであるという、国際化の結果を示すものとして重要だが、それは別の機会に書くとして、ここでは残りの4つを取り上げてみたい。

記譜法1 多様な記譜法
 私たちが、誰でも知っている五線譜という、音楽を記録する方式は、ヨーロッパだけで発達し、そして、楽譜の形として世界中で利用されている。もちろん、古今東西、五線譜とは異なる記譜法はいくらでもあるし、また現在でも使われていると思うが、普遍的に使用可能といえる記譜法は、五線譜のみである。
 では、五線譜と他の記譜法は、何が違っているのか。

“音楽と国際化2 記譜法の発明” の続きを読む

何故クラシック音楽が国際化したのか(1)

私が担当している「国際教育論」という授業で、今年度始めて、「文化の国際化」を扱いました。昨年までは、ほとんど戦争やグローバリゼーション等の固いテーマばかりやっていたのですが、残り少ない勤務ということもあり、自分の趣味である音楽も、国際社会の重要な要素でもあり、扱ってみました。音楽に親しんではきましたが、これまで正確には知らなかったことを調べて、わかったことも多々ありました。
 その内容は、自分で作成している「教科書」にはないので、ここで、講義資料をもとに、文章化して掲載します。

 文化も国際化の重要なテーマである。文化は通常民族固有のものと理解されているが、実際には、ある特定の民族や国家で生まれた文化が、形をかえることはあっても、基本的に同じ文化が多民族や外国で盛んになることは、いくらでもある。しかし、すべての文化内容が国際化するわけではなく、むしろ少数が国際的に拡大していくといえる。

クラシック音楽とは何か
 芸術の国際化。音楽の国際化を考える。国際化している音楽の代表は、クラシック音楽である。
 ただし、ここでいうクラシック音楽とは、古い音楽というわけではなく、正確に記譜された音楽のことをいう。記譜されているから、後代に残るし、また、外国でも演奏される。例えば、ジャズは基本が即興演奏だから、その場で消えてしまう。すべてのジャズの音楽家がそうではないが、記譜するのは、ジャズとして邪道だいう。しかし、アメリカにガーシュインという作曲家が現れて、音楽のジャンルとしては明らかにジャズだが、それを記譜して出版した。私自身、市民オケで「パリのアメリカ人」という音楽を演奏したことがある。元々は映画音楽だが、そのなかの曲をつなげて、組曲としての「パリのアメリカ人」という曲を作った。楽譜があるから、世界中で演奏されている。これは、音楽の分類としてはジャズ音楽だが、記譜されて、正確に伝えられるからクラシック音楽である。だから、記譜された形で作曲されれば、それは、21世紀に作られてもクラシック音楽である。 “何故クラシック音楽が国際化したのか(1)” の続きを読む

道徳教材分析(1)手品師

有名な道徳教材であり、私が学生の教育実習の研究授業で何度かみたものでもある。子どもたちも活発に意見をいえる一方、教師がどのようにまとめるのか、子どもたちの発達段階との兼ね合いで、けっこう難しい教材でもある。小学校で行われた研究授業で出た意見と、実際に大学生に概要を話してだしてもらった意見とは、かなりの隔たりがあった。コールバーグ理論のある意味、よい検証の材料にもなる教材である。
 まずテキストを確認しておこう。(次の文章は、大阪府のホームページで公表されている資料から転記した。http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/9723/00000000/syougattkou2.pdf )

“道徳教材分析(1)手品師” の続きを読む

スマホ規制 フランスとドイツの議論

 子どもが使うデジタル機器の是非は、多くの国で議論になっているし、また様々な対応がなされている。しかし、国によって問題とする仕方は微妙に違うようだ。2月14日に、フランスの新聞フィガロが、この問題で特集を組み、いろいろな側面から検討をしている。また、16日には、ドイツの Der Tagesspiegelという新聞が、スマホを通じて子どもがポルノにアクセスすることを問題にした記事を掲載している。そこで、これらの記事を参照しながら考えてみたい。

 フィガロの記事を読んで、最初に驚いたのは、フランス語では écranという語が使われており、スクリーンや画面という意味だが、これが、スマホだけではなく、タブレット、テレビゲーム、テレビ、パソコンなどを総称して課題にしていることである。因みに日本の「対策」をインターネットで検索すると、ほとんどがスマホのフィルタリングに関するもので、しかも、企業のアプリの宣伝が大部分である。タブレットなどが問題となっている雰囲気ではないが、フランスでは、言葉の問題だけではなく、総体として話題になっている。(日本語で似た使い方をしている語としては、ディスプレイだろうか。しかし、 écranという言葉では、画面そのものではく、画面をもった機具を指しているので、ここでは、 écranをそのまま使用する。)

“スマホ規制 フランスとドイツの議論” の続きを読む

教育行政学ノート(2)子どもは何故学校にいくのか

 教育行政学は、通常、義務教育、あるいは「教育権」から入る。しかし、教育学としての教育行政学の構想のために、もうひとつ前の問いから入ろう。義務教育とか、教育権という概念は、やはり、教育の外からみている、あるいは外部的存在である。そこで、問いは次のようになる。

Q 我々は、子どもたちは、何故学校に行くのか? 現在の大きな学校教育上の問題である「不登校」を考察するとき、「何故学校に行かないのか」「何故学校に行けないのか」という問いをたてて、答えを見いだそうとする。しかし、不登校は、通常前の段階とて登校していた事実がある。学校に行っていたのに、行かなくなる、あるいは行けなくなるわけである。したがって、まずは、学校に行っていた時期の「行っていた理由」をきちんと理解しておくことが必要だろう。不登校は、その「学校に行っていた理由」が揺らいだ、あるいは消えてしまったが、その原因であると考えられる。

“教育行政学ノート(2)子どもは何故学校にいくのか” の続きを読む

イギリスの若者がメンタルヘルスの改善を求めて活動

 イギリスの10代の若者たちが、グループを作って、メンタル・ヘルスを必要としている若者へのサポートを、確実に実行させるための働きかけをしたという記事の紹介です。Mental health The students who helped themselves when support was too slow comingというThe Guardian2019.2.12の記事で、作者はLouise Tickleです。

 イギリス全土かどうかはわかりませんが、ここで紹介されている地域は、Cumbriaという地方で、元々医療・福祉体制が遅れていると思われます。イギリスに限らず、先進国のほとんどでは、若者たちは、試験競争にさらされ、常に誰かと比較され、いい評価をえないと上級への進学に不利になり、人生そのものがやりにくくなるというストレスをかかえながら生きることを余儀なくされます。もちろん、そのことによって、誰もが精神的な疾患をかかえるわけではありませんが、どこでもサポートを必要とする若者が増加しています。それだけではなく、この記事では、治療を申請したのに、ウェイティング・リストに載せられて、3カ月も待たされ、そのうちに、すっかり参ってしまった若者が紹介されています。彼女はそのために学校にいくことができなくなりました。いろいろなことを真剣に受けとめながら生活していれば、誰でもそうした危機に陥る危険があると、彼女は述べています。

 そんななかで、何人かの若者が集まって、We Willというグループを作り、精神的な問題を抱えている若者に、サポートをするように働きかける活動を始めます。集会を開き、そこで強調されたことは、今の若者が生きている世の中は、古い世代が若者だったときとは違うのだ、ということです。まずは試験の圧力、そして、ソーシャル・メディアの中毒的な関わりからくるストレスです。

“イギリスの若者がメンタルヘルスの改善を求めて活動” の続きを読む

クラウディオ・アバドのボックス

 2014年になくなったアバドは、現代最高の指揮者の一人であったし、私のもっとも好きな指揮者の一人だった。自分で勝った初めてのオペラのレコードが、アバドの「セビリアの理髪師」だったが、すべてとはいえないが、かなりのCDを所有している。交響曲ボックス、オペラボックス、ソニーのボックス、そしてDVDボックス(25枚組)である。新しく購入したオペラボックスとDVDボックスについて、感想を書いておきたい。

“クラウディオ・アバドのボックス” の続きを読む

空き家のようになってしまいましたが

私も本当は定年の年齢になりました。尤も、教員免許の課程申請の関係で、もう一年勤めなければならないことになったのですが、いよいよ定年後にむけて、どのように活動していくかを、真剣に考えなければならないようになりました。そこで、ひとつが、ブログを再開しようかと思っています。もちろん、もうひとつ、主要なブログをもっていて、そちらで普段は活動しているのですが、定年後は、違う形での情報発信をしていこうと考えており、それには、wordpressを使うのがいいようなので、少しここで肩慣らしをしようと考えたわけです。