有名な道徳教材であり、私が学生の教育実習の研究授業で何度かみたものでもある。子どもたちも活発に意見をいえる一方、教師がどのようにまとめるのか、子どもたちの発達段階との兼ね合いで、けっこう難しい教材でもある。小学校で行われた研究授業で出た意見と、実際に大学生に概要を話してだしてもらった意見とは、かなりの隔たりがあった。コールバーグ理論のある意味、よい検証の材料にもなる教材である。
まずテキストを確認しておこう。(次の文章は、大阪府のホームページで公表されている資料から転記した。http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/9723/00000000/syougattkou2.pdf )
手品師
あるところに、うではいいのですが、あまり売れない手品師がいました。もちろん、くらしむきは楽ではなく、その日のパンを買うのも、やっとというありさまでした。
「大きな劇場で、はなやかに手品をやりたいなあ。」
いつもそう思うのですが、今のかれにとっては、それは、ゆめでしかありません。それでも手品師は、いつかは大劇場のステージに立てる日の来るのを願って、うでをみがいていました。
ある日のこと、手品師が町を歩いていますと、小さな男の子が、しょんぼりと道にしゃがみこんでいるのに出会いました。
「どうしたんだい。」
手品師は、思わず声をかけました。男の子は、さびしそうな顔で、おとうさんが死んだあと、おかあさんが、働きに出て、ずっと帰ってこないのだと答えました。
「そうかい。それはかわいそうに。それじゃおじさんが、おもしろいものを見せてあげよう。だから、元気を出すんだよ。」と言って、手品師は、ぼうしの中から色とりどりの美しい花を取り出したり、さらに、ハンカチの中から白いハトを飛び立たせたりしました。男の子の顔は、明るさを取りもどし、すっかり元気になりました。
「おじさん、あしたも来てくれる?」
男の子は、大きな目を輝かせて言いました。「ああ、来るともさ。」
手品師が答えました。
「きっとだね。きっと、来てくれるね。」
「きっとさ。きっと来るよ。」
どうせ、ひまなのからだ、あしたも来てやろう。手品師は、そんな気持ちでした。
その日の夜、少しはなれた町に住む仲のよい友人から、手品師に電話がかかってきました。
「おい、いい話があるんだ。今夜すぐ、そっちをたって、僕の家に来い。」
「いったい、急に、どうしたと言うんだ。」
「どうしたもこうしたもない。大劇場に出られるチャンスだぞ。」
「えっ、大劇場に?」
「そうとも、二度とないチャンスだ。これをのがしたら、もうチャンスは来ないかもしれないぞ。」
「もうすこし、くわしく話してくれないか。」
友人の話によると、今、ひょうばんのマジック・ショウに出演している手品師が急病でたおれ、手術をしなければならなくなったため、その人のかわりをさがしているのだというのです。
「そこで、ぼくは、きみをすいせんしたというわけさ。」
「あのう、一日のばすわけにはいかないのかい。」
「それはだめだ。手術は今夜なんだ。明日のステージにあなをあけるわけにはいかない。」
「そうか・・・・・・。」
手品師の頭の中では、大劇場のはなやかなステージに、スポットライトを浴びて立つ自分のすがたと、さっき遭った男の子の顔が、かわるがわる、浮かんでは消え、消えてはうかんでいました。(このチャンスをのがしたら、もう二度と大劇場のステージに立てないかもしれない。しかし、あしたは、あの男の子が、ぼくを待っている。)
手品師はまよいに、まよっていました。
「いいね。そっちを今夜たてば、明日の朝には、こっちに着く。待ってくるよ。」
友人は、もうすっかり決めこんでいるようです。手品師は、受話器を持ちかえると、きっぱりと言いました。
「せっかくだけど、あしたは行けない。」
「えっ、どうしてだ。きみがずっと待ち望んでいた大劇場に出られるというのだ。これをきっかけに、君の力が認められれば、手品師として、売れっ子になれるんだぞ。」
「ぼくには、あした約束したことがあるんだ。」
「そんなに、たいせつな約束なのか?」
「そうだ。ぼくにとっては、たいせつな約束なんだ。せっかくの、きみの友情に対して、すまないと思うが・・・・」
「きみがそんなに言うなら、きっとたいせつな約束なんだろう。じゃ、残念だが・・・また、会おう。」
よく日、小さな町のかたすみで、たったひとりのお客さまを前にして、あまり売れない手品師が、つぎつぎとすばらしい手品を演じていました。
出典 小学校 道徳の指導資料とその利用1
私が教育実習の研究授業でみた授業は、大阪府が掲載している授業の流れの案に非常に近いものだった。だいたい「公認授業モデル」なのであろう。ポイントとして、4点が書かれている。
1 男の子に明日も来ることを約束する→きっと来るよと約束したのは、どんな気持ちからでしょう。
2 仲のよい友人から電話がかかる→友人から誘いをうけたとき、手品師はどんなことを考えたでしょう。
3 受話器をもちかえて、きっぱりと断る→なぜ友人からの誘いを断ったのでしょう。
4 たった一人の客の前ですばらしい手品を演じる→どんな気持ちで手品をしているのでしょう。
そして、手品師の迷いに関して、
・先にした約束は断れない
・自分の夢よりも子どもを元気づけることを優先したい
・人を喜ばせる仕事をしたいという気持ちを確認する。(以上大阪府資料より)
おそらく、ここで、約束の大事さを確認するということだろうし、また、実習生もそういうまとめをしていた。そのときに、子どもたちに、手品師の行為を肯定するかどうかを確認したら、ほとんどの小学生たちは、肯定するだろうと思う。
しかし、大学に戻って、このことを話して、学生たちに、この手品師の行為を肯定するかどうかを聞いたところ、半数以上は、肯定しないほうに手をあげたのである。私の授業は、「教育学概論」であるが、教職をめざしている学生はほぼ全員が履修しているので、将来先生になろうと思っている学生たちの見解といってよい。しかし、彼らもまた、実習生としてこの教材をとりあげたら、おそらく、この資料集のような授業をするのかもしれない。
この教材については、かなりたくさんの授業研究がインターネット上に掲載されているし、雑誌の特集もあるが、その検討はあとにして、実習生の研究授業と、その後の大学生たちの反応とを踏まえた考察をここで行い、現場の授業研究の検討は、次の機会にしたい。
<ジレンマ教材としての「手品師」>
「手品師」という教材は、「徳目主義」的教材としては、「約束を大切に」という価値を教えるもので、かなりストレートに結論に至るように、「公認手引き書」では構成されている。しかし、大学生だけではなく、実は、私がみた研究授業でも、そうした結論のもっていきかたに異論を唱えた子どもがいた。「友人との約束もあったんじゃない?」という趣旨の発言だったが、残念ながら、実習生は、「そうだね」といいつつ、その意見をその後はまったく無視してしまい、予定通りの進行をさせていた。この教材を「約束の大事さ」を教えるのが眼目だとしても、「約束はふたつあり、それが相いれない形で現れている」内容になっている。まだ、学年が下だったり、あるいは、表面的に読んでいたり、教師のいうことをそのまま受け取る子どもたちであれば、「公認指導」のままに受け入れていくだろうが、実際に私がみた授業でも、そうではない指摘をする子どもがいたのである。
つまり、この教材は、ふたつの両立しがたい「約束」をどう考えるのかという点でこそ、扱う価値のあるものなのだといえる。 更に大学生になると、プロとしての手品師の「生き方」を考えざるをえなくなる。
Q1 電話がきたとき、何故迷ったのか。
この回答は簡単である。男の子と約束をしていたから。
Q2 この相いれない「約束」を「回避する」方法はあったのか。
Q3 友人の申し入れを受け入れて、なおかつ、子どもとの約束を尊重する方法はあるか。
少なくとも大学生からは、Q2とQ3の回答は、いくつか出てくる。
A2「おじさんはね、手品師の仕事がいつ舞い込むかわからないので、万が一今日の夜にでも話があったら、明日来られないかもしれないけど、でも、1週間後なら、大丈夫だから。」「(同)、もし来られなかったら、別の日に**に電話をくれないか。」「(同)、君に連絡する方法はあるかい?」
この点については、時代も関係するだろう。今の子どもたちは、多くがスマホをもっているから、スマホをもっている前提で、「こっちから電話するよ、(メールするよ)」相手がもっていなければ、公衆電話で、電話してくれれば、事情を話して、別の日の約束をすることが可能だと確認をする。 このようなことをすれば、Q3の回答にもなっているわけである。 学生のなかには、仕事と子どもとの約束を比較して、大事なのは仕事だと割り切る者も少なくない。とりあえず、仕事をとって、後日男の子をさがして、事情を話せば分かってもらえるのではないかと考えるわけである。小学生では、「仕事」についての感覚はあまりないが、大学生は間もなく就職する身だから、当然仕事重視になる。近年、キャリア教育をさかんにしている以上、こういうテーマで「仕事」を無視することは、道徳教育としても、不十分といわざるをえない。
したがって、この教材をもっと読み込むと、手品師の「プロ意識」を考えざるをえなくなる。
出だしの文章が、「うではいいが、売れない手品師」となっている。どうやら、何かの団体に所属しているわけではなさそうだから、フリーランサーとしての手品師なのだろう。ということは、常に仕事依頼に対してアンテナを貼っていなければならない。しかし、この手品師は、そこに甘さがある。この甘さが、男の子に「明日の来て」とせがまれたとき、すぐに承知をしてしまい、「どうせ、ひまなのだから」と、自分を納得させている。皮肉なことに、その後すぐに友人からの依頼があるわけだが、もし、仕事依頼があることに、アンテナ意識があれば、子どもとの約束の際にも、「もしも」のことに備えるはずである。そういう意識が欠けているがために、「売れない」手品師になっている。
次は「約束」の二重性である。実習授業での子どもの発言でわかるように、約束は、男の子とだけではなく、友人ともしていたわけであり、「約束を守る」ことの大切さであれば、友人との約束を軽視していいのかと当然疑問をもつはずである。友人に、「何かいい仕事があったら紹介してよ」「うん、いいよ、そのときには、真っ先に君を推薦しておくから」というようなやり取りを、この手品師と友人はしていたはずであり、だからこそ、それを友人は実行したのだろう。急だったから、手品師の都合を聞かずに推薦していたわけだが、それは急の話だから仕方ないといえよう。「約束の大事さ」を強調しながら、こちらの約束を無視してもいいはずはない。
以上まとめれば、この教材には、3つの対立要素が存在していることがわかる。
「男の子との約束」「友人との約束」「仕事をする者としての姿勢」 子どもは多様だとしても、5年生6年生であれば、しかも、キャリア教育を受けている学年であれば、この3つの要素すべての大切さを認識すること、この物語では、両立できない形で処理されているが、別の可能性として、つまり、手品師の姿勢として、両立可能な方法があることを理解できるはずである。
手品師が「売れない」状態から、「売れる」ようになるためには、何が必要なのか。
それを普段から実行していれば、男の子との約束が、どのような形になったか。
約束をより柔軟な形にしておけば、友人からの依頼を受けることができたが、その際、次に何が必要であったか。 こうしたことを考えさせたとき、この教材はもっと興味深い教材になっていくと思う。