e-tax 無事完了 大分苦労したが

 退職したので、自分で確定申告をする必要ができた。もっとも、たいした額ではなく、項目もごくごくわずかしかないので、通常なら紙で申告するほうが簡単なのだと思うが、なにしろコロナなので、あの税務署の込み具合を考えると、郵送かe-taxになる。郵送は正確にもれなくできるかが不安なので、e-taxにした。そして、今日やっとすべてが終わった。
 そのための準備はまずマイナンバーカードの取得から始まった。IDとパスワードの方式もあるが、税務署にいって申請しなければならないということで、当然採用できない。こちらから求めたわけではないが、何故かマイナンバーカードの申請書が送られてきたので、これ幸いとばかり申請した。カードがくるまでは一カ月くらいかかったが、無事入手できた。市役所に取りにいって手続きしたときにも、他に人がいないくらい空いていた。
 さて、それで、税金の計算を始める。普段あまり郵便物には注意しないが、さすがに税金関係のものは、整理してとってあったので、これはごく簡単に済んだ。そして、いよいよ、e-taxに。ところが、ここで最初のつまずきに。スマホのアプリを入手しにいくのだが、どういうわけか、あなたのスマホでは使えませんとメッセージがでる。アンドロイド9だから、問題ないと思うのだが、何度やっても同じだ。結局諦めることになり、仕方ないので、カードリーダーを購入した。このときも、最初にいったコジマ電気では、品切れ。そんなに売れているのか。幸い、ごく近所にケーズデンキがあるので、そちらにいくとちゃんと在庫があった。しかも、コジマにあると思われた(ケースをもっていくと在庫を調べてくれるという方式)ものよりずっと安い。
 そうして、いよいよ、国税庁のホームページにいき、e-taxを開始した。

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近江アナウンサーの転職

 NHKの近江アナウンサーが退職することが話題になっていたが、毎日新聞がインタビューして、そういう決意をした経緯や理由を詳細に、近江氏自身に語らせている。第一志望だったNHKのアナウンサーを辞めるというのは、大きな決意であるし、また、人生の転換でもある。最近、ゼミの卒業生が転職したという話がはいってきて、この記事は注目して読んだ。「NHKを辞めたワケ 近江友里恵さん、心に刻まれた隈研吾さんの言葉/上」(毎日新聞2021.4.2) 
 まず驚いたのは、NHKが番組内で詳しく説明することを許さなかったという点だ。民間企業に中途採用で転職するということで、「民間企業」が許さない理由なのだそうだ。公務員にでもなるのなら、説明を許したのだろうか。あるいは、辞めるからにはNHKに不満があるわけで、それを言われたくなかったということなのかも知れない。
 番組での説明ができなかったために、取材攻勢やいろいろな意見・問い合わせが殺到したようだ。だれでもそうだろうが、詮索されるのは嫌だったという。本人としては、きちんと説明したかったのにできなかったために、実際に辞めた段階で、毎日新聞のインタビューに応じたということだ。このことも、注目すべきことだ。NHKはもっとおおらかでいいのではないか。

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文春に対するオリンピック組織委員会の抗議 語るに落ちるとはこのこと

 オリンピック組織委員会からの抗議に対して、報道の立場から、文春が断固として拒絶したという記事を読んで、そういうことがあったのかと、早速調べてみた。
 まず、オリンピック組織委員会がどのような抗議をしたのか。「週刊文春報道について」と題する2021年4月1日の声明である。https://tokyo2020.org/ja/news/news-20210401-03-ja に掲載されている。これは4月1日発売の文春の記事「MIKIKO氏日本は終わってしまう 『森会長はぼけている』 女性演出家を排除 黒幕は電通NO2 」に関してである。
 要点を整理すると
・4月1日の文春は、MIKIKO氏のプレゼン内部資料を入手したとして、その内容に言及したことは、遺憾である。
・それは機密性の高いものであり、検討段階のものでも、開会式演出の価値が毀損される。
・内部資料の一部の画像を掲載することは、著作権法に違反するので、直ちに削除、廃棄することを求める。
・不正競争防止法違反の罪及び業務妨害罪が成立しうるので、警察に相談しつつ、守秘義務違反を含め、内部調査を開始した。
・内部関係者には、改めて守秘義務を守るように徹底している。
 
こうした抗議に対する文春の回答は短いので、全文引用しよう。

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「フランケンシュタインの誘惑 愛と絶望の心理学実験」をみて

 NHKのBSで放映された「フランケンシュタインの誘惑 愛と絶望の心理が実験」を見た。アメリカの高名な心理学者ハリー・ハーローの一生を扱ったような番組だ。骨子は、大好きな母親が、兄弟が深刻な病気になったために、その看病に掛かりきりになり、自分は愛されていないと感じたハーローは、生涯の心理学研究においても、その精神的桎梏に影響され、愛とか絶望という人間の感情を科学的に研究するに至った。そして、有名な布と針金の母親との実験で、ワトソンが始め、当時圧倒的だった行動主義心理学を真っ向から否定した。しかし、晩年は、動物虐待ともいうべき実験に手を染めて、今では批判もされている。こういう骨子だったと理解した。かなり古い、貴重な映像なども入手し、ハーローとかかわったり、あるいは助手をしていたひとたちのインタビューなども織りまぜ、なかなか興味深い番組だった。二人の日本人の心理学者が出席していて、科学者というのは、普通の人の常識と違うので、ただ、事実を明らかにしたいということで、極端なことをしてしまうのだ、というような説明をしていた。
 さて、私は、正直心理学が嫌いな人間で、実は長く「臨床心理学科」に籍を置いていたのだが、その好き嫌いはほとんど直らなかった。もっとも、さすがに心理学の勉強は、遅ればせながら、それなりにしたので、こういう番組にも興味をもてたのだが、この番組で述べていたことについては、多いに疑問が残った。

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厚労省職員処分への違和感

 飲食店に時短要請が出ているのに、23名もの人数で送別会を深夜までやっていたということで、職員が処分されるそうだ。
 加藤官房長官は、「国民のみなさんに大人数の会食を控えるよう呼びかけをした中で、コロナ対策を担う同省でこうした事案が行われたことは大変遺憾だ」と述べたそうだ。(朝日新聞2021.3.30)
 三浦瑠麗氏のように、同情を表現している人もいるが、(中スポ2021.3.31)多くは、非難している。もちろん、同情する気持ちはないし、呆れるという感じだが、ここにきて、処分という展開になっている。自民党世耕参院幹事長は、「政府においては国民目線で納得のいく厳正な処分をしていただくよう強くお願いする」と述べ、二階幹事長も「しっかり反省して対処してもらいたい」と述べた。(毎日新聞2021.3.30) そして、どうやら課長が更迭されるという動きになっている。そして、ほとんどのメディアでは処分当然という声が高い。

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「鬼平犯科帳」好きな話1 大川の隠居

 あるサイトに、好きな鬼平の話のランクづけがあったので、私も考えてみた。まずあげたいのは、「大川の隠居」だ。これは殺陣の場面などはまったく出てこない、盗賊の話だが、ユーモアに満ちた作品だ。これほどおかしみのある話は、「鬼平犯科帳」には他にないと思われる。
 足を洗って10年になる老船頭友五郎(かつての盗賊友蔵)は、芸の廃れた盗みと、平蔵に反抗心を示すために、病に寝ている平蔵の寝間に忍び込んで、平蔵愛用の銀煙管を盗む。やがて病が癒えた平蔵は、剣友岸井左馬之介と巡回に出るが、途中でよった船宿加賀屋で頼んだ船頭友五郎が、平蔵のの銀煙管をもっていることに気づく。そこで、平蔵は小房の粂八に、友五郎の調査を頼む。早速出かけた粂八は、友五郎に声をかけられる。旧知の盗賊仲間であったのだ。粂八は、まだ現役であるといって、江戸では長谷川平蔵のために盗みがやりにくくなったと嘆くと、友五郎は、侵入の成果を思わず誇ってしまう。それを平蔵に報告した粂八は、平蔵と策をねって、友五郎に会い、「俺も盗みに入った」と平蔵の印籠を示すと、友五郎は驚き、粂八が、この印籠を元に戻しておくから、友五郎は、そのあと、銀煙管を元に戻して、この印籠を盗め、そうしたら30両あげるという話を持ちかける。それに乗った友五郎は、約束を果たして、上機嫌に30両早く払えと粂八に要求する。それを受けて平蔵が、加賀屋に出かけて、友五郎に舟をださせ、別の船宿で、「お侍さんのようなさばけた人をみたことがない。どんな方なので?」と質問をすると、平蔵は、銀煙管をだして、煙草を吹かす。すると、すべてを知った友五郎は、杯を落としてしまう。その最後の場面だ。

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「日本型学校教育」中教審答申の批判4 外国人の教育

 今回は、第5章の「増加する外国人児童生徒等への教育の在り方について」を扱う。このようなテーマをひとつの章として扱ったことについては、これまでにない積極的な姿勢を感じる。しかし、残念ながら、この問題を扱うには、日本政府の姿勢になじまない部分があり、委員たちは苦労したに違いない。早々に矛盾した記述に出会う。
 
 「また,日本語指導が必要な外国人児童生徒等が将来への現実的な展望が持てるよう,キャリア教育や相談支援などを包括的に提供することや,子供たちのアイデンティティの確立を支え,自己肯定感を育むとともに,家族関係の形成に資するよう,これまで以上に母語,母文化の学びに対する支援に取り組むことも必要である。
 加えて,日本人の子供を含め,多様な価値観や文化的背景に触れる機会を生かし,多様性は社会を豊かにするという価値観の醸成やグローバル人材の育成など,異文化理解・多文化共生の考え方に基づく教育に更に取り組むべきである。」
 
 後段では、多文化主義を掲げ、多様性を社会のなかにとりいれることで、社会を豊かにするという発想が語られている。しかし、この答申全体の趣旨が、この表題にもかかげているように、「日本型学校教育」である。全体の制度理念を「日本型」ということを強調しつつ、多文化主義を実現することなど、どう考えても矛盾しているのではないか。中教審委員にも、多様な立場のひとがいるだろうから、ここで、多文化主義に共感するひとたちが、頑張ったのかも知れない。

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醜悪な聖火リレー

 聖火リレーがどういうものかは、まじかに見たことはないので、これまで意識していなかったが、前回の東京オリンピックのときには、ただ、聖火ランナーがけっこうなスピードで走っていた感じが残っている。もちろん、当時はまだ商業主義ではなく、あくまで公的な資金で行われていたので、まわりを宣伝用の車が囲んで走るようなこともなかったと思う。
 これまで諸外国でどうなっているのか、わからないが、日本の今回のオリンピックの聖火リレーが、これほど商業主義に毒されているとは、開始までまったく思わなかった。テレビは見ないのでわからないが、インターネットのライブ映像が走者ごとに掲載されている。それをみると、とにかく、聖火ランナーと伴走者たちがゆっくりと、沿道に手を振りながら走っている映像ばかりである。しかし、まったく別の映像がインターネットにアップされている。東京新聞の原田記者によるものだが、コカコーラなどの巨大な街宣車のような車が、大きな音をたてながら、何台も連ねて走っているのだ。そして、その一連の車の行列が通りすぎたあとに、聖火ランナーが走ってくるのだ。一月万冊の清水氏が数えたところでは、車の数は25台程度あった。おそらく、ニュースなどの報道でも、この車の騒音まき散らしながらの行列には、触れていないのだろう。この車列の映像を見たかどうかで、聖火リレーのイメージがかなり違うのではないだろうか。

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ドキュメント「チャリノブイリ 衝撃の真実 口を開く証言者たち」

 NHKのBSで放映されたドキュメント「チェリノブイリ 衝撃の真実-口を開く証言者たち」をみた。放映はずっと前だが、録画してあったのを最近みてみた。最初に驚いたのは、制作がイスラエルということだ。当時、原発の町と言われたプリピャチに住んでいた女性や、事故処理にあたったひとたちの証言を中心に構成されている。そして、実際に、原発建屋の屋上で、汚染された残骸を処理している映像も出てくる。こんなところを撮影していたのと、それをイスラエルの制作者たちが入手していることがすごい。日本は、どうなのだろう。
 チェリノブイリの事故も、当初は世界に、そして市民たちに隠されていた。火事が起きたということで、消防車が多数向かい、消火活動にあたったそうだ。そうした最初期の時点では、現場で事故処理にあたっていたひとたちにも、事実を知らされていなかったのだろう。そして、管理者たちも、事実を把握していなかったと思われる。しかし、数日後、町の住民は全員退避させられる。そのためにバスを用意し、退避にかかった時間はわずか6時間であったという。永久に帰宅できないというような事情は説明されず、ほんのピクニックにいくようなつもりで、わずかな物だけをもってバスに乗ったそうだ。しかし、現時点でも一人の帰還者もいない。(ただ、この映像ではふれていないが、退避を拒否したひともいた。)

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読書ノート『密告される生徒たち』佐藤章

 昨日に続く佐藤章氏の著作だが、これは、学校現場を取材した記録である。表題でわかるように、前半は、学校教育からドロップアウトした生徒たちが主に扱われている。取材したのが、1983年から84年なので、経済的には、日本が最も上り坂の時代で、アメリカをも脅かしていると思われている時代にあたる。1970年代半ばからの石油ショックからいち早く抜け出した日本が、なかなか抜け出せなかった欧米を尻目に、経済を拡大していたのがこの時期だが、学校現場は管理主義で様々な問題を抱えていたのである。1970年代に学校紛争の煽りをうけて、中学や高校までが荒れていた。そして、教師に対する暴力なども頻繁に起きたのだが、それを力で押さえつける管理主義が学校を覆うことになった。そして、それまで、いかに生徒に問題があろうとも、生徒を警察に差し出すようなことには、躊躇があった学校が、警察と協力する以上に、むしろ、生徒を警察に通報して逮捕させるような事態も生じるようになっていた。その時期の学校や、学校からはみ出してしまった少年たちを取材したのが本書である。「密告」という表題は、教師が生徒を警察に密告するという意味で使われている。

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