NHKのBSで放映された「フランケンシュタインの誘惑 愛と絶望の心理が実験」を見た。アメリカの高名な心理学者ハリー・ハーローの一生を扱ったような番組だ。骨子は、大好きな母親が、兄弟が深刻な病気になったために、その看病に掛かりきりになり、自分は愛されていないと感じたハーローは、生涯の心理学研究においても、その精神的桎梏に影響され、愛とか絶望という人間の感情を科学的に研究するに至った。そして、有名な布と針金の母親との実験で、ワトソンが始め、当時圧倒的だった行動主義心理学を真っ向から否定した。しかし、晩年は、動物虐待ともいうべき実験に手を染めて、今では批判もされている。こういう骨子だったと理解した。かなり古い、貴重な映像なども入手し、ハーローとかかわったり、あるいは助手をしていたひとたちのインタビューなども織りまぜ、なかなか興味深い番組だった。二人の日本人の心理学者が出席していて、科学者というのは、普通の人の常識と違うので、ただ、事実を明らかにしたいということで、極端なことをしてしまうのだ、というような説明をしていた。
さて、私は、正直心理学が嫌いな人間で、実は長く「臨床心理学科」に籍を置いていたのだが、その好き嫌いはほとんど直らなかった。もっとも、さすがに心理学の勉強は、遅ればせながら、それなりにしたので、こういう番組にも興味をもてたのだが、この番組で述べていたことについては、多いに疑問が残った。
最大の疑問は、ハーローの実験が、行動主義心理学を根本から否定したものだったという解釈についてである。行動主義は、心を科学的に研究することは不可能であるので、心は行動に反映されているという前提の下に、行動を徹底的に分析することによって、心のあり方を推しはかるという立場である。そして、行動は、基本的に、ある刺激に対する反応として起きるのだと理解する。行動主義心理学は、主に動物実験を方法として用いたので、動物に対する刺激とえさを組み合わせの実験が主体だった。
それに対して、ハーローは、あるパズルのような仕掛けをつくって、それをサルに解かせる実験をした。そして、餌をやるよりは、餌などやらないほうが、サルは好奇心からその仕掛けに熱心に取り組んだというのである。だから、サルにも好奇心という心があり、それが刺激となって行動することがある。だから、行動主義は間違っている、とハーローが解釈したというのである。それは番組の解釈なのか、本当にそうハーローが主張したのかは、番組で紹介された論文を読んでみないとわからないが、番組ではそう解釈していた。しかし、行動主義心理学でも、「意欲が満足されること」を刺激の一種と考えているといえる。スキナーのプログラム学習は、学習させる動機として、「解けた満足」を重要なものと考えている。そして、それを活用可能にするスモール・ステップという手法を用いている。だから、好奇心が、行動の動因となっていることが示されたとしても、それが行動主義の反対例になるとは、私には思えないのである。それは、有名な布と針金の実験でもいえる。
生後間もなく母親から引き離したサルを、はりがねでつくった母親のようなものと、布でつくった2体を、それぞれ別の部屋に起き、一方は、布の母親に哺乳瓶をつけ、他方には、はりがねの親につける。すると、布の母親に哺乳瓶があるほうでは、サルは常に布の母親にしがみついており、はりがねの母親に哺乳瓶がついているほうのサルは、ミルクを飲むときだけ、針金母にいくが、飲み終わるとすぐに布のほうに戻ってしまう。そのことから、生後わずかでも接した本物の母親がもっていたやわらかさに、母親の愛情を感じている証拠だ、だから、サルも愛情を感じているのだ、それを行動で示していると解釈している。
これも、別に行動主義で説明できる。布という刺激と、針金という刺激は、ごく自然なことだが、布のほうが生理的に快感である。だから、心地よい布のほうにいっただけで、正確に刺激に対して反応して行動したのだ、というような説明は十分に可能だろう。それだけではなく、布の母親のほうを好んだことを、母親の愛情と結びつけたのは、かなり主観的な解釈であって、科学的に証明したなどというところからは、ほど遠いといわざるをえない。
こうして行動主義心理学を乗り越えたハーローは、アメリカ心理学会の会長にまで上りつめ、そこで、愛情などの人間的感情を科学的研究の対象とすることを宣言したという。
その後は、母親の虐待の研究をするために、サルに苦痛な刺激を与える母親を作り出し、揺さぶるような親に対しては、懸命にしがみつき、針金で刺すような母親からは一時的に逃れるが、そのあとやはり、母親のところに帰っていく。だから、子どもは虐待されても、親の愛情を信じているのだ、という「科学的結論」をだしたというわけだ。この研究によって、虐待児が救われるとハーローは信じたというのだが、この科学的真理を土台に、どのようにして虐待問題を解決することができるのか、というハーローの提言は、番組では示されなかったのが残念だ。
この手の心理学研究に、私がいつも感じる不満は、「こんなこと、実験しなくてもわかることではないか」ということだ。小さな子どもが、母親に虐待されたとして、じゃ家を出て、一人で生きていくよ、などと言えるわけがないではないか。どんなに虐待されても、結局、母親にしがみつけねばならず、母に文句をいったりしないのだ。小さなサルが感情をもっていることは、こうした実験で示すまでもなく、この実験を始める準備段階の映像で、明確に理解できる。それは、実際の母親から引き離されたサルは、布でくるまれているのだが、その布を引き剥がしてしまう。そのときに、引き剥がしてもっていこうとするハーローに、サルは懸命に抵抗して、感情をむき出しにしている。それは、顔の表情ではっきりわかる。
以上、この番組を見た限りで、ハーローが行動主義を超えたという主張には、説得力を感じなかった。
さて、瑣末なことだが、いくつか付け加えておきたい。
ハーローは、スタンフォード大学という名門大学に進学した、とアナウンスされていたが、戦前のスタンフォードは名門大学の仲間入りを果たしてはいなかった。大富豪が早くなくなった息子を記念して、莫大な財産を投入して設立した大学であるので、豊かではあったが、どちらかというと、金持ちの子どもが入学する大学であった。スタンフォードが、現在のようなアメリカのトップ大学になったのは、戦後の起業家がたくさん育ったり、それを後押しし、シリコンバレーの発展と結びついた時期以降である。
それから大学時代には、詩人になろうと思っていたが、つくった詩を酷評されたので、心理学に転向したというのである。もう一人のアメリカの心理学の大御所であるスキナーも、作家になりたくて、実際に小説を書いたりしたが、結局才能がないことを感じて、心理学に移ったという。アメリカを代表する二人の心理学者が、ともに文学青年の挫折から生まれた、というのも、なかなか興味深い事実だ。
詩人としての挫折