平蔵の勘違いが、やがて本当になってしまい、事件解決に至るという、変わった構成の話である。
お熊は、本所の弥勒寺門前で、笹やという茶店を経営していて、平蔵が若いころ、放蕩生活をしていたときにいろいろと助けてくれた因縁の70歳にもなる老婆である。茂平は、3年前弥勒寺の前で行き倒れになっているところを助けられて、弥勒寺で下男になっている老人である。その茂平が腸捻転で死にそうになっているときに、お熊を呼び、自分の死を、千住の畳屋庄八に伝えることと、神奈川宿の牛松と一緒に住んでいるおみつに58両のお金を届けることを頼む。あまりに多額の金なので、恐ろしくなり、平蔵に処置を頼みにくるところから、話は始まる。その話をきいた平蔵は、畳屋の庄八は盗賊で、茂平はその仲間で、引き込みとして弥勒寺に入っているのではないかと疑う。そして、沢田同心と密偵伊三次を連れて、お熊と一緒に、千住に出かける。お熊は、庄八に茂平の死を知らせ、そのまま帰ってくるが、そのあとを庄八の妻がつけていく。同心と密偵は、そのまま庄八宅を見張るために残り、平蔵もお熊の店にいく。庄八は、茂平の死体を引き取りに弥勒寺に出向き、その後越谷に出かける。それを酒井同心がつけ、翌日、平蔵にそのことを告げる。
お熊に対しては、しばらく、夜は五鉄(軍鶏鍋屋)に泊まるように告げると、そこでお熊は、自分が狙われているかも知れないことを悟る。しかし、その平蔵の心配は杞憂に終り、襲撃されることはなかった。
茂平が盗賊の一族と疑った平蔵は、お熊に、当時茂平を診察した医者を訪ねさせ、当時の様子を確認すると、茂平は、本当に病気だったことがわかる。つまり、仮病を使って、引き込みとしてもぐり込んだわけではなかったわけである。つまり、平蔵の勘違いだったことになる。
ところが、茂平がやっていた仕事を、庄八が代わりの人を世話したということを、寺の小僧から聞くに及んで、やはり、庄八たちは盗賊で、茂平の死体を引き取ったときに、いろいろと観察して、弥勒寺を襲う計画をたてていると疑う。
そして、めずらしく、平蔵は、今後どうするか、彼等が実際に盗みを働くのをずっと待って、それから逮捕するか、あるいは、庄八たちを逮捕して白状させてから、他の者を逮捕するか、と与力・同心たちに意見をださせている。結局、庄八を逮捕することにして、拷問にかけるがなかなか白状しない。しかし、連絡のために畳屋にやってきた若者をとらえると、あっさり白状したので、彼等の首領や実際に弥勒寺を狙うことにしたことなどを語ってしまう。その結果庄八も白状し、それによって、宇都宮の本拠と頭がわかり、頭と仲間をとらえることができた。つまり、最初に、庄八たちが、茂平を引き込みとして使って、弥勒寺に盗みに入ると平蔵が予想したのは、半分間違いだったが、庄八が盗賊であることはあたっており、結果的に、弥勒寺をターゲットにしたことは、後日その通りになったという、少々不規則な展開をしているのが、「鬼平犯科帳」としては、珍しいのだが、しかし、不自然な流れにはなっていない。意外性のある展開だ。
さてこの作品の面白い点は、いくつかある。
まずは、これまで書いたように、最初は平蔵の勘違いだったのが、実は、進行上、平蔵の予想に事実が近づいてくるという筋である。茂平が引き込みだったのではないかと、平蔵が勘違いしたのは、行き倒れになった老人なのに、何故か58両もの大金をもっていたこと、そして、自分が世話になっている寺の人ではなく、茶店のお熊に死の知らせを依頼したことからだが、茂平が大金をもっているのは、賭博に非常に強かったからで、賭博でためたお金だったのである。そして、庄八との関係は、実は親戚だったということだ。しかし、庄八が盗賊であることは、事実だった。しかし、以後事件になる前に、盗賊一味をとらえることかできたのは、茂平は勘違いだったが、庄八を疑い、厳格に見張りをつけて、旅に出れば、あとを追ってまで、正体を探ろうとしたからである。あやしい点がなければ、そこで打ち切ったのだろう。しかし、探れば探るほどあやしい点が出てきて、(越谷での逗留)しかも、茂平の代わりをいれたことで、平蔵の疑いは確固としたものになった。今度は、本物の引き込みだったのである。引き込みは、盗みに入るところに、事前になんらかの役割で住み込み(飯炊きとか女中)、内情を探って報告し、盗みの当日はなかから鍵を開けて、盗賊たちをなかにいれる役割である。人から信用されそうな、実直な人間を装うことができなければならない。茂平は、まさしくそういう人物だと、平蔵は見たのである。
庄八が疑われたのは、茂平が死を知らせてくれと頼んだからであるが、生前、ずっと前に分かれてしまった親戚の茂平に、偶然江戸で再会し、前にいろいろと面倒を見てもらったために信用し、茂平に自分の住所を教えていた。このことを、庄八は、取り調べのときに平蔵に、しみじみと語っている。盗賊である以上、親類であっても、自分の居所を決して教えてはいけないのに、教えてしまったために、こんな風に捕まってしまった、と。確かに、「鬼平犯科帳」に出てくる盗賊は、互いに居所を、ごくわずかな人間しか知らないままにしてある。個人情報管理は、盗賊でも重要なことだと思わせるところが面白い。
次は、お熊の生き方だ。70歳にしてなお矍鑠としており、平蔵の前でも遠慮のない言い方をする。しかし、千住にいって以来、夜は自分の店ではなく、五鉄に泊まる理由が、用心のためと言われて、次のような会話を平蔵とする。
「ほんとに、 おれ は ねらわ れ て いる のか え?」
「用心 を し て いる の だ」
「いっそ の こと、 妙 な 野郎 が 押し込ん で 来 て、 ひと おもい に 叩 っ 斬ら れ ちまっ た ほう が、 いい よう な 気 も する……」
「ばか を いう な」
「だって、 いつ まで たっ ても 死な ねえ の だ もの。 いいかげん、 生き て いる のに 飽い ちまっ た よ」
しかし、このあと、お前は役に立つ仕事をしてくれた、と言われて、元気を取り戻す。こういう裏表のない人間が平蔵を助けているわけだ。
そして、最後に、当時の寺の状況がよく出ていることだ。「鬼平犯科帳」には、寺が盗賊に狙われる話が他にもでてくる。たいていは高利貸しをしてお金をため込んでいるという想定だ。この弥勒寺もそのように思われたわけだ。というのは、江戸時代の日常的に起きる最大の災害は火事である。火事になると家ごと燃えるだけではなく、大規模に延焼する。財産が消失してしまうわけだ。ところが、寺は大きな敷地をもち、かつ墓地なども併設していて、林に囲まれているところが多い。つまり、火事に強い構造なのだ。そこで、寺に財産を預け、寺は預かった資金を元に高利貸しをするということが、平蔵の青年時代あたりから、江戸でさかんに行われるようになったという。これは、おそらく事実だろう。寺は、財産を預けた人には利子を払っていたという。つまり、銀行の役割を果たしていたわけだ。現在の日本の仏教の寺が、ほとんど宗教的情熱を失っていったのは、江戸幕藩体制の住民管理の末端組織になったからばかりではないようだ。