私の推す「鬼平犯科帳」ベスト4は「鈍牛(のろうし)」だ。知能の足りない亀吉が、放火犯にされて処刑寸前になっているが、長谷川平蔵が、濡れ衣をはらし、真犯人をつかまえる物語である。これが、実際にあった話かはわからないが、平蔵の父親の信雄が、火付盗賊改めだったときに、放火犯が捕まって、かなり真犯人である可能性が高かったが、それでも信雄は慎重に捜査をすすめ、犯人であることが疑いない状態になって、判決をくだした事実があるという。父信雄が優れた人物であったことの証拠として、よく引き合いにだされる事実である。この「鈍牛」は、そうした実話を念頭において、平蔵に重ねたのかも知れない。
平蔵が北陸に出張っている最中に、亀吉は、田中貞士郎という同心がつかまえた放火犯で、この田中同心は、まったく手柄をたてられずに、肩見が狭い思いをしていたので、大きな手柄だと平蔵も考え、「よかったな」と誉めている。中心的な同心と、そうでない同心という事実上の序列社会であることが、示されていることも興味深い。奉行クラスは、旗本が一応適材適所で選ばれていくが、こうした与力・同心は御家人で、しかも世襲であることが多い。したがって、能力差もかなりあったはずである。