岐阜市のホームレス殺害で考えること 匿名報道を

 岐阜でのホームレス殺害は、大きなショックを受けたが、その後、まるでお決まりのように、ネット上で容疑者の個人情報を晒す試みがなされている。しかも、今回は、同じ野球部員ではあっても、まったく事件とは無関係の者も、容疑者であると決めつける書き込みが拡散しているのだという。「岐阜ホームレス殺害事件 ネット上で犯人と誹謗中傷された朝日大の野球部員が訴訟検討」(https://www.msn.com/ja-jp/news/national/岐阜ホームレス殺害事件-ネット上で犯人と誹謗中傷された朝日大の野球部員が訴訟検討/ar-BB13FEiS?ocid=spartandhp)
 問題は3つある。 “岐阜市のホームレス殺害で考えること 匿名報道を” の続きを読む

自粛中の感染者が高速バス利用、ごみ収集について

 感染症対策として、全国を対象とした外出自粛などという、少なくとも現在生きている人たちにとってはまったく未経験のことが進行しており、いろいろなことが起き、かつ、見解の対立が起きている。対立がないにしても気になることが出てくる。
 まずは、感染を知りながら、そして、外出しないように要請されながら、高速バスにのって、実家から東京に移動した女性の件。羽鳥モーニングショーでは、罰するような規定を作るべきだなどという意見もみられた。これは、欧米のような罰則付きのロックダウンを可能にすべきという見解にもつながる。田原総一郎が安倍首相に会いに行って意見交換をした際、なぜ緊急事態宣言が遅れたのかに関して、安倍首相は、多くの人がロックダウンを主張したのだが、そういう私権の制限は現憲法ではできないと説得するのに時間がかかったというようなことをいっていたそうだ。本当かなと多少疑問に思うところもあるが、真偽にかかわらず、ロックダウンの権限を政府にもたせることは反対である。従って、この女性を刑事的に罰するようなことをすべきではない。ペットが心配という理由は、ペットなる存在が好きではない私には、到底理解できないが、個人にはそれぞれの価値付けがある。パチンコ問題もそうだが、自粛要請で、かつ、自粛したとしても充分な補償をしないのだから、強制することはできないし、また、できるとする法的規定を設けるべきではない。充分な補償をすることで命令できるならばよいともいえるが、もし補償をしっかりするならば、要請だけで充分な効果があるはずである。 “自粛中の感染者が高速バス利用、ごみ収集について” の続きを読む

北朝鮮情勢再考

 4月27日に、北朝鮮情勢について書いたが、その後大きな変化があった。27日には、金正恩が政治的には死んでいること、政治的に内部抗争が生じていること、その後混乱が起きる可能性があることを書いた。
 5月1日に、肥料工場の竣工式に出席するという形で、金正恩とする人が登場し、これまでの病気説、死亡説を覆したということに、一応なっている。しかし、それでも、その報道をそのまま受け取られない人たちも少なくない。そうしたさまざまな見解をチェックした上で、再度書く必要があると思った。
 登場した金正恩についても、実は多様な見方があり、登場によって「ひとつ」になったわけではない。
 ひとつは、替え玉(影武者)説であり、これも、既に昨年から影武者が登場していたとする説と、今回の人物は影武者だとする説がある。替え玉説にたつ人は、金正恩の鼻、ホクロ、耳たぶなどをさまざまな写真を検討することで、何人かの異なる金正恩なる人物がいて、その一人以外は替え玉である、そして、今回もそうだとする。もちろん、それぞれの写真を検討しつつ、明確な違いは認められず、単にたまたま太っている時期か違うか、写真を撮ったときの確度などで生じる程度の違いだとする説がある。ただ、たまたま私が今回チェックしたものでは、影武者説の人は、右目脇のホクロを強調していたが(ある写真とない写真がある)、本人説の人は、そのホクロは問題にしていなかった。 “北朝鮮情勢再考” の続きを読む

憲法記念日に考える

 今日は憲法記念日なので、憲法について少々考えたい。
 私は、憲法をずっと変更なく維持することに賛成ではないし、現在の憲法で変更が必要である部分はいくつかあると感じている。しかし、その多くは人権の部分のより充実であって、9条を変更する必要はないと考えている。護憲派は平和ボケだという批判があるが、むしろ、改憲派こそ平和ボケだと思っている。日本が戦後、各地の戦争に巻き込まれることがなかったのは、明らかに憲法のおかげであって、憲法があっても平和だったのではなく、憲法があったからこそ平和だったのである。もし、日本国憲法、そして第9条がなければ、ベトナム戦争に、日本はもっと深く関わり、軍隊を派遣せざるをえなかった可能性が高い。湾岸戦争で、「感謝されなかった」ことで、人をださなければならないなどという「反省」をしたが、私は妙な反省をしたものだと思う。クウェートは、湾岸戦争で自分たちを助けてくれた国に感謝の念を表明したが、日本がそこになかったことで、日本の政府関係者は大きなショックを受けた。日本だって大きな貢献をしたのに、と。しかし、日本は、アメリカに対して軍事費を提供したのであって、クウェートを直接援助したわけではなかった。だから、表のなかになかったとしても、別に不思議ではなかったのだ。むしろ、戦争行為に加担せずに済んだことをよかったと思う。 “憲法記念日に考える” の続きを読む

学校教育から何を削るか4 集団宿泊的行事

 日本の学校には、非常にたくさんの行事がある。しかもその目的が多岐にわたっている。ヨーロッパ的な公教育の目的からみれば、あまりに盛りだくさんのことが、学校、つまり教師に要求されていることになる。しかし、そうして多くのことを学校に求めることによって、教師の負担過重が起こり、その結果として、本来学校が果たすべきことが薄まってしまっているのが現実ではないだろうか。もちろん、行事は子どもたちにとって楽しいものであることが多いだろうし、思い出に残るものでもある。しかし、それがあまりに教師たちに大きな負担を強いるものであるとすれば、考えなおす必要がある。
 ここでは、集団宿泊的行事について考える。 “学校教育から何を削るか4 集団宿泊的行事” の続きを読む

北朝鮮情勢を考える ボートピープルへの備えは必要ではないか

 金正恩危篤、あるいは死亡の憶測が、さまざまなメディアで流れている。もちろん、正式発表がなされるまで、正確なことは、当事者の近くにいる者以外にはわからないわけだが、できるだけ公開されている情報を元に、何がおきていて、何が今必要かを考えてみたい。
 金正恩は、政治的には死亡していると思われる。4月15日と25日の極めて重要な行事に出席していないこと、これだけ死亡説が流布し、しかも、アメリカの有力メディアが報道しているにもかかわらず、北朝鮮がなんらコメントしていないこと、中国から2度に渡って医師団が北朝鮮に入ったと、かなり確度の高い情報として流れていること、米中韓の政府がいずれもこの点について沈黙を守っていることなどが、その根拠である。 “北朝鮮情勢を考える ボートピープルへの備えは必要ではないか” の続きを読む

発熱後4日待機ルールはなかった? 追求しない新聞は?

 Business Journalのホームページによると、新型コロナウィルス感染症対策専門家会議医院の釜萢敏氏が、4月22日の記者会見で、「受診の目安のとされてきた「発熱後4日間自宅待機ルール」に関し、「普段あまり受診されていない方でも体調が悪い状態が4日も続くようなら受診してくださいという趣旨だった」などと発言をして波紋が広がっている。」と報道されている。: https://biz-journal.jp/2020/04/post_153919.html
 ネット上では怒りの声があがっているようだ。私もびっくりしたが、不思議なことに、24日の段階で、朝日、毎日、読売、産経各紙のウェブ版には、このことは全く報道されていない。釜萢氏は、テレビなどにもでて、解説をしていた人だが、まさかこんな嘘をつくとは思いもよらなかった。今後もテレビにでるのだろうか。(25付けの毎日新聞に、釜萢氏へのインタビューが掲載されているが、この点については全く触れていない。質問もしていないのか。) “発熱後4日待機ルールはなかった? 追求しない新聞は?” の続きを読む

新型コロナウィルス専門家会議方針の矛盾

 大阪の病院で新型コロナウィルスに感染している看護師に夜勤をさせていたということが、大きな問題になっている。知事はあってはならないことだと非難しているし、保健所の検査も入ったようだが、好ましいことではないし、避ける必要があったのだろうが、この病院を非難することには疑問を感じる。ではどうすればよかったのかということだ。夜勤は必要であり、人を手配しようとしたがいなかった。だから、感染した患者が入っている病棟で仕事をさせたということだが、既に感染している人なのだから、仕方ないと考えたのだろう。
 おそらく、こうした事例は他にもあるし、今後どんどん起こってくるのではないかと考えられることだ。そして、そうした事態は、政府の方針によって引き起こされた面が強いことを考えなければならないし、方針が根本的に転換しない限り、今後もどんどん起きてくると予想されるのである。病院だっていいことだと思ってやっていたわけではないだろう。 “新型コロナウィルス専門家会議方針の矛盾” の続きを読む

NHKスペシャル 新型コロナウィルス瀬戸際の攻防をみて

 遅まきながら、録画していた上記番組を見た。政府の対策組織のなかのクラスター班の活動を追ったドキュメントである。確かに、クラスター班のひとたちが超人的な努力をして、なんとか事態を打開しようと奮闘していることは伝わってくる。
 しかし、もっとも基本的なところで、クラスター班の「論理」は破綻しているとしか思えなかったのである。それはどういうことか。
 ここに登場するひとたちは、中心的な押谷教授、西浦教授であるが、この班の共通の課題意識が、「経済活動を維持しながら、感染を止める」と語られている。クラスターという、それまでは耳慣れない言葉が普及したのは、このひとたちの努力によるのだが、ある場で複数の感染者が発生して、そのうちの感染者が他の人に更に感染していくという連鎖が生じた場をクラスターと呼んでいる。なぜクラスターと呼び、集団感染と呼ばないかは、専門家会議の尾見氏が、youtubeで説明していたが、インフルエンザなどだと、感染した人はほぼ全員が他の人に感染させるが、新型コロナウィルスは感染者のうち5人に1人程度しか、他に感染させないから、その感染させている人を追跡していけば、感染のルートが把握でき、拡大を防ぐことができるということらしい。ただ、その説明を聞いたとき、私はまったく納得ができなかった。そのyoutubeは山中教授との対談だったのだが、当然山中氏は、そのことについて理由を問いただしたが、尾見氏は、わからないと答えていた。わからないのに、そんなことが断言できなるのだろうかと不思議に思うが、とにかく、クラスター班はそういう前提で作業を進めていた。 “NHKスペシャル 新型コロナウィルス瀬戸際の攻防をみて” の続きを読む

学校再開はできるのか

 非常事態宣言の期限が近づいてきて、延長問題が今後検討されるだろう。しかし、学校の再開については、賛否両論を引き起こすような事態となっている。
 まず、富山で休校中の、臨時登校日に感染したのではないかと考えられるクラスターが発生した。他方、このままでは夏休みをなくして授業をする必要があるという意見がでている。公立小中学校は、今でもエアコンのない学校が多いから、夏休みに授業することは、まず無理だろう。コロナが終息していたとしても、熱中症で危険になる。思い切って9月新学年という構想もあり、私は、それを支持しているが、現実にはその方向にいくことはないだろう。とすると、このまま無作為にいくと、3月のはじめからずっとまともな授業を行っていないまま、ずるずると休校措置が継続していくことになる。 “学校再開はできるのか” の続きを読む