Law & Order の考察を始めるにあたって

 以前、アメリカのテレビドラマの Law & order をスピンアウト作品も含めて、大部分見たのだが、最近、見直している。鬼平犯科帳は、一通り、テーマとして扱えるものは終わった感じなので、今度は、Law & Order について、順次考えていこうと思う。アメリカの人気ドラマで、同一題名での最長記録と言われているようだし、(20年継続)、さらに、スピンアウト作品が、私の知る限り5つもあり、そのなかの性犯罪を扱ったシリーズも、20年に達している。とにかく、こんなに多い回数作られた連続ドラマは、他に例がないだろう。有名な作品だから、多くの人が知っていると思うが、これだけ続いたということは、やはり、社会のなかで存在意義がずっとあったということだ。内容の紹介と考察は、次回以降にするとして、日本のドラマとアメリカのドラマを、この作品で代表していいかは疑問だが、ひとつの特質としていえることがある。日本の刑事ドラマでの長く続いている代表は「相棒」だろう。そして、「相棒」は、いくつかの過去の作品からヒントをえているといえる。シャーロック・ホームズ、刑事コロンボ、そしてこのLaw & Order である。一番似ているのが、Law & Order だと思う。「相棒」は、刑事二人が相棒として活躍し、事件を解決していくが、Law & Order もドラマの前半はそういう構成になっている。しかし、ドラマの作成として、「相棒」は水谷豊が不動の主人公で、相棒は現在4人目であるが、変わっていく。しかし、Law & Order では、二人の刑事も、後半の主な担い手の検察二人も、3,4年で交代している。もっと長い人もいるが、とにかく、ずっと出ている人は、一人もない。つまり、「相棒」は、水谷豊という俳優が中心となる構成になっているが、Law & Order はあくまでも刑事二人と検察二人という構造が中心になっている。
 これは、かなり重要な違いではないかと思うのだ。
 10シリーズくらいまでは、「相棒」をかなり熱心にみていたし、録画もとって、繰り返しみたものも多い。しかし、ここ数年は、ほとんど見ないようになった。つまらないし、とにかく不自然なのだ。そういうことを気にしない人も多いのかも知れないが、そもそも20年近くまったく同じポストにいる刑事とか、警視庁の刑事部長も20年近くまったく変わらない、などという、現実にはありえない設定になっている。警察という機構は、同じ人が同じポストに長く留まることはないはずである。特定の俳優を前提にして、ドラマ作りが行われるから、こうした不自然さが出てくる。不自然さだけではなく、刑事という非常に体力勝負の仕事であるのに、60代の水谷豊は、どうしても動きが緩慢になって、スピード感がない。当初は、「相棒」の魅力は、非常にテンポのよい展開にあった。しかし、12、3シリーズから、スピード感の欠けたドラマになっていることが多い。また、同じ人がやっているから、どうしてもテーマがマンネリになっている。
 ところが、Law & Order のほうは、どんどん役者が変わっていく。変わる都合は、人によるだろう。人気がでて、他のドラマのより重要な役をもらったとか、病気になったとか、多様であるとしても、人としてマンネリになることはないし、また、刑事のありかた、捜査法の変化などもあって、マンネリにならずにすんでいる。そして、Law & Order という「番組」が中心になっており、そこに適材適所を当てはめているように感じる。
 例外はいくらでもあるだろうが、長く記憶にのこる名作ドラマは、役者よりも「内容」なのではないだろうか。ドラマの筋立てに深みがあって、それを名演技で表現した役者がいるとき、本当に優れたドラマがあるように思うのだ。Law & Order は、そういう意味でも希有のドラマであると思う。今後、時々紹介と考察を書いていきたい。
 余計なことだが、次の「相棒」は誰か、という話題が毎年のようになされるが、私は、杉下右京が転勤なり、死亡して、新しい刑事が登場するのがいいと思っている。そうしたら、また見る気になる。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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