日本教育学会9月入学否定論の批判1

 5月11日に予備的な声明がでて、早急に検討を経て、日本教育学会としての見解を表明するとしていた「声明」が22日に出た。報道では「日本教育学会」としての見解であるとされているが、正式文書では、「『9月入学・始業制』問題検討委員会」としての声明であって、学会としての総意ではない。メディアの報道も、誤解のないようにすべきであろう。詳細な検討を順次行うとして、まず最初に、全体としての認識枠組みについて、検討する。
 文書は、「第Ⅰ部 9月入学・始業実施の場合必要な措置と生じる問題」「第Ⅱ部 いま本当に必要な取り組みに向けて」という二部構成になっている。ここに典型的に現われているのだが、私がずっと不満に思っている教育学者たちの発想法の欠陥がある。
 いま議論になっていることに関する「問題点」を指摘する。その問題が生じないように、「現行」を前提にして改良案を提示する。その際、「現行」の欠点については、重視しない。
 これが、長く日本の教育学者を支配してきた思考パターンである。今回の声明の「目次」から、そのことを明らかにしておこう。
 第一部の細目は次のようになっている。

第Ⅰ部 9月入学・始業実施の場合必要な措置と生じる諸問題
1.9月入学の過去の議論で示されたメリット・デメリット
2.切り替えに伴う移行方式
3.実施に伴って必要とされる措置と予想される諸問題
4.家庭・家計や学校外活動など
5.社会との接続
6.必要な人員と財政
第Ⅱ部 いま本当に必要な取り組みに向けて
1.実効的に危機に対応しつつ持続的な学力保障を――はじめに ねらい、説明、構成
2.今、急いでやるべきこと/できること
3.「学びの遅れ」の心配に応える
4.「学力の格差拡大」の心配に応える
5.子どもたちへのケアの必要に応える
6.再開後の学校の大変さを支える体制づくり
7.大学や専門学校等の教育に求めたいこと
8.入試・就職の不安に応える
9.必要となる人員と予算
おわりに――夢と希望を作り出す学校へ

 まず、重要なことは9月入学のメリット・デメリットの確認だから、ここでも最初にそれを明記しているが、驚くことに、メリットは「国際化」しか書かれていないだけではなく、「国際化」のメリットはたいしたことはない、小さいものだとして、あとは、延々とデメリットが列挙されていく。第Ⅱ部で、時々、非常に小さなことのように、メリットが挿入されるのだが、それはむしろ現状の改良のほうがよいのだということを示すためのエピソードのように語られているにすぎない。つまり、はっきりしていることは、この委員会は、9月入学のメリットを、ほとんどきちんと検討していない。「国際化」ということを「留学」に矮小化しているが、では何故国際社会の多くが9月入学のシステムをとっているかについて、何も触れていないのである。9月入学が国際的慣行にあわせるのは、留学の問題だけではなく、国際社会が合理的に選択しているシステムに、日本もあわせるということなのである。これは、「原理的」な思考に関わる。
 私は、9月入学は、基本的にいつ学校を始めるのがよいのか、という原則的な問題であると、何度も指摘した。これは、一年間の学習サイクル、入学試験、就職試験等の時期設定、そこからくる学習の弱体化を防ぐこと、などの観点から、圧倒的に9月入学が合理的なのである。これを原則論で考えれば、ほとんどの人が同意するのではないだろうか。
 それに対して、4月入学を9月入学に切り換えるときには、かならず大きな負担が生じる。それは社会的にも、また個人的にも大きい。だから、よほどのことがない限り、変更は難しい。だから、移行論が出ては消えていたのである。しかし、今なら、その負担を極めて小さくしつつ移行が可能だからこそ、世論は賛成者が多い。
 次の認識枠は、原理的な発想をしない人は、「現行の欠点には目を塞ぎ、移行の欠点を過大視する」という特徴がある。目次をみれば明らかなように、第Ⅰ部は、移行するとどんな欠陥が生じるかを、詳細に提示ている。そして、第Ⅱ部で今必要なことは何かを論じているのだが、現行の欠点には目を塞いでいるというのは、ふたつの点で表れている。
 第一は、4月入学の欠点、そのものを扱わないことである。これは、9月入学の原理的な検討をしないことから、当然生じる姿勢である。
 第二に、9月入学をしなければ、3月修了を前提に必要なことをするということになるから、その無理については、触れないことと、今やるべきことを、9月入学論者がしなくてよいとは、いっていないのに、まるで、そこを九月入学論者は無視しているかのように、論じているのである。例えば、今必要なことのひとつとして、オンライン授業ができるような環境づくりだと書いてあるが、9月入学論者がそれを否定しているのか。どこまで緊急であるかは、人によって異なると思うが、おそらくすべての人が、オンラインの環境を整えることに異議を唱えないだろう。強固な9月入学論者である私は、3月に最後の教授会のあと、新年度には必ずオンライン授業が必要になるから、今から準備すべきであると、同僚の何人かに述べて、退職した。また、現場の教師とのやりとりでも、今できる範囲でいいから、オンラインのコミュニケーションを子どもたちととるべきであるし、可能ならば、リアルタイムの指導をすべきであるといっている。
 つまり、この第Ⅱ部で言われていることは、9月入学論にたっても必要であると認識されるのであって、決して対立するものではない。それを対立するように設定して、後者が大事だから9月入学は拙速するなというような提起をしている。これでは、大きな改革は、どんな場合でも否定されざるをえないだろう。
 続いて各論を検討していきたいが、まずは、「認識の枠組み」の問題を指摘した。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です