10万円の申請用紙が送られてきたが

 日本社会の生産性が低いことは、いろいろなところで指摘されている。そんなことを実感することが、コロナ騒動、とくに政府や自治体の対応でみられる。10万円の給付について、マイナンバーカード申請の混乱は、かなりニュースにもなった。オンライン申請なのに、紙のデータと照らし合わせるという、昭和と令和が組み合わさったようなやり方をとったために、大混乱になったわけだ。
 紙による申請に関しては、ほとんどニュースになっていないが、実際に送られてきた用紙を見て、実に驚いた。国民のほとんどに出された文書だから、よくわかると思うのだが、(地域によって、もしかしたら違うかも知れない)これは、住民登録の台帳に登録されたデータで、世帯主に送られ、そこに家族の名前が予め印刷されている。住所と名前が明記されているわけだ。そして、送金する銀行等のデータを記入して送り返すことになるのだが、実に驚いたことに、世帯主の本人確認ができるものと、銀行口座の番号がわかる通帳のそれぞれコピーを同封しろと書いてあるのだ。自分たちが、自分たちの管理しているデータベースで作成した文書、しかもそこに名前が予め印刷されている文書に、記入して送り返すのに、なぜ、本人確認が必要なのか。白紙の申請用紙に、名前や住所を書いて申請するのならば、本人確認が必要であることは理解できる。そして、口座番号を書かせるだけではなく、通帳のコピーまで必要とするという神経が理解できなかった。このようにコピーするということは、ほとんどの国民は、コンビニなどにいってお金をはらってコピーする。その時間と費用の無駄、そして、当然受け取った役所の人は、それをチェックするのだろう。その時間の無駄。そこまでやっているから間違いなくできるというかも知れないが、間違えたとしたら、当人が口座番号を入力ミスするしかないのだから、そのミスによって送金できなかったとしても、本人の責任であろう。ミスなど滅多にないのだから、そのミスをカバーすればいい。確認ミスだってあるかも知れない。
 つまり、この作業は、合計すれば、莫大な時間と費用と資源の無駄遣いを強いていることになる。
 こういうことは、日本の組織にはたくさんある。その典型は印鑑をおすことによって、業務を進めるやり方であるが、私の勤めている大学でも、大分前に廃止されたが、こういうことがあった。
 受験生の応募書類を、ミスがないか徹底的に調べて、ミスがあると受験生に連絡して訂正されるという作業をやっていた。そのために、応募期間が試験実施日よりも大分前に締め切られていた。こんなことは止めるべきだと、私は大分強く主張したが、これでミスをチェックするのだから、何が悪いのかという当局の対応で、これが廃止されるまでに大分かかった。(結局は廃止されたが)
 まず、受験生の応募書類の書き方に間違いがあっても、実はまったく困らない。当時は倍率も高かったから、受験生の1割程度しか入学しない。入学することになった者のデータは正確でなければこまるが、受験生ははいってくるかどうかわからないのだから、絶対に必要な城主などが間違っていなければ支障はないのだ。入ってこない膨大な受験生のデータをいちいちチェックするのは、相当な時間がかかる。そのために、応募期間を短くせざるをえず、それが応募者を減少させる要因になるわけである。その後大学間競争が激しくなって、こうした無駄は、応募者減になってしまうことが理解されて、廃止されていったが、実は、この手の無駄がまだまだあるといえる。無駄は、そのまま生産性を低下させることはいうまでもない。
 実際に、自分が経験していることでいえば、今、昨年亡くなった父の遺産処理をしているのだが、ものすごく面倒くさい。たいした額ではないし、母のときに初めて知ったのだが、戸籍を生まれたときに遡って収集しなければならない。高齢で死ねば、戸籍は何度も移動しているし、また、戸籍そのものが制度的に変わっている。私の父母の場合、ふたりとも、3カ所役所が変わっている。しかも、本籍の変更や婚姻による変更、そして、制度変更などによって、6種類の戸籍を集めなければならなかった。母のときには、そんなことはまったく知らないので、ひとつひとつ遡って申請し、なおかつ、同じところに戸籍があるのに、途中で制度変更になっていることを意識せずに、あとで指摘されたりとか、本当に苦労した。疑問は、この戸籍を全部揃えることが、遺産にとって、何の意味もないと思われることだ。そもそも、戸籍などという制度は、戦前日本に関係した4つの国にしかないと言われており、本来不要なものだと思う。まして、死んだときに残した財産と、生まれたときの戸籍に何の関係があるのだろう。まったく無駄なことを強制していて、その間の時間と費用とエネルギーの無駄さには、腹がたって仕方ない。私自身は、自分で戸籍を変更したことはないが、おそらく、私が死んだときには、4種類の戸籍が必要とされるはずである。4カ国以外では、こんな戸籍の収集など、相続にまったく不要なのだから、なくても済むものである。単に集めて提出させる以外の役割はないだろう。
 新型コロナウィルスの騒動で、日本社会のいろいろな面の改善が進めばよいが、生産性を低下させている要素をできるだけ合理化するという姿勢が必要だろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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