ティーレマンがウィーンフィルと録画したベートーヴェンの交響曲全集の制作過程をまとめた映像をみた。そのなかで、制作責任者であるブライアン・ラージの語っていたことが、とても気になった。ラージは、こうした映像作りも芸術であって、映像監督やスタッフは作品づくりをしているのであって、とくに監督はオーケストラの指揮者のようなものだというのである。
ラージは、ウィーンフィルのニューイヤー・コンサートの映像監督などもしているので、クラシック音楽好きの人には、なじみのひとだ。顔を見たのは初めてだった。
しかし、基本的に、私はこうした考えに基づく演奏会のライブ映像を好まない。間違っているというつもりはないが、私がほしいと思っている映像は異なる形のものだ。
監督によって、カメラワークが異なるので、年によって違うのだが、ニューイヤー・コンサートの映像は、非常にこまめにカメラが動くのが特徴だ。会場にワイヤーがはってあって、小型カメラがワイヤーにそって動き、飛行機やヘリコプターが飛びながら映しているかのような映像がよく見られる。NHKのコンサート映像には見られない手法だ。
単純な分類だが、ライブ映像の立場にはふたつあるように思われる。ひとつは、記録であるというもの。そして、もうひとつは、映像そのものが作品であるとするもの。
NHKの映像は、カメラはだいたい固定されており、カメラ自体が移動して撮影することは、ほとんど見たことがない。もちろん、指揮者を映したり、個々の奏者に焦点を当てたりする。フルートがソロを吹く場面で、フルート奏者に画面があわされる。それは、確かに複雑なオーケストラ作品を分かりやすく聴くためには便利である。とくに、実際のホールでは見ることができない指揮者の表情を、楽団員がみているようにみることができるのは、映像ならではだ。
しかし、ラージのような撮り方は、これとはまったく違う。おそらくカメラワーク自体が芸術制作であるという考えは、カラヤンによって提起されたと思う。
フルトヴェングラーやトスカニーニも映像作品を残しているが、あくまでも演奏会にカメラを持ち込んで、ニュース映画を撮るような形で撮影したものである。つまり、今進行していることを、映像と音声を同時に収録したものである。
これに対して、フルトヴェングラーのドンジョバンニの映像は、特殊なオペラ映画として制作されている。つまり、音をまず録音し、(これはライブ録音)あとで、音にあわせて演技をする。これは、ドラマの映画の丁度逆の撮り方だ。ドラマとして映画を制作するときには、まず演技をとり、演技にあわせて台詞をあとでつける。オペラ映画で最も成功した、カラヤン指揮の「バラの騎士」は、ドンジョバンニと同様な手法で制作された。そして、その手法をオーケストラの映像にも適用して、様々な実験を行ったのがカラヤンであり、その典型が、ベルリンフィルとのベートーヴェン全集の最初の映像である。これは、今見ると、とんでもない映像の連続といえる。通常のコンサートホールでの演奏に近いものは、4番と5番くらいで、あとは、とにかく、様々な仕掛け満載なのだ。それこそカメラが宙を動くとか、天井から真下を映すとか、オーケストラが、ものすごい階段状の舞台に乗っているとか。これらは、ライブの演奏とはほとんど無関係であったと思われる。
その後、いわゆるビデオの性能がよくなって、ライブ撮りが可能になっても、カラヤンは、ライブをそのまま撮影したものは、ほとんど許可しなかった。ライブで演奏するが、楽器ごとに特殊なアップ映像を、そのパートごとに撮影して(音にあわせたのだろう)入れ込む。カラヤンの指揮自体も、音にあわせて演技する。
若きサイモン・ラトルが初めてベルリンフィルの仕事をするためにホールにやってきたときに、こうしたカラヤンの撮影が行われていて、カラヤンが俳優のように指揮の演技をカットごとにやっているのをみて、不思議だったという感想を語っている。
カラヤンより若い世代の指揮者たちは、こうした撮り方はしなくなり、ライブ会場にカメラを複数おいて、複数行われる同じプログラムの演奏を撮影し、そのなかでよかった部分を採用して、さらにまずい部分を編集によって改善する。こういう方式になっている。そして、ラージのような個性の強い映像監督がかかわると、カラヤンがかつて行ったような、特殊な効果を狙って、カメラが動いていることを意識させるような映像になる。ラージ自身によれば、それこそ「芸術」だというのである。
しかし、私はこうした映像は好まない。ラージ流よりは、ずっとNHKのほうがよい。音楽を聴きたいのであって、カメラワークの妙を味わいたいわけではない。では、NHK的なもので、本当に満足かといえば、現在の技術の進歩を駆使した、もっと違う姿を望んでいる。それは、例えばオーケストラの演奏会の映像であれば、指揮者、バイオリン、ヴィオラ、チェロ、バス、そして、管楽器それぞれというように、各楽器群にカメラを固定して、それを見るものが選択できるという形。その選択肢として、ラージ的芸術映像があってもよい。DVDからブルーレイになって、そうしたことが可能になった。ワーグナーの「トリスタントとイゾルデ」のバイロイト映像で、指揮者と舞台を自由に切り換えられるものがある。私自身は、それを購入していないので、実際に経験していないのだが。4時間もかかるオペラで可能なのだから、せいぜい1時間半のオーケストラの演奏会では、ふたつくらいのセクションごとにまとめて撮れば、十分に容量的に可能だろう。そうすれば、実際に楽器を演奏している人にとって、すごく有意義な映像作品になる。
つまり、映像監督が勝手に、見る映像を決めるのではなく、視聴者がみたい映像を選択できる、そういう映像作品が、私はほしいし、そういう作り方が普通になってほしいと思っている。