民主主義を維持するコスト 京都アニメ放火犯の治療

 重度の火傷を負った京都アニメ放火犯を懸命に治療し、取り調べに耐えられる状況になったというニュースを知って、憂鬱な気分になった人も少なくないだろう。この容疑者、というより、現場で負傷していた現行犯なのだから、犯人であることが間違いないのだが、彼には確実な運命がまっていた。
 ひとつは、治療しなければ確実に死ぬということ。90%以上の激しい火傷は、まず助からないとされる。治療が成功したことも、かなり奇跡的であり、治療にあたった医療チームの高い技術と熱意があってのことである。
 もうひとつは、裁判にかけられれば、これまでの判例からみて、ほぼ確実に死刑になるだろうということだ。最高の医療を施さなければ確実に死ぬ犯罪者を、高額な税金と医療資源を使って治療し、裁判にかけて死刑にする。検察からすれば、動機を解明する必要があるということなのだろう。
 しかし、動機が明らかになる可能性は、私にはあまりないと思われるし、また、動機が明らかになると、何か積極的な意味があるのだろうか。今後このような事件がおきないようにするために、動機の解明が不可欠だとは思えない。こうした事件を起こす人が、まったく単一の様相を示しており、それを事前に解明できるのならば、動機の解明が役立つだろうが、こうした犯罪を起こす人は、多様な背景をもっているはずであり、この事件の動機解明が、他のことに役立つとはあまり思えないのである。だから動機を解明する必要がないということではないが。
 この事件からの教訓は、普段から危機意識をもち、少しでもクレームなどがあった場合には、その対策をとるという姿勢で、危機管理をすることが必要だということなのではないだろうか。地震がいつ起きるかどうかはわからない、科学的な地震予知はできない。しかし、地震への対策はできる。建築に関しては、最大限の地震に耐えられる基準を設定して、それに適合して建築する。地震が起きた場合の個々の対処を普段から確認しておく、避難所を整備する等々の準備を、常日頃からしておく以外にはないし、またそうすれば、予知に頼ることなく地震対策が可能になる。
 それと同じように、社会に向かって何かしている人、組織であれば、襲われる危険性は皆無ではないこと、また、事前のクレームのようなものがあれば、決して無視せず、準備をしておくこと、等が確実に実行されれば、たとえ攻撃されても、被害を最小限におさえることができるのではないだろうか。
 銀行やコンビニなど、強盗が入った場合の対応マニュアルや、防犯カメラなどは、きちんと整備されているはずである。それが抑止にもなっているし、また例え強盗に入られたとしても、被害を小さくおさえられ、犯人逮捕が速やかになる。
 では、この容疑者を治療すべきではなかったのか。
 確認しておくことは、医療チームの高度な技術と強い熱意があって、初めて治療がうまくいったのであって、その点について、医療チームの努力を高く評価すべきであろう。しかし、もし事件が今年起きたもので、コロナ対策で医療が大変な時期であったとしても、優先順位が高かっただろうか。日本では、議論だけであったのか、それとも部分的に行われたのかわからないが、欧米ではトリアージが、現実に行われていた。福祉国家スウェーデンでは、高齢者はICUでの治療はほとんど受けられないとされている。日本でも、かなり厳しく考えれば、PCR検査を受けられずに放置され、そのまま亡くなってしまった例は、トリアージされたといえなくもないのである。
 しかし、コロナ感染のずっと前に起きたことなので、治療が可能だった。
 容疑者の逮捕については、まったく別の点からの疑問も提起されていた。逮捕は、証拠隠滅や逃亡の恐れがある場合に、拘束する必要があるということでなされるわけだが、この場合、まだまったく動くことができないのだから、逮捕する必要はないのではないかという疑問である。ただ、この点については、一般の病院に入院しているはずだから、毎回そこに警察の車両を派遣して、警察署との往復をするというのも、病院にとって迷惑な話になるだろう。おそらく警察の管理する病室にいれて、取り調べをスムーズに行うために措置と考えれば、逮捕が合理的とも考えられる。あまりに安直に逮捕する事例が多いと、私も普段から感じているが、この場合には適切であるように、私には思われた。
 結論としては、容疑者の治療を否定するものではなく、民主主義の実行は、コストがかかり、覚悟が必要であるということを再認識したというだ。そのことを自覚した上で、民主主義は面倒だからやめようということではなく、民主主義を維持しなければならない。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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