アマゾンに用事があり、それが終わったあと、何気なく「お勧め商品」を見ていたら、岩波書店から『世界』創刊号の復刻版がでていることに気がついて、さっそく購入してみた。電子書籍と印刷されたものの復刻版の両方がでているが、印刷版が新しく組み直したものかどうかはわからない。電子書籍は、複数でている模様だが、私はKindle 版を購入した。
まず驚いたことは、私が前に買った『世界』は、通常の電子書籍のリフロー形式のものではなく、ページをそのまま構成したフィックス形式であったことだ。ところが、今回の復刻版は、リフロー形式であるから、すべてオペレーターが打ち直したのだろう。もっとも、AI利用のOCRを使ったのかも知れないが。復刻版なら、むしろそのままの再現をしてほしかったと思うのは、私だけではないようで、アマゾンのレビューもそんな見解があった。しかし、岩波書店としては、過去の記念というのではなく、現在でも通用する読物として提供したいという意思があったのではないだろうか。 “岩波書店『世界』創刊号の復刻” の続きを読む
イラン戦争は泥沼に?!
イラン戦争は泥沼的様相を呈してきた。何よりも近代社会が積み上げてきた戦争のルールを、まったく無視しているように思われることである。トランプは、自分には制約を受けるルールは存在しない、自分がやりたいようにやる、と言っているそうだが、実際にそれを感じるし、それは独裁的に振る舞っている他のひとたちも同じである。
戦争は、服従関係、領土関係などを主な対立軸として行われる。だから、一方が降参して、相手への服従を誓えば、戦争は終了するし、また、領土戦争も同様である。こうした目的によってひき起こされた戦争は、相手を徹底的に叩きのめしてしまうということは、その後の自分たちの支配の安定のためにはマイナスだから、避けるのが、一般的であったろう。領土を拡大するために侵略したとしても、住民を皆殺しにしてしまえば、そこから税を取り立てたり、兵役労役に借り出すことができなくなる。それでは領土を拡大する意味がなくなってしまうわけである。だから残虐といわれた民族でも、大帝国を築いた民族は、激しく抵抗されない限りは、占領地は寛大に扱うものなのである。その典型が、中国の帝国といえるだろう。その象徴が朝貢システムだ。 “イラン戦争は泥沼に?!” の続きを読む
読書ノート「天皇機関説事件タイフーン」平山周吉
「天皇機関説タイフーン」という、変わった題名の本は、当然天皇機関説のめぐる事件をあつかった書物だが、美濃部の弟子とされる宮沢俊義が晩年に書いた「天皇機関説事件」上下を材料としはいるが、より詳しく天皇機関説事件を扱ったものである。完全に学者肌で非政治的であったが故に、事態をさらに拡大混乱させてしまった美濃部と、より政治的で、ある意味軟弱な対応をして、戦後、その弱さを言われた宮沢の対比を軸として、そのまわりに、蓑田胸喜、清水澄、丸山真男、真崎甚三郎などの生き方を配置した、徹底した資料収集の上に書かれた力作である。かなりの分量の本だが、短時間に読んでしまった。そして、深刻な事件の叙述であるのに、笑ってしまうような場面もたくさんあって、楽しく読める。戦前の日本の歴史の展開点であった重大事件であるが、その裏を見るという意味でも、非常に勉強になった。 “読書ノート「天皇機関説事件タイフーン」平山周吉” の続きを読む
高市首相は9条に頼るか
高市首相の訪米にあわせて、トランプのホルムズ海峡防衛のための軍隊派遣要請を、日本はどうするのか、議論が高まっている。普段威勢のいいと思われるひとたちからも、絶好の機会だから軍艦を派遣せよというような声は、ほとんど見られない。せいぜい、トランプに強く言われたら断れないのではないか、という程度のものだ。つまり、積極的に派遣すべしという議論はほとんどないといっていいだろう。
イラン戦争はイスラエルとアメリカが勝手にはじめたものであり、国際法違犯という声も強い。イランが対抗措置をとるのは、仕方ないといえるのである。圧倒的に軍事力の弱いイランがとれる少ない対抗措置がホルムズ海峡の閉鎖だ。イランを攻撃すれば、その対応は確実なものとして予想できたものだ。 “高市首相は9条に頼るか” の続きを読む
トルストイ「戦争と平和」からウクライナ・イラン戦争を考える2
現在、世界の多くのひとたちが気にかけていることは、イラン戦争がいつまで続くのかという点だろう。この戦争は、石油の問題として、世界中に多大な悪影響をあたえる。だから、はやく終結してほしいと、ごく一部のひとたちを除いて願っているはずだ。一部のひとたちとは、アメリカの軍需産業、石油産業、そして、ロシアのプーチンだ。とりあえず、そうした一部のひとたちのことは無視して、終結を願う立場から問題を考えてみよう。
昨日との続きでいえば、トランプが終結を決断すれば、戦争は終わるのかという問題となる。トルストイはそうではないというだろうが、では、世界中の大多数の人びとが願っているのに、何故、トランプは早期に、つまり、最初の言明とはちがって、今のところ拡大しているようにみえる状況を作り出しているのか。
終結のパターンは限られている。トランプが「勝利宣言」をして、攻撃をやめるか、アメリカが地上軍を派遣して、イランを占領し、アメリカに忠実な政権を打ち立てて、退却するか、この二つしかないように思われる。しかし、どちらにしても、多くの壁がある。後者は、さすがにアメリカ国民が許容しないだろう。つまり、徹底的にトランプの支持率がさがり、中間選挙の敗北が確実になるような状況となるから、トランプとしては採用できない戦術だろう。 “トルストイ「戦争と平和」からウクライナ・イラン戦争を考える2” の続きを読む
WBC敗退、でも井端には感謝すべき
WBCで日本が敗れ、さっそく井端監督が解任されるという事態になっているらしい。
日本が負けたことについては、もちろん嬉しいわけではないが、ある意味自然なことだったようにも思える。真実のことかはわからないが、NPB側から、ベネズエラ戦での作戦の誤りについての指摘があり、その回答を井端監督に求めたという話がyoutubeで提示されている。解任しておいて、そういう説明を求めるというのも変な話だが、私には、どうも井端監督が気の毒に思われてならない。 “WBC敗退、でも井端には感謝すべき” の続きを読む
トルストイ「戦争と平和」からウクライナ・イラン戦争を考える1
一番好きな小説が、トルストイの「戦争と平和」で、今まで何度も読んだし、いまでも時々読む。通読しても面白いし、どこを読んでも退屈しない。歴史上の大事件(ナポレオンのロシア侵略と敗北)をあつかっているので、皇帝・貴族そして農民に至るまで多彩な人物が活躍し、壮大な歴史絵巻を描く一方、小さな事件に絡んだ人間のさまざまな感情が滲み出て、あきることがない。
しかし、当時からも、また現在でも、強烈な不満がのべられる部分がある。それは、戦争哲学を披瀝している部分である。随所に出てくるが、最後のエピローグ二部は、すべて歴史をどう見るかという考察にあてている。小説ではなく、完全に論文である。そして、結局のところ、トルストイの結論があまりよくわからない。 “トルストイ「戦争と平和」からウクライナ・イラン戦争を考える1” の続きを読む
ガソリンが爆上がりしている
一昨日車に乗っていたら、いくつものガソリンスタンドを通ったが、驚くほど素早くガソリンが値上がりしていた。もっとも高かったのが、レギュラーが189円だった。今はもっと高くなっているかも知れない。実際に原油の輸入が減少しだしたので、それが反映されているのか、便乗値上げがさっそくあらわれたのか、私にはわからないが、東日本大震災のとき以上のガソリン入手難になることは間違いないだろう。あのときは、道路事情でガソリンスタンドに石油が運ばれなくなったための品不足だったが、今回は、原油そのものが入ってこなくなっているためだから、そう簡単に値下がりしそうにない。トランプは、アメリカは石油が豊富にあるから、値上がりはかえって都合がいい、とのたもうているらしいが、国際的なリーダーとしての矜持は完全に捨てている、というより、元々ないのだろう。 “ガソリンが爆上がりしている” の続きを読む
震災の思い出もうひとつ、我が家のこと
昨日、東日本大震災に関連した文章を書いたが、ひとつ忘れていたことがあった。震災では、地震そのものによる家屋の損壊などは非常に少なかったようだが、私は自分の家が倒れなくて本当によかったと思った。もちろん、きちんとした耐震構造の家として建っているので、そういう心配はそもそもないのだが、建築過程で非常に大きな問題に遭遇していたのだ。それを無事解決していたからこそ、震災で問題がなかったわけで、そのとき気がつかずにそのままだったから、震災で損壊していた可能性があった。 “震災の思い出もうひとつ、我が家のこと” の続きを読む
311のふり返って考えること
昨日は、311東日本大震災から15年目の日であった。多くの人、とくに東日本の人びとは、あの日の思いをもっているだろう。とくに被害を受けた人びとにとっては、重い記憶、いやまだ記憶ではなく、現実として背負っている人もいる。
私自身は、被害というほどのものをうけていないが、やはり、いくつもの思いをもってきた。
あの3月11日、私はふたつの仕事をしていた。ひとつは、年度末に提出しなければならない研究費の精算の書類を作成していたことである。これは、領収書などをたくさんおいて確認する必要があったので、自分の研究室ではなく、小さな演習室で作業をしていた。このことは、あとで実に幸運だったと思わずにはおられないことであった。というのは、私の研究室は、大学内で最大の被害状況になったためだ。後日理事長が確認にきたほどである。というのは、研究室は元々は、一方の壁にきちんと留められた形で大きな本棚があった。これは耐震対策が施されていた。この本棚では不足するひとたちは、各自で別の本棚を調達して、もう一方の壁に据えていたのだが、私はそれでも足りないので、研究室の中央に二列、大きな本棚を設置していて、全部で本棚が14ほどならんでいた。そのうち10個は、当然おいてあるだけだった。この3列の本棚が地震で倒れたのである。もちろん、本がぎっしりはいっていたから、棚が倒れただけではなく、本が落ちて、研究室のドアから窓際にある机まで、ずっと1メートルほど本が積み重なる状態になっていた。本をとにかく外にだして、倒れた本棚をおこす作業ができるまで1週間以上かかってしまったのである。地震のときに、研究室で書類整理をしていたら、どうなっていたかわからない。私が大怪我したとか、死んだとかの噂が一時あったとも聞いている。 “311のふり返って考えること” の続きを読む