Black Box Diaries 問題を考える

 伊藤詩織氏が自らの性被害の経験を映画として制作し、日本以外の数十カ国で上映されているにもかかわらず、日本での上映が困難となっていることについての議論がなされている。私自身は、この映画をみていないし、また、詳細を追いかけているわけでもないが、極めて重大な論点があるので、考えてみたいとおもった。
 事態がジャーナリスティックに大きな話題となったのは、以前から問題になっていた、この映画における「情報許諾」について、許諾を受けていないという批判記事を書いた望月氏を、伊藤氏が名誉毀損で提訴すると公表したことがきっかけとなったように、私には思われる。私自身が、それ以前の状況について、ほとんど知らなかったということもあるかもしれない。
 そして、伊藤氏の性加害訴訟で弁護団を組んでいた弁護士たちが、この映画の許諾問題で、伊藤氏と袂を分かち、批判の側になっており、記者会見を開いた。時間差で伊藤氏側も同じ場所で記者会見を開くはずだったが、体調不良を理由に欠席し、伊藤氏側に不利な状況になっているように感じる。

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トランプは独裁者になりたいのか

 トランプの最近の行動をみていると、独裁者として振る舞いたいという衝動・欲望を感じざるをえない。結局、プーチン・周恩来と3人で世界を支配したいのか、という疑念がどうしても湧いてくる。中国を封じ込めるなどと言っているが、結局のところ、トランプは習近平とは必ずしも犬猿の仲という関係でもない。プーチンとの仲は以前からのものだ。金正恩を「いいやつ」と表現していることでもわかるように、トランプが気に入っている人物は、とにかく独裁者かそれに近い人物ばかりである。安倍晋三もその一人だ。にもかかわらず、ゼレンスキーのことを「独裁者」などと決めつけているのだから、呆れてしまう。

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1円硬貨廃止問題

 トランプが1セント硬貨の廃止を主張していることが、波紋を呼んでいる。具体的にどのように廃止するのかが明確ではないが、日本でも1円硬貨は廃止すべきだと思っている。ただし、廃止後のありかたが問題である。
 私が1992年から1年オランダに滞在したときに、実は、オランダでは1セント硬貨が廃止されていた。ただ、その後ユーロ貨幣がだされた段階で、その方式も終わりになり、現在ユーロでは1セント硬貨があるはずだ。

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フジテレビ問題あれこれ

 フジテレビの問題はいっこうに収まる様相ではない。いろいろと考えるところがある。古くなってしまった話題が多いが。
 
 文春の「訂正」には驚いた。驚いたのは、文春が、厳密にいえば誤報したわけではない記事について、間違っていたと訂正して、謝罪したことに驚いたことと、文春が誤報していたことで、まるで中居問題やフジテレビ問題が一挙に収束にむかうかのような発言をする人たちがいたことだった。
 文春の訂正の趣旨は、第一報では、A氏が中居宅での食事会にXを誘ったと書いたが、それは誤りで、実は中居氏が誘ったのだ、という趣旨だった。しかし、もともとの記事を丹念に読めばわかることだが、そして既に文春自身がその後の説明をしているように、A氏が誘ったとは書いていないのであり、誰が誘ったのかはあいまいに書かれていた。そして、第二報で中居氏が誘ったと明確に誘い主を特定する記事になっていたのである。だから、「A氏が誘った」とは書いていなかったし、更に、第二報ではあるが、誘ったのは中居氏であったことは、きちんと書かれていたのだから、実は訂正するようなことではなかったのである。ただ、橋下氏がさかんにテレビで語っていたので、とにかくことを収めようとして、「訂正記事」を書いたのだろうとおもうが、ただ、テレビのワイドショーのコメンテーターには、文春をきちんと読んでいるとは思えないような、文春批判をしている人が散見されたことは、彼等の「知性」を示しているようで、興味深いものがあった。

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フジテレビやり直し会見の不毛さ

 おそらく前代未聞の会見だったのではないだろうか。もしかしたら、大学紛争時代の「大衆団交」なるものには、こうしたもの、あるいはもっと怒号が飛んだ会見があったかもしれないが、公共放送で生中継され、それが10時間半も続いた会見などは、まずなかったに違いない。しかも、フジテレビは、それをまったくコマーシャル無しで、ノーカット放映した。フジテレビなど、ここ20年以上みたことがないが、フジテレビが潰れるかどうかを注視しているので、この会見は、すべて見た。16時にはじまり、終りは午前2時半だった。途中10数分の休憩があったが、会見中は壇上の人は、だれもトイレ退出することなく、ずっと座っていたから、終盤は半分頭が働かないような印象をあたえるほどだった。その頃は、半分以上の記者たちは帰っていたから、壇上の役員たちにとっては、かなりつらいものだったに違いない。自業自得といえば、それまでだが。
 
 さて、具体的な場面の映像がyoutubeで多数流れるだろうから、詳細は省くが、全体として感じたことを書いておきたい。
 まず感じたことは、壇上の経営陣たちが、とにかく我慢強く、決して声を荒らげることなく、内容はともかくとして、最後まで答えていたことについては、正直感心した。記者たちを挑発的に怒らせることを絶対にしないように、という事前の確認があったのだろうが、針の筵にいるような10時間を堪えたということについては、さすがに「高齢者」たちだと驚き、これを、最初の記者会見でやっていれば、その後のCM騒動もおきなかったのに、と彼らのためにも残念に感じた。

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カラヤンのニューイヤー・コンサート

 久しぶりにカラヤン指揮のウィーン・フィル、ニューイヤー・コンサートのDVDをみた。実は、これまで最初から最期まで一時に見たことはなかったので、全部見たことによる思わぬ発見がいくつかあった。そして、部分的に違和感も感じたが、やはりカラヤンはウィンナワルツでも超一流であり、さすがオーストリア人である。 “カラヤンのニューイヤー・コンサート” の続きを読む

2025ニューイヤー・コンサート がっかりした

 毎年1月1日にウィーンフィルのニューイヤー・コンサートをテレビでみて、翌日録画をステレオで聴きなおし、感想をブログに書くという習慣が続いていたが、今年はなかなかそういう気分にならなかった。あまりにコンサートの出来にがっかりしたからである。昨年のティーレマンにもがっかりしたが、今年はそれ以上だった。いかに注目に値する演奏会にするからといっても、このようにウィンナワルツを指揮するのにふさわしくないような「スター指揮者」を起用するのをやめたらいいのではないかとまで思った。(もちろん、ムーティは大指揮者であり、私は大方の録音をもっているから、ムーティの偉大さは充分に認識しているが。)

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「指導死」の記事

 ヤフー・ニュースに「指導死」に関する記事が掲載されていた。
 「【なぜ】息子の死は『指導死』か否か…大阪の有名進学校でカンニング後に自殺 「適切な指導だったのか」遺族らの悲痛の訴え 過去にも約100件の“指導死” 問われる教育の在り方」と題する記事があった。【なぜ】息子の死は『指導死』か否か…大阪の有名進学校でカンニング後に自殺 「適切な指導だったのか」遺族らの悲痛の訴え 過去にも約100件の“指導死” 問われる教育の在り方(読売テレビ) – Yahoo!ニュース
 カンニングと喫煙をして、厳しい指導があったあと、自死した例であった。共に高校生である。この記事は、「指導」について考えるものだが、私は、カンニングについて考えてみたい。私は大学の教師だったが、やはり、カンニング対策をしたし、実際にカンニングを見つけたことが数回あった。35年間の教師生活での数回だから、圧倒的に少ないといえるだろう。ほかの先生たちは、もっと多くの経験をして、かつ、厳しい対応をとっていたように思う。大学生が対象だから、多少受験を控えた高校生とは異なるだろうが、しかし、基本的考えかたは同じではないかと思うのである。

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フジテレビは免許取り消しすべきではないか

 テレビはほとんど見なくなっており、ニュースなどもネットでチェックするようになっているが、ネット、とくにyoutubeをみていると、テレビのオワコン化の話題が頻繁に出てくる。そんなときに中居正広の事件が起きた。これもyoutubeでは沸騰しているが、テレビではまったく扱われていないという。そして、更にテレビのオワコン化の主張が強くなっている。今回はとくに、単にテレビの人気が衰退していくということではなく、フジテレビが存亡の危機に陥っているという点が語られている。
 私自身は、中居氏にはまったく興味がないし、引退するしかないだろうと思っているが、フジテレビのほうこそが、今回の大きな問題であると思っている。結論的には、フジテレビの放送免許を剥奪すべきであると思っているが、放送関連の法律を若干調べてみたところ、こうした不祥事で免許取り消しという項目はあまり見当たらなかった。人事、資金、放送内容などで免許取り消しはあるようだが、局員の不祥事では取り消しの対象にならないとしても、この事件に強い危機感をもった人の多くは、やはりフジテレビの存在そのものを否定したい気持をもっているだろうと思う。

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松戸市民コンサート2024

 私が所属する松戸シティフィルと年末の市民コンサートのために毎年新しく結成される合唱団との合同演奏会「松戸市民コンサート」が昨日行われた。曲目は、ブラームスの「大学祝典序曲」、芥川也寸志の「交響管弦楽のための音楽」、そして、メインがモーツァルトのレクイエムだった。松戸の市民オケの魅力は、この年一回の合唱曲の演奏にある。多くの市民オケには、こうした演奏会はないと思う。ただ、毎年だいたい宗教曲かベートーヴェンの第九なので、ほんとうはオペラがやりたいのだが、オペラの上演は演奏会形式であっても、とにかくソリストの数が多いので、なかなかとりあげるのが、財政上難しいようだ。それから、合唱団としても、宗教曲は、歌詞はそれほど複雑ではなく、だいたい決まった文言の繰り返しが多い。そして、曲が違っても、歌詞はそれほど大きくことなることはない。しかし、オペラはなんといっても、その筋にあった言葉で作曲されているわけだから、宗教曲のほとんどがラテン語であるのにたいして、言語もドイツ語、フランス語、イタリア語と多彩だ。そういう意味で、オペラの演奏は難しいのだが、なんとか、このオーケストラ在団中に一度はやりたいものだ。なんといっても、西洋クラシック音楽の最大の魅力はオペラにあるわけだから。

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