フジテレビの問題はいっこうに収まる様相ではない。いろいろと考えるところがある。古くなってしまった話題が多いが。
文春の「訂正」には驚いた。驚いたのは、文春が、厳密にいえば誤報したわけではない記事について、間違っていたと訂正して、謝罪したことに驚いたことと、文春が誤報していたことで、まるで中居問題やフジテレビ問題が一挙に収束にむかうかのような発言をする人たちがいたことだった。
文春の訂正の趣旨は、第一報では、A氏が中居宅での食事会にXを誘ったと書いたが、それは誤りで、実は中居氏が誘ったのだ、という趣旨だった。しかし、もともとの記事を丹念に読めばわかることだが、そして既に文春自身がその後の説明をしているように、A氏が誘ったとは書いていないのであり、誰が誘ったのかはあいまいに書かれていた。そして、第二報で中居氏が誘ったと明確に誘い主を特定する記事になっていたのである。だから、「A氏が誘った」とは書いていなかったし、更に、第二報ではあるが、誘ったのは中居氏であったことは、きちんと書かれていたのだから、実は訂正するようなことではなかったのである。ただ、橋下氏がさかんにテレビで語っていたので、とにかくことを収めようとして、「訂正記事」を書いたのだろうとおもうが、ただ、テレビのワイドショーのコメンテーターには、文春をきちんと読んでいるとは思えないような、文春批判をしている人が散見されたことは、彼等の「知性」を示しているようで、興味深いものがあった。
オープンの、10時間以上にわたった記者会見は、前に書いたように、最初から最後まで見ていた。途中はどうやって終わらせるのか、という一点に興味があったからずるずると最後までみてしまったのだが、壇上にいた取締役たちは、もっとなんとかできなかったものか、という声が圧倒的に多かったようだ。しかし、いかなる意味でも、記者会見で、記者たち、そして、視聴者たちを納得させる内容の発言をすることは、あの取締役たちには不可能だったといえる。そういう意味では、まったく違った形での記者会見のみが、事態を収める方向を可能にしたのだということだ。そして、それはまだ実現していない。
なぜ、納得させることができないといえるのか。
それは、彼等が話す内容は、基本的には、まったく逆のふたつしかないということ。ひとつは、「真実」「事実」を語ること。そして、もうひとつは、「嘘」を語ること。
もし、真実や事実を語れば、フジテレビ経営者たちの、明らかな人権無視と違法行為を明確に示すことになるのだから、その場は、大紛糾することになっただろう。もちろん、記者たちがそのまま、「そうだったんですか」などと納得するわけがない。
また、嘘をつけばどうか。これが実際に語られた内容であったわけだが、それは、あの場でも記者たちの反応をみればわかるように、それが「嘘」であることは、完全に露呈していた。露呈していたからこそ、10時間も粘られたわけだし、また、終わった段階で、記者会見で納得がえられたという雰囲気はまるでなかった。
つまり、真実を語っても、嘘で誤魔化そうとしても、どちらにしても、納得できる会見になど、最初からなりようがなかったのである。
では、どのような会見だったら、記者たちがある程度納得し、また、スポンサーが戻ってくる可能性を切り開いたのか。これも自明のことで、多くの人が考えていることだろうが、責任あるポストにある人が、早急に全員辞任し、外部から有能な経営者を招聘し、役員に事件とまったく無関係な若手を起用することを、明確に示すことが、最低限必要だったろう。そういうことの発表の場とすれば、雰囲気はがらっと変わったに違いない。いかなる形であっても、「説明」して納得させることは不可能だったのである。いずれ彼等は辞任せざるをえないのだから、そのような形での辞任を演出すれば、彼等の名誉も守られたに違いないとおもうのである。
これに関連して、中居氏や松本人志氏の記者会見を求める意見が強いが、私は、必要ないと思っている。少なくとも、中居氏は引退し、松本氏は事実上の引退情態にある。ここで記者会見をすれば、ただただつるし上げられるための会見になる。いくらなんでも、それは酷ではないだろうか。記者会見が必要だというのは、彼等が公共電波を使用するテレビの仕事を、今後も続けたいという場合である。それは、テレビが公共電波を国によって認可されて使用している媒体だからである。youtubeなどで活動をしていくというのであれば、会見は不要だとおもう。彼等にとって、テレビに出られなくなることは、それ自体としてかなり大きなペナルティなのだから、それで充分なのではなかろうか。
フジテレビの過去の暴挙がいくつも暴かれているが、そのなかで、驚いたのが、老人に、火がついた敷物の上を裸足で歩かせる、という番組があり、大火傷をした情態なのに、病院につれていかず、ただ自宅に送って、放置し、その後重態となって、入院がつづき、数年後に亡くなったという事件である。常識では信じることすらできないような酷いことだが、私自身が、聞いていた番組で、これほどのことではないが、基本的には同じ問題だと感じることがあった。それは、文化放送のラジオだったのだが、男女のアナウンサーが対談していて、熱湯に近いお茶を、ぐっと飲み干すということをしようという内容だった。男性側が比較的ベテランのアナウンサーで、それに対して、女性のアナウンサーが、しきりに「飲みましょう、飲んでください」とけしかけるような感じだった。当初、男性アナウンサーは、自分にとって喉は職業上の大切な部分なので、そこに悪影響を与えるようなことはしたくない、と強く抵抗していたのである。しかし、まわりもはやし立てるような感じて、その女性アナウンサーがしきりに要求するのだ。結局、男性アナウンサーが、熱湯のお茶をのみ、ひどく苦しそうになっていた。
私自身、熱いお茶やコーヒーを飲まないことにしており、必ず冷ましてから飲むので、その男性アナウンサーの気持はよくわかるし、ぜったいに拒否してほしいと思いながら聞いていたのである。だから、実際に飲んでしまったときには、はやし立てているひとたちに本当に怒りを感じた。
このような、人に苦痛を与えて喜ぶような文化が、こうした放送をやっている人にもあるのかと思って、そのことは、今でも鮮明に覚えているのである。それから、その番組は聞かなくなったし、何十年も前のことなので、今は番組自体がない。だが、こうした文化は、学校でのいじめの芽をつくりだしていることは、充分に考えられる。今回のフジの騒動をみていると、公共性をもったメディアでありながら、本当に無責任な人たちが牛耳っている部分があるのだと、憤りを感じざるをえない。