103万円の壁や106万円の壁が議論されている。しかし、この議論にどうも違和感を拭えない。103万円の壁を高くしようという議論は、結局、課税されない範囲でしか働かない原因になっている壁を多少とも高くして、働く時間を多少なりとも増やそうとしているわけだが、賃金の上昇を求めている状況では、結局、働く時間などそう増えないことも起きるわけである。そうして税収だけは確実に減ってしまう。さらに、社会保険にかかわる106万円の壁がからむと、同じように処理すれば、社会保険の収入が減ることになり、健康保険や年金の財源の減少となってしまう。つまり、今の議論をみていると、結局、パート労働者の労働時間はそれほど増加せず、社会の側で必要な財源が減少してしまうということになりはしないか。それがほんとうにいいことなのだろうか。
私自身は、そもそも、課税されない限度があるということに、あまり賛成できないのである。つまり、働いて収入がある以上、収入に応じて税金を払うのが、国民として当然なのではないかと思う。そんな酷いといわれるかも知れないが、現実の税制度が合理的であるとは思えない。
かなり単純化した言い方になるかも知れないが、問題になっているのは、基礎控除と配偶者控除が主なものだろう。
そもそも基礎控除とはなにか。所得税とは、えられた収入にたいしてかかる税だが、収入額全額ではなく、その収入を得るために必要だった経費を除いた額にたいしてかかるものである。ところが、雇用者にたいしては、最初からその控除額を収入に応じて決めてしまうのである。欧米などでは、実際にかかった経費を差し引いて、所得を決める方式をとっている国もある。というより、むしろ歴史的にはそうした方法からはじまったはずである。それが、日本の場合早く、そうした経費をかってに税当局が決めて、それを基礎控除としているのである。そのことによって、雇用者は自分て領収書など保存して計算する手間が省けるという利点はあるが、実際にはもっと多くの経費がかかっている場合もある。このやり方は、源泉徴収方式とあいまって、国が税を徴収することを確実にできるし、さらに、国民に納税者意識をあまり感じさせないという政治的効果があるとされている。日本人の多くが、納税者意識が弱いのは、この基礎控除と源泉徴収制度によるといえるのである。現在はそれでも納税者意識が向上しているが、それは消費税のためである。やはり、雇用者でも、自分で経費を計算して、納税額を計算して、自分で納税する、そうすることが、民主主義国家としての主権者として適切な方式だろう。もちろん、めんどうだから、現行でよいという人は、そういうやり方も認めてよい。予め前年度にどちらの方式をとるかを届けることにすれば、それほどの混乱はないだろう。
それから、配偶者控除というのは、女性が結婚したら、主婦となって子育てをするという生活様式を前提にした制度といえるだろう。配偶者が働いていなければ、その分生活費がたいへんだから、その分税で考慮しようということだ。しかし、現在の日本のように、圧倒的に労働者不足であるのに、103万の壁などで、労働時間を短いものにする、パートで働くなどという状況こそ克服する必要があるのに、その基本問題を視野にいれないで、壁を多少高額にするなどというやり方では、社会全体の問題を解決することはできない。
やはり、国民は、特別な事情がない限りは、原則として働くというシステムを前提に、税制度は考えるべきなのである。そして収入に応じて、合理的な税率、当然累進課税を決めればよい。収入が非常に低い場合には、非常に低い税率にすればよい。特別な事情があって労働できない者には、その特別な事情故に、特別な援助を制度化する必要がある。全員が働くことを前提とした制度にすれば、「壁」などという問題そのものが解消されるのである。