今年も箱根駅伝が盛り上がったようだ。私は熱心な観戦者ではないが、食事時間とかなり重なるので、そのときには家族と一緒に見ている。食事が終わっても、多少は延長しているが。
箱根駅伝は、いろいろな意味で考えさせる側面をもっている。私は私立大学に勤めていたので、私立大学にとっての箱根駅伝を考えることがよくあった。なんといっても、箱根駅伝に出場することは、私立大学の営業にとって、非常に大きな利益をもたらす。受験シーズンが始まる時期に、2日間、合計10時間テレビで大学名が連呼されるのだ。そして、今や箱根駅伝で記録をつくったりする選手は、大学ではスターなのだろう。ある大学では、初めて箱根駅伝に出場したあと、受験生が2割ほど増加したという。だから、名前を売り込みたい大学は、かなりの特典を与えて、有力選手を集めることになる。スポーツ推薦の形だが、おそらく、スポーツ推薦で最も効果が高いのが箱根駅伝なのではないか。大学スポーツで、短期間にこれだけ集中的にテレビ中継されるものはないと思われる。
しかし、こうしたやり方は、一部の選手のために、大部分の学生の納入金をそこに使うわけで、実は、本当に必要な教育整備等を貧困にしている可能性がある。私の大学では、一切スポーツ推薦制度はなかったので、会計が明朗だったが、スポーツ推薦が多く実施されている大学の会計は、かなり裏があるのではないかと疑っている。
そうしたことへの注意喚起なのかはわからないが、今回の大会では、応援規制が行なわれたという。「箱根駅伝の新ルール「大学名の掲出禁止」相次ぐ“違反指摘”の一方で青学・原監督は「駅伝文化の劣化」と不満」という記事があった。(URLは末尾)
沿道で応援するひとたちが、幟、旗等々で、大学名をだしてはならないというルールが設けられたが、あまり守られなかったという記事だ。そして、青山学院の原監督が、そうしたルールへの批判をしていると書かれている。そのルールについては、まったく知らなかったが、片道100キロに近い距離の沿道に、自発的に見物にくるひとたちに対して、そうしたルールを守らせることは、可能には思えないのだが、どうだろうか。当該大学の学生たちに対して、大学が守るように指示したとしても、徹底するとは思えないし、まして、卒業生は、とにかく応援にきたひとたちに対しては、どうやってルールを徹底させるのか。どこかに広報をだしても、読まれる保障はほとんどないだろう。
そして、応援する側からすれば、大学名が入っている幟、旗を見せることが、応援になると信じているはずだ。実際に選手たちは、インタビュー等で沿道での応援が力になったと語っている。また、大学としても、大学名が書かれた旗がテレビの画面に映れば、大きな宣伝効果があると考えるだろうから、本気で禁止ルールを守らせるようにも思えない。大学の生き残り競争の激しい現在、箱根駅伝に取り組んでいる大学は、宣伝手段として考えているのだから、そのひとつを止めろと言われても、本気に禁止しようとは思わないだろう。原監督が率直に語っていることでもわかる。だから、そもそも実効性のないルールという気がするのである。
私が箱根駅伝に感じる違和感は、別のところにある。原監督が別の記事で語っていたことだ。ある高校の選手をとろうとしたときに、その選手をよく知る人が、彼をとったら、チームがめちゃくちゃになるよと忠告されたのだそうだ。しかし、その選手の実力は抜群だったので採用したが、結局忠告のように、チームが崩壊状態になってしまったのだそうだ。実力はあるが、自己中心的な性格だったので、他の選手と協調することができず、反感をかったようだ。そこから、走る力はそこそこでも、性格のよい人を採用することにして、その結果強いチームをつくることができたという。
しかし、何となくすっきりしない感じを受けた。もちろん、まったく自己中心的で我が儘の者は、チームにとってマイナスになるだろうが、非常に優れた力量をもっているならば、厳しい練習を実践しているのだろうし、自己鍛練を厳しいものがあるはずであり、そうした面を周囲も認めて、かつ模範とするような雰囲気であれば、よい効果をもたらすのが通常だろう。そういうことを評価できないような印象を受ける。あるいは、自分を殺して、集団に同調する選手がいいかのような感じもする。そうなのだろうか。
もうひとつこの話で驚くのは、原監督が採用を決めると、大学にも自動的に合格するのだろうかということだ。私の勤めていた大学では、スポーツ推薦制度がなかったので、他大学がどのような仕組みなのかわからないが、入学する学生を決めるのに、部活のコーチが大きな権限をもっているとしたら、受け入れる学部の教員たちは、異を唱えないのだろうか。
最期に、さんざん言われていることだが、関東の大学しか出られない駅伝なのに、全国大会より大きく扱われるのは、おかしなことだ。箱根駅伝が、箱根という走者にとって極めて過酷な部分を含んでいるために、注目される意味もわかる。やはり、参加資格を全国に拡大すべきだろう。