ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート メストこそベスト

 今年のウィーン・フィル、ニューイヤーコンサートはフランツ・ウェルザー・メストの10年ぶりの登場だった。メストは、ウィーン国立歌劇場の音楽監督を、シーズンが始まったばかりの時点で辞任するという、いささか感心しない行動にでたため、10年の間があいてしまったのだろうか。その後国立歌劇場には出ていないはずだ。しかし、不思議なのは、カラヤンもウィーンのオペラにはでないのに、ザルツブルグには出ていたのと同様、メストもザルツブルグ音楽祭でのオペラ上演の中心になっている。

 今回メストの指揮で、ニューイヤーコンサートを聴いて、やはり、ウィンナ・ワルツはメストこそベストと実感した。毎年メストに振ってもらいたいとさえ思う。このコンサートを始めたクレメンス・クラウスも、引き継いだウィリー・ボスコフスキーも毎年振っていたのだ。マゼールも、毎年振っていて、降りたのは、彼が国立歌劇場とのトラブルでその音楽監督を辞任したからだ。おそらく翌年のカラヤンは、急に辞めてしまったマゼールの代役を強力に頼まれていたことと、ベルリンとの関係が修復不可能になっていたからの、最初から一回きりの登場だったのだろう。カラヤンに続けてもらうことはとうていできなかったので、以後、毎年異なる指揮者に登場してもらうことになったと思われる。逆に、そのことが、世界的大指揮者が入れ代わり登場することで、ニューイヤーコンサートの国際的知名度を高め、同時放送が世界に拡大したといえる。しかし、その代償か、出来不出来にムラができるようになり、ウィンナ・ワルツの味がうまくでていない演奏も、時折あった。小沢がその典型だろう。
 
 そういう中で、メストはオーストリア人であり、自然にウィンナ・ワルツが身についている。その違いは大きい。
 しかし、2011年に期待されてメストが登場したあと、ネットの書き込みで、「メストのウィンナ・ワルツのどこがいいのかさっぱりわからない」という意見がけっこうあった。今回も、家族はあまり楽しめなかったという感想だった。おそらく、明確な理由がある。それはメストのニューイヤーコンサートの曲目は、3回ともすべて、初登場曲が大部分であり、特に今回は過去に登場した曲は一曲だけという、極端な無名の曲ばかりで埋めていたからだ。まったく知らない曲ばかり並べられて楽しめる人は、そうそういない。それに名曲には名曲たる理由がある。やはり、聴いていて楽しめる、うっとりできる、引き込まれるわけだ。初めて聴く曲で、そうそう引き込まれることはない。しかも、そういう曲ばかり並んでいれば尚更だ。
 逆に考えれば、よりわかりやすい。カラヤンやクライバーの回は、圧倒的に評判がよかった。さすがの指揮だったという受け取りがほとんどだった。しかし、彼らは、有名ではない曲はまったく取り上げていない。ウィンナワルツ名曲集に含まれる曲ばかりだった。それをウィーン・フィルが演奏するのだから、いいに決まっている。最近の曲編成では、かならず、初登場の曲をまぜるという原則があるそうだが、それはおそらくクライバー以降のことだろう。それでも、メストほど初登場曲を多くとりいれた指揮者はいない。今回は初登場ではない唯一の「ワルツ水彩画」も、確かに聴いたことはあるが、有名曲ではない。つまり、有名曲は一曲もなかった。
 
 それでも、私はこのコンサートを非常に楽しめた。ウィンナ・ワルツやポルカの醍醐味を濃厚にだしていたからだ。ウィンナ・ワルツは、前にも書いたことがあるが、ウィーン方言的な音楽なのだ。音楽は、国際的に普及している曲でも、やはり、その国の文化的背景をもっているから、他の文化圏の音楽家には自然な表現が難しいことがある。バーンスタインの「キャンディード」序曲をオーケストラで取り上げたとき、指揮者は、「アメリカのオーケストラは、ベートーヴェンを演奏するのは苦労するけど、キャンディードのような曲は本当に自然にのってくる感じでうまいんだ」とよく言っていた。また、西洋音楽の3拍子は、どうしても日本人は下手だと、これはいろいろな指揮者に言われる。西洋の3拍子は踊りのリズムで、しかも西洋の踊りは足の動きが中心だ。しかし、日本の踊りは2拍子が多く、手の動きが中心だ。盆踊りや阿波踊りを思い浮かべればよい。だから、日本人には3拍子が難しく、おそらくヨーロッパ人には、阿波踊りは踊りにくいのではないだろうか。こうした民族的特質が濃厚な音楽ほど、多民族の人には演奏が難しいわけだ。ウィンナ・ワルツは、そうした音楽だ。
 ウィンナ・ワルツの方言性の特質は、明確になっている。
 第一は、新しく始まるワルツは、ゆっくりで少しずつ速くなる。
 第二は、第二拍が本の少し前に出る。これは、踊りのリズムにそっている。
 前にも書いたので、説明は省くが、オーストリア人でない、あるいはオーストリア以外で育った人が指揮すると、そういう特徴は知っているぞ、とばかり、むしろ過度にその特徴を強調する傾向があるのだ。ティーレマンに顕著だった。だが、わざとらしさを感じさせてしまうのだ。メストは、そのさじ加減が実に自然にできるということだ。
 ポルカには、ゆっくりのしっとりしたものと、速いものがあるが、しんとり系は優雅に、速い系はどこまでも勢いよく演奏された。さすがに後者では、終わったあとの拍手も大きかった。
 今回の演奏では、全体的に、いかにも踊りたくなるようなリズム処理が見事だった。そして、決めどころ以外は、指揮をせずに、オーケストラに任せるところが多かった。それだけ、ウィーン・フィルとの呼吸がうまくいっていたということだろう。
 来年はティーレマンだそうだが、少なくとも前回は、あまり感心しなかった。意外にも、若いころはカラヤンの勧めもあったらしいが、オペレッタをたくさんやっていて、ドレスデンのジルベスターコンサートでは、オペレッタからの音楽をたくさんとりあげているから、来年は期待しよう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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