自民党は売国的政党から脱却できるのか

 安倍元首相銃撃事件以来、統一教会への追求が復活し、内閣改造がなされたあとも継続している。しかし、本当に追求されなければならないことは、私から見ると等閑視され、問題が違う方向に向けられているように感じる。そういう指摘もいくつあるが、その指摘のなかでも、実は、「違う方向」「真の問題」についての見解も、ぶつかり合っているともいえる。だから、問題を整理していく必要がある。
 論点は以下の点である。
1 安倍元首相を銃撃したのは誰なのか。山上か、彼は目くらまし役なのか。
2 統一教会と自民党との関係、何が問題なのか。
3 宗教と政治の関係は、どうあるべきなのか。
 私の考えでは以上である。もちろん、統一教会の霊感商法や献金による被害者を救済することは、重要な課題だが、「これは不要だ」と、表立って主張している人は、私は見ていないので、「論点」からは外しておきたい。しかし、実は、ここに収斂させる雰囲気もあることは注意する必要がある。

 
 1については何度も書いているが、不思議なことに、大手メディアや、ネットでも、いわゆるリベラルとみられているひとたちは、ほとんど問題にしていない。山上犯人説に疑問を呈していないのだ。疑問視しているのは、銃撃そのものに関心がある人と、統一教会に問題の焦点をあわせるのは不当だと思っている、右派言論人たちである。しかし、そのようにからませるのは、間違っている。1と2は、ともに重要だが、基本的に独立した問題であると、私は考えている。山上が統一教会への恨みから犯行に及んだとしても、もし黒幕がいた場合に、黒幕の目的が統一教会潰しだったとは限らない。むしろ、違う可能性のほうが高い。統一教会の問題は、これまでメディアが扱うことが抑圧されてきただけで、安倍元首相の暗殺がなかったとしても、追求すべきことからだったのである。だから、独立した問題といえる。
 
 今回、再度になるが、問題にしたいのは、自民党と統一教会の関係は、何が解決されなければならないのかという点である。
 
 自民党が、統一教会から受けた被害救済に乗り出すのだそうだ。そもそも統一教会との関係が指摘されるひとたちが、その責任者たちなのだから、成果は押して知るべしだが、やらないよりはましだ。しかし、本当にやるべきことを隠蔽するための工作に過ぎない可能性もある。
 もちろん被害者を救うことは、重要なことだが、最も大事なこととはいえない。被害は、多くのお金を実質的に吸い上げられたということだ。問題は、何故そんなことが実行されていたのか。宗教団体は、どこでも献金を信者に求めるが、それは、宗教自身が生産活動をしているわけではないので、建物をたてるにも、また、聖職者の生活を保障するためにも、資金が必要だからだ。伝統的な宗教は、長い歴史があるので、それほど無理な献金を必要としない。また、新興宗教の多くは、より高額の献金を求めるとしても、統一教会は、常軌を逸している。そして、その理由ははっきりしているのだ。
 
 日本をエバ国と認定して、韓国に贖罪させることを課しており、その最も具体的な奉仕が献金と、合同結婚式である。日本の農村で「嫁不足」が社会問題となっていた時期が長くあったが、韓国も同様だった。だから、日本や韓国でアジアから嫁をもらう活動がなされたが、合同結婚式は、結婚できない韓国男性に、日本人女性をあてがう試みであるもといえるのだ。つまり、統一教会は、日本に、金銭と人を差し出すことを課している。それが教義でもある。
 だから、はっきりさせなければならないのは、そうした統一教会の「教義」そのものを、自民党は受け入れるのか、はっきりと否定するのかということである。個人として統一教会に関わっていたかどうかは、私はあまり重要だとは思わない。過去のことを問題にしても仕方ない。統一教会が、これまでのような不当な献金や霊感商法的なことをできなくすることが大事であって、通常の宗教団体としての活動をする団体になるのならば、自民党の議員が統一教会と関わるのは自由である。
 しかし、現在の自民党の対応を見ていると、真の解決に向かっているとは思えないのである。
 
 最近の動きとして、統一教会側からの反撃が、顕著になっている。あれだけ自民党だけではなく、たくさんの政治家を取り込んできた組織だから、反撃に出ないわけがない。実際に、韓国では大きなデモが行われた。宗教弾圧を許すなというわけだ。これは、表の反撃だろうが、日本での政治家への反撃、そして、それはメディアにも当てはまるのだが、被害者救済に矮小化しようという方向と、議員たちの関わり表明への牽制、そして、統一教会を反社会的組織であるとするような政策をとらせないことである。
 自民党議員の統一教会との関わりが、どんどん明らかになっているが、そのうちのいくつかは、統一教会自身からの通報であるという。「関係はありません」と自民党議員がいうと、統一教会からの内部通報があって、関係が露顕するというパターンである。
 これは何を意味するのだろうか。
 統一教会から、自民党に対して、「我々と手を切るなどということはしないほうがいいぞ、さもないと・・・」という脅しであろう。被害者救済などということは、小さなことだから別に構わない。しかし、統一教会を破防法の適用団体にしたり、解散命令をだしたり、宗教法人認可の取り消しなどは、絶対にしないように。そんなことをやろうとしたら、これまでの我々との関係を、どんどん暴露して、政治生命を奪ってやる、ということなのではなかろうか。もちろん、統一教会と関係をもった自民党議員全員ではないだろうが、選挙協力や秘書の派遣などは、もちろん、女性信者が派遣されることが多いそうだ。何人かは、ハニートラップにひっかかっているに違いない。そうした事実を暴露されれば、議員として終わる可能性がある。だから、先のような統一教会の「無害化」に対しては、最大限抵抗せざるをえなくなる。被害者救済に収斂させるというのも、その手段となりうる。どうせ期間限定の試みだ。
 しかし、日本における「献金」は、統一教会にとって生命線ともいえるものだ。だから、事実上できなくするような措置については、組織をあげて、統一教会は抵抗するだろう。だが、それを受け入れてきた自民党は、「売国的政党」といっても過言ではない。自民党が表明している日本のための政治という姿勢を、実際にとるならば、党としてはっきり統一教会との関係を清算すべきであり、責任政党として、統一教会が無法な献金などできないように、解散命令、破防法適用、宗教法人認可の取り消しの、最低ひとつは実行しなければならない。そのうちの何もせず、今後個人として関わるな、というのであれば、あいかわらず「売国的政党」として留まることになる。
(宗教的側面については次回)

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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