最近、大学の教師として、アカデミックな道を通らずに、実務をしてきた人が教授などになることが多くなってきた。文科省も推奨しているようだ。8月17日マネーポストWEBに「査読論文なしで教授職に… 大学教員たちから噴出する「実務家教員」への懸念」という記事が掲載された。
実務家教員の負の側面を中心にまとめた記事である。私の在職したいた学部にも、実務家教員は少なくなかった。しかし、その実態は様々であり、前歴は実務でも、研究能力に優れた人もいたし、やはり、研究面は弱いと感じる人もいた。
この記事で、実務家教員へのネガティブな評価は、
・個人的な人間関係で採用される場合が多い
・研究者としての水準を満たしていない場合が多い。教員になっても研究論文を書かない人もいる。
・若手研究者の就職機会を奪っている
このネガティブな評価の前に、そもそも大学の教員の「任務」は何かを考えておかねばならない。大学といっても、実に様々な大学がある。理系と文系では、教師と学生・院生との関係はかなり違う。この記事の前提として、大学はアカデミックな研究の場であるから、教員は研究をして論文を発表することが、主要な仕事であるという認識があるように感じられる。国立の偏差値の高い大学であれば、そういう意識が共有されているだろうし、学生も教授たちの研究に関心をもっている場合が多いだろう。私が学生のころは、教授がどこかに論文を発表すると、すぐに学生たちが集団的に検討会を開いていたものだ。
しかし、私が勤めていた大学は、私立の中の上くらいだったが、学生が習っている教授の研究について関心をもっているようには、まったくみえなかった。私が35年間の在職機関に、私が書いた論文について、学生のほうから、「読みました、とても勉強になりました」と声をかけられたことは、たった一度だけである。その論文は、ある雑誌から依頼され、かなり外国の文献を調べて書いたもので、急遽その雑誌の巻頭論文になったものだった。しかし、市販の雑誌だから、目にとまったのだろうか。
同僚の教員と、学生が教員の研究論文を読むような雰囲気があるといいのだけどね、と語り合ったことがある。そもそも、図書館にいって、学術雑誌を読む学生など、まずいなかったと思われる。
したがって、学生からみれば、教師の評価は、研究面などではなく、やはり、教育面、そして面倒見という点からなされていたといえる。つまり、大学が積極的に実務家教員を採用するのは、明確な理由があるわけだ。
何故実務家教員か増えたのか
・卒業生の就職対策
これに尽きるといってよい。例えば、私の同僚に警視庁や鑑別所で長年勤めていた人がいた。心理職だった人で、刑事などではなかったが、学生のなかには、警官志望者がそれなりにいたし、公務員の心理職(主に司法関係)志望者も多かった。すると、実際にそういう職業についていた人は、就職事情にも詳しいし、人脈もある。当然学生はたくさん集まる。オープンキャンパスで、実際に彼らに接触するためにやってくる高校生も少なくない。当然、その分野での就職率はあがるわけだ。
私自身は、こうした実務家教員については、肯定的に見ていた。大学教師として、査読付きの論文を書いているより、学生がなりたい職業に必要な能力を身につけるのに、具体的に援助でき、就職試験を突破するための援助をして、能力をつけさせることは、学生にとって、非常にありがたいからである。論文を書いたからいって、学生の就職率があがるわけでもない。私が勤めていたような大学では、研究は個人の矜持の問題であるかのようだった。博士号を取得しても、なんの利益もなかったくらいだから、やはり、大学としては、学生の就職が大事だったわけである。それはそれとして、合理的な判断であり、大学の社会的位置からみて、不当とは思わない。私自身、研究論文は毎年書いていたが、それ以上に学生の教育には力を注いでいた。講義の意図については、最終講義で話しており、このブログにも載せた。また、私の担当は教師教育であったから、教師志望の学生が、現場に出てもやっていける基礎を培うために、学生と一緒に努力をした。そういう点が、学生には評価されていたと思うし、志の高い学生がゼミに入ってきた。
そういう私からみると、実務家教員は、上記のような長所があるが、特有の欠点ももっていたように思う。それは、実務は、あくまでも彼らの経験であり、経験はその分野を包含するようなものではない。やはり、個人の経験には限界がある。しかし、そこで自信をもったひとたちだから、自らの経験を絶対視して、そこからえられる教訓を、学生に安易に押しつける傾向がみられることが少なくなかった。研究者は、最初からまず問題を俯瞰するから、一面的になることを避ける傾向があるし、様々な場合があることを想定する。しかし、実務家教員たちは、自分の経験を過度に重視しがちなのである。そういう欠点を克服できていれば、実務家教員は、学生たちにとって非常に頼りになる存在であることも間違いない。また、実務経験がない教員が、彼らの経験から学ぶことは、とても有意義だといえる。