マニュアルは誰がつくるのか クレーム処理の現場

 プレジデントオンラインに「「間違えたんだから、責任を取れ」オペレーターに詰め寄るモンスター客に上司が放った”爽快なひと言”」という吉川徹氏の文章が掲載されている。
 携帯電話会社のコールセンターのやりとりのレポートである。筆者の吉川氏自身、オペレーターの経験があるそうだ。系統的な文章というより、いくつかの具体的挿話を集めたものなので、気になった部分の紹介と考察をしてみたい。
 
 まず、「マニュアルは役にたたないものばかり」と書かれている。「相手の話を真摯に聞く」「カッとなったら6秒数える」「数分我慢すれば、ほぼ解決」などという、意味のないことが書いてある。
 逆に頷けるのは、「クレーマーを宇宙人と思え」とか「もっとも手ごわいクレーマーは常識を持ち合わせていない人」という内容だったというが、これが具体的に役立つとは思えない。

 そもそもマニュアルは、誰が書くのだろうか。実際に、現場で毎日クレーマーと接しているひと達が、経験を交流してまとめていくのがベストだろう。しかし、トイレにいく暇もないオペレーターたちが、そうした作業をするのは難しいだろう。そうすると、経験豊かな上司たちが、責任をもって有効なマニュアルを作成するのがベターである。
 ところが、次に驚くこととして、管理職の実態だ。
 オペレーターで対処できないと、SV(スーパーヴァイザー)が対応するが、管理職をだせというクレーマーもたくさんいる。
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責任者=課長は渡されたヘッドセットを頭につけて、保留を通話に変え、お客と話を始める。立場上は管理職(※5)ではあるが、画面の見方も操作方法も知らないのでお客と会話ができない。ただただ怒られている。
※5:オペレーターとして働いたことがないので、指導はおろか画面の見方すらわからない管理職。本人もつらいだろうが、その下で働くオペレーターもつらい。適材適所の重要性を強く感じた。
涙ぐみながら耐えている課長や、オペレーターが代わってくれと頼んでいるのに聞こえないふりをして、書類から顔を上げない課長もいる。
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という実態だそうだ。これが多くの職場の実態だとしたら、日本の経済力が下降線であることは、実感として理解できる。上司が、部下たちの仕事をまったく理解していないし、経験したこともないというのでは、上司としての役割を果たせないではないか。私は、企業に勤めたことがないので、具体的には知らないのだが、日本企業の特質であるローテーションシステムでは、一般職は、様々な職場を経験しながら、昇格していくと言われているから、コールセンターの課長になった人は、かつてコールセンターでたとえ少しの間でも仕事をしたことがあるのではないのか。私はそう理解していた。しかし、筆者の取材したところでは、ほとんどの管理職が、まったく理解しておらず、画面の見方も知らない。そして、代わった課長が、ヘッドセットのマイクを頭のほうにあげたまま「もしもしー、こちらの声が聞こえないのでしょうか」とやっていることもあるのだそうだ。課長でなくても、ヘッドセットの使い方くらい知っているだろう。現代人なら。しかもコールセンターの課長だ。
 もしかしたら、こういう課長たちが、マニュアルを作成しているのだろうか。あるいは、マニュアル作成をアウトソーシングして、それこそ具体的業務の困難さを知らないひとたちが勝手に作っているのだろうか。
 
 現場はまったく違うが、私が体験したことで、強烈に覚えていることを紹介しよう。教育実習をする学生をつれて、実習校に挨拶にいったときのことだ。そこで、実習で教える範囲を質問したところ、電話帳くらいの冊子をもってきた。それは各学年ごとの冊子で、その学年のクラスごとに、1年間のすべての授業予定か書かれている。何年何組の何月何日の何時間目の科目、そして教科書の扱うページ、学ぶ観点、学習の注意点等々が、すべて書かれている。だから、実習生は、自分が授業で担当する部分を、簡単に知ることができるというわけだ。誰が、このような詳細なスケジュールを作成したのか聞くと、主幹だという。その場にいた主幹は、3学期はほとんどこの作成に時間を使うといっていた。
 正直、このような冊子は馬鹿げている。そもそも、クラスによって進行状況や、子どもたちの能力、状況がまったく違うし、4年生になったからといって、すぐに4年生の学習を始められるかどうかは、やってみないわからない。3年の復習をしないとだめだというクラスもあるだろうし、すぐに4年の内容に入れるクラスもあるだろう。そういうことは、クラス編成をする前に理解することは不可能である。
 更に、主幹が、6年間のすべての教科について知悉しているかどうかは、かなりあやしい。主幹のなり手が少ないから、通常の教師ではなく、美術や音楽の専科教師が主幹になる場合も少なくない。彼らは、主要教科の詳細なことは、わかっていないはずである。
 つまり、マニュアル以前のマニュアルみたいなものだが、詳細を理解していない人間が、役職として作成しているものは、おそらく、無視されるか、あるいは授業の妨害にすらなっている可能性がある。
 
 役に立たないマニュアルなどは、ないほうがよい。読むだけ時間の無駄だからだ。役にたつマニュアルは、その仕事を十分に理解している人、対策についても豊富な経験をもっているひとたちが、集団的に智恵を出し合って作成する必要がある。そして、マニュアルについても、また、仕事についてもアドバイスができる人が、管理職でなければならない。この記事を読むと、日本は大丈夫か、と心配になる。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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