日本でオペラがかなり普及するようになったのは、いつごろからだろうか。戦前は、ほとんど本格的な上演はなかったろう。そして、戦後NHKがイタリアからソロ歌手と指揮者を招いて、NHK交響楽団や日本の合唱団が加わっての「イタリアオペラ」が、オペラの魅力を伝え、1960年代にベルリン・ドイツオペラが来て、ベーム指揮の、いまでも話題になる上演をして、オペラへの注目が次第に出てきたように思う。そして、日本でも二期会が結成されて、日本人による上演を続け、やがて、80年代になるとミラノやウィーン、バイエルンなど、世界の主な歌劇場の引っ越し公演が行われるようになる。そして、クラシック音楽ファンに、普通にオペラが聴かれるようになったのは、世紀の変わり目くらいからなのだろうか。
私は、イタリアオペラをテレビでみて、マリオ・デル・モナコやテバルディに感心して聞き惚れたのがきっかけだったが、オペラ好きな中学生などは、まったく変わり者だった。学生、院生時代には、二期会の比較的安いチケットがあったので、けっこう聴きにいったものだ。
しかし、音楽評論家や文化全般に詳しいひとたちにとっても、オペラはなかなか親しみにくいものだったのだろう。その典型が、小林秀雄の有名なモーツァルト論だ。モーツァルトを論んじたこの有名な論文は、「駆ける悲しみ」というような、ト短調の曲をもって、モーツァルトの代表作としていたのだが、今では、オペラを論じないモーツァルト論などは、それだけで欠陥商品のように言われても仕方ない。ブリリアントのモーツァルト全集は170枚くらいのCDだが、そのうち40枚以上がオペラである。モーツァルトにとって、いかにオペラが重要なジャンルだったかがわかる。
そういう状況だったから、日本でのオペラ歌手の扱いも、かなり偏ったものだった。1970年くらいまでは、イタリアオペラのソプラノといえば、マリア・カラスとレナータ・テバルディが代表していたような雰囲気だった。当時は、レコード会社と演奏家の専属関係がけっこう厳格であり、オペラの全曲録音はかなりのコストがかかるから、一社が、異なる演奏家で、同じオペラをいくつも録音するようなことはなく、一作一録音という感じだったから、EMIのカラス、デッカのテバルディで済んでいたわけだ。だから、それ以外の歌手は、ライブでは活躍していても、録音で接するしかなかった日本では、ほとんど関心をもたれなかったのも仕方ない。
だが、ジョーン・サザーランドの場合は、また違う要素があったように思われる。
サザーランドは1950年代にイギリスに渡って、音楽院で学び始めた。オーストラリアで生まれ育ったのだが、母は歌手だったために、まずは母親から手ほどきを受けたというが、当初はメゾだったというから驚きだ。メゾから出発した人が、あれだけの高音を駆使したコロラトゥーラソプラノに変身できるのだろうか、と。
メゾからドラマティックソプラノに転向し、当初は魔笛の第一の侍女や、魔弾の射手のアガーテなどを歌っていたのだそうだが、転機は1959年、ロンドンのロイヤルオペラで、セラフィン指揮でルチアを歌ったことで、大評判になった。このときのライブ録音があるが、こういう新人に現れたら、確かに非常なセンセーションを引き起こしたに違いない。強力な声の威力とともに、非常な高音から比較的低い音まで、声の質があまり変わらず、至難な速いパッセージを楽々とこなしている。エドガルド役は、声もあまりでていないし、音程もふらつき気味なのが興ざめだが、サザーランドは圧倒的だ。
しかし、この時期には、まだベルカント・オペラ以外も歌っている。1962年には、名演と評判の椿姫、59年には、ジュリーニ指揮でドン・ジョバンニでドンナ・アンナを録音し、そして、私はまだ聴いていないのだが、62年に、ロイヤルオペラで活動を始めたクレンペラーの指揮で、魔笛の夜の女王を歌っている。ただし、この夜の女王は、サザーランドとしては失敗だったようで、逸話が残っている。驚いたのは、サザーランドが、夜の女王のアリアを、第一アリアで半音、第二アリアで全音下げて歌ったというのだ。あんなに高い声を駆使できるのに、とこの話を読んだときには、びっくりしたのだが、夜の女王は高いファの音まで出てくるのだが、サザーランドはミまでが可能な範囲だったのだそうだ。すると、やはり下げなければいけないということになる。
更に、サザーランドは指揮者のクレンペラーと折り合いがつかず、最初の公演では、指揮に従わずに歌ったという。クレンペラーの遅いテンポにとてもついていけないと感じたようだ。これは私でもよくわかる。最晩年のクレンペラーのテンポは異様に遅かったから、とくにオペラで歌手がついていくのは、かなりきつかったのではないだろうか。ベルカント・オペラに没頭していたサザーランドとしては、指揮者より歌手が中心なんだ、という意識になりつつあったのかも知れない。ただ、そうしたことがあっても、サザーランドは順調にキャリアを延ばし、ベルカント・オペラの復興に大きな力を発揮していく。
ただ、日本では、ウィキペディアでも指摘されているが、評論家から冷たく扱われ、白痴美的であるなどと言われていたという。私自身、そうした評価を読んだことはないが、レコード雑誌などで、サザーランドが重要な歌手として扱われていた記事を読んだ記憶がない。
では何故日本での評価が低かったのか。
おそらく、サザーランドのコロラトゥーラ技巧があまりにすさまじいので、何か表現より技巧の誇示をしているように、受け取られたのではないかという気がする。
私が、サザーランドをはじめて聴いたのは、カラヤン指揮、ウィーン・フィルによる「こうもり」の録音で、ガラパフォーマンスという形で出演していたものだった。10人ほどの当時のトップ歌手たちが、普段は歌いそうにない歌を、宴会で歌う形式だが、私が聴いたなかでは、サザーランドが圧倒的に印象に残った。歌っているのは、「イル・バチオ」で、通常の楽譜ではなく、より難しくした版が使われていて、人間技とは思えなかった。youtubeでいくつかのイル・バチオを聴いてみたが、もちろん、サザーランドのように、難曲を更に難しく編曲して歌っている人などいなかった。それほど、サザーランドのイル・バチオは人間離れしているように聞こえるのだ。これが、白痴美などと言われる原因となっていたのかも知れない。
しかし、最初に名声を獲得することになった59年のロイヤル・オペラでのルチアは、決して、単に技巧を誇示しているものではなく、非常に力強い表現力に満ちているのだ。
サザーランドの表現力は、椿姫を聴くとよくわかる。ふたつ録音があるが、優れているのは最初のプリッチード指揮、ベルゴンツィとメリルが参加している全曲盤である。周知のように、ヴィオレッタという役は、幕ごとにまったく異なるキャラクターの歌唱が求められるので、完全に歌いこなすのは至難のことと言われている。マリア・カラスは実現していたというが、まともに聴ける音での録音がないから、伝説の域ともいえる。私がこれまで聴いてきたヴィオレッタでは、この歌い分けをすべて高い水準でクリアしているのは、このサザーランドだけのような気がする。
第一幕では、華やかなコロラトゥーラの技巧を発揮しなければならないのに対して、二幕以降ではコロラトゥーラは使われず、二幕では、非常に強いスピントの表現力が求められる。なにしろ、自分の息子と別れろ、と迫ってくるジェルモンと対決する強さと、しかし、結局折れざるをえなくなる悲痛さも表現しなければならない。第三幕では、死の床に伏しており、しっとりとした情感を醸しだす叙情的な表現が求められる。サザーランドは、ほぼ満足すべき水準で、この3つの異なった表現で歌い分けている。
しかし、当時のベルディ歌手はカラスとテバルディだったから、このレコードは、あまり注目されなかったのだろう。現在では、最も優れた録音のひとつという評価が定着している。
もうひとつ、サザーランドが軽視された理由として、共演した指揮者がほとんど、夫のボニングであり、既に絶対的な大家であったカラヤンやベームクラスの指揮者と録音をしなかったことがあるかも知れない。まだ若きショルティ(ベルディのレクイエム)、ジュリーニ(ドン・ジョバンニ)があるが、前者は、あまり高く評価されていなかったし、後者は、錚々たる歌手、ヴェヒター、シュワルツコップ、アルバなどが並んでいるので、サザーランドは目立たなかったのだろう。しかし、このドンナ・アンナは決して悪くない。
ボニングという指揮者は、評価の難しい人だ。不当に低く評価された指揮者に入るのかも知れないし、やはり、サザーランドの夫だから、指揮者として契約できたのかも知れない。手堅いけれども、指揮で感動させる録音もあまり見当たらない。
私としては、カラヤンやセラフィンと録音をしてほしかったし、そうすれば、日本での受け取り方もまったく違うものになっていたはずである。
この間、サザーランドの録音をいろいろと聴いが、失望するものはまったくなかった。現在でも、HMVのカタログには、膨大な量の録音が入手可能になっている。やはり偉大な歌手なのだ。