安倍元首相狙撃の考察2 統一教会

 山上容疑者は、当初から、安倍元首相の政治信条に対するものではないと述べていたようで、その後宗教的な観点から、人生を壊されたことの恨みであることを白状するようになっているという。つまり、母親が統一協会の信者となって、多額の寄付などをして、破産してしまった。その結果、容疑者は大学を除籍されることになり、その後自衛官になったり、いろいろな職業を転々としたようだが、結局、この恨みを晴らすことにして、爆弾や銃を製造して、試射などもしつつ、今年の春に仕事をやめて、暗殺に集中する生活に切り換えたのだろうか。
 本当に、統一協会への恨みで安倍元首相を殺害したのか、私は、まだ多少疑っているのだが、統一協会について、そして、宗教法人への国家の対応について考えてみたい。
 
 茂木健一郎氏が、学生のとき、統一教会の勧誘を受けた経験があることを語っているが、中年以上の人間にとっては、どこかで統一協会、原理運動、勝共連合などをみかけたことがあるか、あるいは接点をもったことがあるのではないだろうか。

 私の学生時代に、同じ学科に、実は大学の統一協会と勝共連合の責任者が、ともに在籍していた。もっとも、あまりあうこともなかったし、学科の部屋で同席すれば、話もしたが、彼らが私を勧誘することは、まったくなかった。しかし、今でも強烈に覚えていることがある。それは、学科の学生の部屋で同席していて、彼らがティーバックの紅茶を飲んでいたのだが、いれてティーバークを取り出したあと、紙の部分に「正」の字を一部を書いているのだ。「何してるの?」と聞くと、「紅茶はひとつのティーバックで何杯か出るので、何杯目かを書いているんですよ」というのだ。こんなことは、後にも先にも、このときだけの経験だったが、彼らのまじめさを、強く印象づけられたことは確かだ。こういう人物だから、リーダーにもなるし、布教などもできるのかと。
 当時大学では勧誘も盛んに行われていた。だいたいは、外部の女性が構内にやってきて、男子学生に話しかけて、きっかけをつくるということだったが、私は、一度も声をかけられたことがない。見込みのない人間は、わかるのだろう。
 統一協会に対する、当時のイメージは、はっきりと詐欺集団というものだった。その詐欺的行為は、街頭での募金活動がもっとも目につくものだった。「**支援の募金活動」などと、数名がグループとなって、駅前の広場などに陣取って、ずっと大きな声で募金を呼びかけるのだ。目的は、何か起きるとすぐに変わる。募金が、確かに**支援に使われることはない、ということは、その雰囲気から感じられる。とにかく、この活動は、たくさんの駅で行われていた。
 こうした目につくものではないことで有名なのは、壺などを信じられないような高額で売りつける悪徳商法であり、また、多額の寄付なども強要されるようだ。こうしたことは、ずいぶん長いこと問題になっているし、いまでも行われている。よく知ることができる関係のなかで、加害者も被害者もいるので、これは間違いない。集団結婚式などは、身近で起きたことはないが、統一教会自身が大規模に宣伝しているのだから、本当のことなのだろう。
 社会的な問題としては、高額な寄付の強要による生活破壊が多数出たことだろう。本来人を幸福にするはずの宗教が、生活を破壊するのだから、宗教といってよいかどうか疑問だ。邪教であることは間違いないだろう。そして、多くの政治家が、程度の差はあれ、統一教会にかかわっていたし、今でもかかわっている。初期の大物としては、岸信介である。このことは、非常によく知られていた。岸を尊敬する安倍元首相が、積極的に関わったことは、ある意味当然だろう。安倍元首相は、統一教会(今は名前が変わっているが、同一団体であることは間違いない)が、生活破綻者を多数生み出していて、あくどい財産強奪をしていることを、なんと思っていたのだろうか。
 政治家として、ある団体に積極的に関わる場合、自身が、その団体の不祥事、犯罪的行為等に関わりがなくても、責任を負うとするべきである。なぜなら、政治家と結びついていることが、その団体にとって利益なのであり、結果として、政治家として利益を与えていることになるからである。
 
 今回の件にはあまり関係がないが、宗教に対する日本の体制として、無税としているが、これは非常におかしいといわざるをえない。憲法上、宗教は私的なこととなっている。他方、無税とするのは、その組織の活動が公共性をもつ、公益だからである。つまり、私的な性質の宗教は、公共性をもたないのであって、宗教法人も私的領域に関わることである以上、収入に対しては、税を国家に対して支払うべきなのである。そして、宗教団体が、犯罪行為をすることが、たまにあるが、その犯罪は、無税によって蓄えた財産が原動力になっていることが少なくない。オウムがその典型だった。統一教会の活動なども犯罪行為といえるものを多数含んでいる。
 税を払わせるべきであることは、そうした金銭問題だけではなく、財務の状況を調査できることになり、不正な活動をしていれば、お金の流れからある程度事前に把握することができるのである。しかし、無税だと、そうしたお金の流れを把握することができないから、犯罪的な活動もやりやすいことになる。そして、国家財政が厳しい状況をみれば、宗教法人を無税にする理由は、私には思いつかない。
 何故、宗教法人への課税ができないか。それは、宗教団体が固い集票組織をもっていて、政治家がそこに乗っているからだ。安倍元首相の暗殺は、宗教団体と政治家の結びつきについても、反省を迫っているのではないか。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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