報告書は、皇族の数の確保策として、まずは、内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を有することになるという提案をしている。ここにも、いくつかのおかしな論理がある。
女性皇族が結婚後は皇族でなくなるというのは、男女平等に反するし、また、女性・女系天皇を容認する立場からは、結婚後も皇族であり続けるようにすることは当然であるとしても、そこに余計な考察が入ってくるのが、この報告書の特質である。
まず、結婚後も皇族として残ることを正当化するために、報告書は、明治時代に旧皇室典範が定められるまでは、女性も皇族のままであったという歴史をもちだし、和宮の例をだしている。それならば、旧皇室典範で導入された男系男子などという原則を、前提にするのは何故か。旧皇室典範が、男系男子に限定したことを、吟味する必要があるのではないだろうか。男系男子があたりまえのことのように主張する人たちがいるが、この原則は明治時代にはじめてできたものである。
では、何故、旧皇室典範以前には、男系男子などという原則はなかったのに、そのことは当然視しているのか。
実は、女性皇族が結婚しても皇族として残るということは、当然女系容認の道を開くはずであるが、それは認めないことにしているからである。つまり、この点については検討していて、女系を認めてしまうことになるという「反対」に予め考慮して、女性皇族と結婚した男性と子どもは皇族としないと断りをいれている。つまり皇族として残るのは、内親王や女王だけであって、一代限りであり、夫はもちろん、子どもも皇族ではないというのである。そして、夫や子どもは、一般国民としての権利義務をもつというのだ。これもまたおかしな話になる。
女性皇族が結婚して夫婦となった人の、一方(夫)は参政権をもち、また職業選択の自由、居住の自由があるのに、他方(妻)はそれらの権利がないという奇妙な夫婦ができあがることになる。夫は、政治家になって議員として立候補し、議員の官舎に住むことができるが、妻は、皇族として決められた住居に住み、公務だけをすることになる。しかも、夫は、苗字をもち、妻はもたないということになる。完全に夫婦別姓になってしまうわけだ。この皇室会議の報告からすれば、夫婦別姓の立場にはたっていないように見えるが、そこはどうなのだろうか。
更に、夫が、皇族の夫という立場を利用して、政治活動を行い、国会議員に立候補するということもありうることになる。もっといえば、皇族の妻に対して、夫が大臣となることだって理屈上はありうる。少なくとも、現在の皇室典範は、そういう事態を想定していないといえる。男性皇族と結婚した女性は、皇族となり、一般男性と結婚した女性皇族は、皇族でなくなるから、一方が皇族で、他方が一般人と同等という夫婦はありえないし、また、ありえないことを前提に、皇族の活動が決められているのである。そうした問題をまったく検討せずに、非常に重要な提案がなされているのだ。
このことは、皇族という存在に対する、ある考えかたと結びついているといえる。それは宮家ということだ。報告書は、宮家は法律に基づく制度ではないと、わざわざ断っている。確かに、宮家という制度は、法的に定められたものではなく、なにか不可解な面がある。現存宮家は4宮家のみであり、このまま推移すれば、秋篠宮家以外は、男子継承者がいないために、宮家そのものが消滅すると考えられている。皇族数確保のために、女性皇族の結婚によって皇族離脱をしなくても、子どもは皇族ではないのだから、宮家は子どもの代になれば消えることになる。そこが宮家といっても、宮が女性である場合は、親が男性の場合とは異なるように想定されているのである。若い皇族は悠仁親王だけで、あとは全員女性であるから、一代限り宮家となっても、そこで終わりであり、悠仁親王が天皇になれば、宮家ではなくなるわけだ。もし、女性の宮家の子どもを皇族とすれば、その子は女系の皇族となり、男系の皇室という大原則に反することになるから、当然認めない形になっている。
いかに、報告書の女性宮家構想が、いいかげんなものかわかる。
次の案は、廃止された宮家を復活させたり、あるいは、その系統の人を養子にしたり、あるいは、皇族復帰させる案が検討されている。この点については、いかにも現実離れした構想であり、また、国民に受け入れられないものであることは明らかである。皇室には忖度するメディアも、これを礼賛する記事は、私は読んだことがない。したがって、検討する必要もないといえる。(続く)