オリンピックが開始されて一週間余が経過した。そして、案の定、オリンピックが始まれば、反対する日本人の感覚も積極的に、支持するようになるさ、というような事前の観測が「正しかった」ような論評が目立つようになっている。しかし、本当にそうか。もちろん、いざ始まれば、既に反対しても仕方ないという雰囲気が醸成されることは明らかであるし、立憲民主党すら、今更反対したら混乱を招くなどと発言しているくらいだから、そういう雰囲気があることは間違いない。しかし、みんなテレビを見ているではないか、とか、積極的に支持するようになっているなどということで、国民がオリンピック反対の感情が消えたとみるのは、早計だろう。そもそも、テレビをつければ、ほとんどオリンピックのことばかりやっているのだから、国民がテレビでオリンピックを見ているというのは、事実としても、それ以外ないからだといえる。これだけオリンピックばかりに占拠されてしまうテレビ局がおかしいともいえる。やはり、系列新聞社がオリンピックスポンサーだからだろう。そして、NHKはもともとオリンピックを、重点的に放映することになっていたのだから、テレビを通してみれば、国民がオリンピック漬けになっているようにみえる。
しかし、オリンピックの不祥事も出ているし、バブルのいいかげんさも浮き彫りになっており、そうしたことの批判は、けっして下火になっているわけではない。オリンピックのためにかき集められたバスの運転手が、いろいろな面で苦労しているらしい。まずは、待遇が信じられないくらい悪いらしい。7,8人の相部屋にいれられているひとたちもいるらしいし、トイレや風呂なども不自由しているとか。そして、慣れない道路を走っているために、小さな事故が多発していると報道されており、また、事故を起こさないまでも、遅れや道の間違いなどは頻発しているようだ。もともと東京に住んでいる人にとっても、東京の道路を正確に運転するのは、かなり難しいと思うが、地方から出てきて、いきなり東京の道路を、しかも大型のバスを運転するというのは、かなりのストレスのはずである。接触事故くらいで済んでいてよかったというくらいだ。とくに、バスは、普段決まったコースを走るようにできているから、タクシーのためのような便利なナビはついていないので、どうしても迷ってしまうことがあるようだ。大会関係者でコロナ陽性者がかなり出ているが、バスの運転手がはいっているのではないかと危惧する。彼等は、きちんとしたPCR検査を受けているわけではないようなので、ひそかに、感染が公表以上に拡大している可能性すらある。
そして、一番肝心なことは、オリンピック組織委員会や政府は、オリンピックが済んでしまえば、あとは「よかった」の連呼になると思っているようだが、オリンピックが終わってからこそ、本当の深刻な打撃が政府を襲うのだ。それは、「赤字」である。もともと、このオリンピックは放漫財政で、どんどん費用が膨らんで問題が噴出した。しかし、一年延びたことによって、その赤字分が更に膨らんだわけである。そして、コロナ対策のために、思わぬ費用が、しかも莫大にかかっている。公共交通機関を使わせないために、組織委員会がハイヤーやバスをたくさん確保しなければならなかったし、検査費用や病院の確保も莫大な費用がかかっているはずである。無観客になったために、ボランティアなどは減少したが、もともとボランティアにかかる費用は小さい。しかし、ボランティアに変わって、コロナ関連の監視員などはアルバイトとして雇ったはずだから、そういう余分な人件費はかなりに上っているはずである。
そして、チケット代は、ほとんどがパアになった。海外のチケットなどは、返金のための手続きや費用も相当なものになるはずである。最悪の場合、海外の客からは、返却が異様に遅れたこと、ホテル代、飛行機代などのキャンセル料等も含めた損害賠償訴訟が起こされる可能性だった、皆無とはいえないだろう。海外の人は、日本人のように寛大ではない人も少なくないのだ。
それに比べて、入るべき収入はほとんどなくなってしまった。
そして、例の捨てた弁当等の批判が、総括的なところで出てくる。
こうしたことが、明るみに出たとき、金メダルに喜んだ国民も、ほとんどがオリンピックの悪夢を思い出すはずである。しかも、オリンピックのために、少なくともオリンピックを開催したことによる国民の感情によって、行動範囲が広がり、コロナの感染が拡大したことは、否定しようがない。デルタ株が怖いといっても、また、季節性の流行だといっても、オリンピックがなければ、つまり、コロナ感染を恐れてオリンピックを中止した場合と比較すれば、とんでもなく、現在の感染は拡大しているのである。こうしたことも、オリンピック・パラリンピック閉会後に、再び国民に意識されるようになる。そして、緊急事態宣言による経済的損失が、圧倒的に、オリンピックによる経済的利益を上回ることがわかるときが来る。いまの日本人は、それを無視するほど、無知ではないはずである。
なんとしても、オリンピック・パラリンピックにかかった費用をすべて、明らかにさせる必要がある。
日本国民が、オリンピックをどのように考えるか、それは、このことをまって判断すべきであろう。