朝日新聞8月7日に「飛び抜けた能力、なじめない学校 文科省「ギフテッド」の子を支援へ」という記事が掲載されている。
しかし、どうも趣旨のよくわからない記事だった。
「突出した才能をもつ子どもが円滑な学校生活を送れるよう、支援する。」というのだ。周囲となじめず困難を抱える子どものために、学習プログラムを展開するNPOに情報を提唱し、教員の研修を充実させるということらしい。
突出した能力をもって、授業になじめない子どもを、なじめるようにするというのは、ギフテッド対策として、いかにも一面的なのではないかと思われるし、授業になじめない子どもは、ギフテッドでない子どももたくさんいる。授業になじめない子どもは、誰であれ、なじめるように工夫するのは、教師にとって重要な仕事だ。
この記事には、「文科省のアンケートから」、特異な才能の例として、「8歳で量子力学や相対性理論を理解」する子どもがあげられ、困難な経験の例として「授業が面白くないと我慢の限界となり、不登校に」とある。このふたつが「組み合わされて」いるわけではないが、本当にこうした例があるのかという問題と、あったらどうするのかを少し考えてみよう。