日曜朝のテレ東番組に「一柳良雄が問う 日本の未来」という番組があり、たいてい朝食の時間と重なるのでみている。今日は、AIを哲学しているという京都大学の哲学教授の出口康夫という人がでていた。AIについては、たくさんの議論があるが、結局いくつかの基本的な問題にいきつく。人間の仕事がAIに奪われるのではないかというのがその中心だろう。ただ出口氏は少々違う視点からのべているところがあり、AIに対して人間は、上から目線のようなことではなく、敬意のようなものをもって接する必要があるというようなことをいっていた。これは、youtubeの中国ロボットの映像をみたときに、同じようなことを感じていたので、共感した。
中国ロボットの映像は、人形のロボットが早足で歩いたり、寝ころがっているところから起き上がったり、ほんとうに人間のような動作をしていた。そして、驚いたのが、歩いているロボットを後から、人間が蹴って、ロボットを転ばそうとする。ロボットは最初よろよろとして倒れそうになるのだが、懸命に倒れまいとするかのような動作をしたあと、見事通常の歩行体制に戻るのである。それが何度も繰りかえされる。
もちろん、これは、倒れそうになったときの回復機能のための「蹴り」だろうが、やがてこのロボットたちが、さまざまな作業をするうちに、人間の動作を学習して、やられたらやり返すという動作を学び、実践するのではないかと考えてしまう。
AIは学習をするわけだが、その学習そのものを人間が完全にコントロールすることはできないことは、すでにずいぶん前からわかっている。IBMの人工知能が多くの外部のひとたちとのコミュニケーションをしている間に、ナチスの考えを吹き込まれて、すっかりナチス的な会話をするようになったという事件があった。その後の対応はどうしたのか忘れてしまったが、おそらくその人工知能のオープンな使用をやめたのではなかったろうか。
もっと複雑な行動が可能なAIロボットができて、人間のさまざまな労働の代替をするようになり、人間との交流をするようになると、当然、犯罪に引き込むようなひとたちも現われることは間違いないだろう。だからといって、AIロボットの使用を禁止するというような方向にはいけないだろう。技術的に可能なことは、人間は行うものだからである。
出口氏のいうように、すべての人間がAIロボットに対して、敬意をもって接するならば、そうしたことは杞憂となるだろうが、それが可能なら、人間社会における犯罪者などは、もっとずっと少なくなっていたに違いない。ただ、出口氏のような考えにかけるしかないのかも知れない。