アメリカでトランプ大統領の硬い支持者であったとされるチャーリー・カーク氏が、ユタ州の大学での演説会で暗殺されたというニュースは、アメリカの銃社会の恐ろしさを再度思い起こさせた。もちろん、こうした暗殺が許容されないし、暴力で決着をつけるやり方を肯定することもできない。
ただ、この事件はやはり言及せざるをえない側面もあるようだ。日本では「口は災いのもと」という言葉があるが、カーク氏は、銃規制に反対で、銃保持の権利を守るためには、銃による被害者がある程度でるのは仕方ないという主張までしていたとされている。もちろん、その発言をしたとき、自分が被害者になる可能性をふくめてはいなかったに違いない。カーク氏は首を撃たれたというので、即死だったと思われるから、そうした仮定はなりたたないが、命を落とさなかったとして、記者会見に応じられる程度に回復した際、記者に、「あなたは銃の被害者がでるのは仕方ない、という発言をしていたが、ご自分が被害者になったことについても仕方ないことだと思うのか、それとも、ご自分が被害者になってみて、見解が変わったか」という質問に対して、どのように、答えたのだろうかと、考えざるをえなかった。ブーメランという言葉があるが、これほど深刻なブーメランがあるだろうか。
私は、もちろん、銃規制に絶対に賛成である。個人の銃保持がアメリカ憲法で保障されているという一般的な見解についても疑問である。アメリカ憲法は、民兵の銃保持を認めており、民兵の権利を保障しているわけで、個人の銃保持を権利として認めているとは、私には読めないのである。アメリカ憲法は、植民地であったアメリカが、イギリスに対して反乱をおこして独立したわけだが、その際の軍隊は、当然「正規軍」ではなく、民兵だった。だから、当然、権力の腐敗に対して、民兵が放棄する権利を否定することはできなかったと考えられる。
先進国で、銃の保持を権利として認め(現実的に)、それほど深刻とは思えない事例についても、銃による正当防衛を認めている国は、あまりないのではないか。服部君事件など、日本人の感覚では、あれが正当防衛であるなどというのは、いかにも納得がいかないのである。
さすがに、トランプも、カーク氏が被害者になったことを「仕方ない」とは考えておらず、「左翼弾圧」の決意をしているらしいが、それならば、こうした銃犯罪を取り締まる、根本から取り締まる道を選択すべきではないかと思う。