大学の定員管理の緩和 授業料等を考える

 私は、2020年3月に定年退職したのだが、2018年問題が深刻化するといわれていたのを、文科省が、定員管理を厳格にすることによって、深刻度がかなり緩和されるということがあった。2018年問題とは、少子化による18歳人口の減少が、2017年まではかなり平坦になっているのが、2018年から再び減り始める、したがって大学受験者数の減少傾向が続き、特に偏差値上位校以外は、苦しくなるという問題だった。そのことによる私立大学の倒産を回避すべく、文科省は、定員管理を厳格にすることによって、多くの私立大学を救った。つまり、それまで定員の2割増しまで認めていたのを、1割増しまでにするというのが厳格化である。定員の2割以上を入学させると補助金を支給しないのを、1割以上で支給停止ということだ。補助金カットされたら、非常に困るので、大学としては、入学定員を定員以上、110%の間にすることに、腐心した。しかし、効果はてきめんだった。早稲田・慶応からはじまって、それまで合格するはずだった1割が順次下位校にまわっていくことになる。だから、中堅校あたりは受験数が確実に増え、辞退者が減った。

 ただし、合格者の決定は、本当に難しくなった。合格をだしても入学しない受験生がいるので、実際にどれだけ入学してくれるかは、神のみぞ知るようなことなのだ。辞退者が多いだろうと予想して、少し大目に合格させて、1割を超えてしまったら、補助金カットだ。しかし、少なめに合格させて、辞退者が多かったら、定員割れしてしまう。それでは、入るお金が減ってしまう。2割の間で調整するのも大変だが、1割しか調整枠がないと、確実にそこに収めるのは至難の技だ。私の大学でも、たいていひとつの学部が調整に失敗して、補助金をカットされていた。
 それが、来春から定員管理を「緩和」するというのだ。緩和といっても、単年度1割増しから4年間の合計で1割増しでオーケーというわけだ。実際に入学してから退学したり、あるいは編入制度もあるから、入学時から学生数は変動する。それを総学生数で調整可能になると、大学としてはかなり負担が減ると思われる。
 
 さて、ここで考えたいのは、緩和の理由である。
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当初は入学者を定員の1.2倍を上限とし、今は1.1倍としています。その結果、合格者数を抑え気味にし、後日に追加合格を発表する大学が増えました。しかし、受験生から見れば、先に合格した大学に入学金を払ってしまったため、本命の大学に追加合格しても入学を諦めるケースが出てきました。追加合格先に進むにしても入学金などの「二重払い」が問題になりました。
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 そもそも、入学金とは何か。私は大学運営にかかわったことがないので、正確にはわからない。
 1980年代までは、進学率の上昇も影響して、受験者数は右肩あがりで増加しており、とにかく、どこかに入るために、入学金の多重払いもそれほど大きな問題にならなかったし、受験料も同様だ。経済が好調だったことも、大学経営者が強気でいられたのだろう。
 しかし、90年代になると、経済が停滞し、少子化の影響が表れはじめ、21世紀になると「大学全入」が現実化する。そういうなかで、大学に支払うお金に対して、学生は次第にシビアになってきたと思われる。当然といえるだろう。そして、たくさんの大学を受験する生徒は減ってきて、記念受験・本命・滑り止め(それぞれ1)程度しか受けない傾向になっている。授業料を払えないために、退学する学生も増えているから、高い入学金などを複数払いたくないというのは、当然である。
 
 しかし、入学金の二重払いを防ぐためというより、もっと根本的な納入金の合理化が必要なのではないか、と私は常々思っていた。合理化の原則は
・とれるからとる、という名目をやめ、実際にかかる費用については、学生に納入してもらう。
 「とれるからとる」という代表が「受験料」と「入学金」である。
 受験者数が右肩あがりの時代には、受験料は私立大学の大きな収入源だった。私が勤め始めたときには、既になかったが、その数年前までは、受験料収入で臨時ボーナスが出たと聞いた。マンモス大学で受験料3万、受験者数10万なら、30億の収入である。もちろん、入学試験のためには費用がかかるから、無料というわけにはいかない。しかし、コストとしては、1万を超えるとは思えないのである。入学金も同様だ。入学者の受け入れのためのコストはかかるが、20万とか30万もかかるはずがない。要するに、歴史的に徴収がなされてきたから、とっているという面が強い。
 他方、本来とってもいいのに、サービスしている領域もある。それは授業料である。
 日本の大学卒業のためには、124単位必要だが、少なくとも私の大学では、もっとたくさん単位をとるのが普通だし、なかには倍もとる学生がいる。それでも授業料は同じである。これは不平等なのではないか。レストランの大部分は、それぞれの料理に値段がついていて、たくさん食べれば料金も高くなるが、大学では、すべて「食べ放題」のビュッヘ方式になっている。文科省は、単位制限をせよと迫っているが、必要な単位をとらざるをえないのだから、単純に単位制限を導入されるとこまる学生もいる。単位制限は、たんに授業に出席するだけではなく、必要な予習・復習をしなければならないということだが、そうした抑制のためには、単位に対して授業料を設定したほうが、合理的であるし、本当に必要な学生は抑制すべきではないのだ。
 大学でかかる費用の大半は、授業にかかる費用、施設・図書などの施設費、そして、事務の人件費である。(教員の人件費は授業にかかる費用として考える)事務経費も授業に関連すると考えて、そこにいれることも可能だとすると、124単位で、平均的に必要な経費を計算して、1単位あたりの授業料を設定し、学生は履修申請した単位数で授業料を払うようにすれば、入学金などを高額徴収する必要がなくなるし、授業料にたいする不平等感も払拭されるのではないだろうか。
 
 こうして入学金の負担を格段に減少させれば、学生の移動の際の面倒も、また、受験生の負担も軽減されるのではないかと、思うのだが。
 履修単位に応じて授業料を決めるのは、ぜひ必要な改革であるように思われる。要は、必要性が不明確な徴収はやめ、必要性が明確なものは、利用程度に応じて徴収するということだ。
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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