理工系学生を50%にという未来像

 (昨日執筆したのをアップを忘れていたものです)
 政府の教育未来創造会議(議長は岸田首相)が、5月に、理系分野の大学生のわり意を2032年ころまでに50%に増やす目標を掲げ、現在文科省が政策工程表を作成しているという。
 いろいろ議論があるようだが、基本的に私は賛成である。私事になるが、私は自分の子どもに、将来何になるか明確に決めていないのであれば、大学の学部は理系を選択したほうがよいとアドバイスし、二人とも理系に進んだ。ひとりは生物の研究者になったが、ひとりは、仕事としては文系的な仕事をしている。ただ、理系であったことは、大いに役に立っていると思う。そのようにアドバイスした理由は単純で、理系から文系に移すことは、それほど難しくないが、文系だったのに、途中から理系に切り換えるのは、かなり難しいからだ。つまり、選択肢を広くしておくことができるという程度のことだった。
 しかし、そのことは、人間の成長を保障する観点では、非常に重要なことだと思う。大学で学ぶということは、ある意味専門家になることである。では、専門家とは何か。これは、JSミルの定義が最も優れた、めざすべき専門家像を示している。それは「あらゆる領域について少しずつ知っており、ある特定の領域についてすべて知っている」という専門家定義だ。もちろん、そんな人はほとんどいないし、ミル自身も、自分をそのように思っていなかったに違いないが、しかし、そういう姿をめざすという意味での指針として、とても重要な観点だ。つまり、幅広い知識と、ある分野について深く理解している、そして、それを社会的な課題と結び付けて、対策を提示できる、それが専門家というものだと思うのである。

 そして、最初は幅広い知識を獲得しつつ、自分の興味関心のある特定の領域を見つけていくのが、通常の筋道だろう。ところが、日本の現在の教育では、早い段階で理系と文系を分けて、カリキュラムまで変えてしまう。そして、かなりの文系志望者は、数学や理科が苦手だから、文系にいかざるをえないと感じた上で選択をする。高校は、受験実績が大事だから、受験科目に特化した勉強をさせることになる。つまり、日本の高校教育は、ミル的な専門家養成の反対のことを、出発点として行っている傾向が強いのである。
 更に、受け入れる大学側でも、問題がある。国立大学は、理系と文系の人数的差はあまりないが、私立大学では、圧倒的に文系の定員が多い。大学といっても、私立は経営体だから、経営効率を無視することはできない。理工系の教育は、かなりコストがかかるが、文系はあまりかからない。それは間違いない。文科省の教育未来創造会議の議事録を多少みたが、私立大学の代表は、やはり、文系学部が圧倒的に利益を生み出しており、理系学部は、その利益にのって運営していることを述べている。つまり、現在の補助金システムでは、私立大学が理工系学部を増やすことは、かなり難しいのである。
 
 以前は、教養科目の履修にルールがあり、人文・社会・自然科学をそれぞれ履修する必要があったが、現在では教養科目は圧迫の対象で、この分野ごとの条件はもちろん、教養科目の履修条件も撤廃されている。だから、大学で専門分野だけを学んで卒業することも可能である。もちろん、それは大学や学部で決めることなので、教養科目の履修を義務づけているところもあるし、私の学部でも比較的教養科目の履修を重視していたが、学生たちの不満は大きなものがあった。
 ここでのテーマに関していえば、文系の学生は、大学で理系内容の授業をまったく履修しなくてもよいところが多くなっているということだ。
 そういうなかで、小学校の免許を取得すると、当然理科を担当することになるが、ほとんどの小学校の教師は理科が苦手である。私の勤めていた大学には、教員養成のための学部があり、小学校教師を大量に送り出している。そして、小学校でも科目ごとの専修システムになっているが、理科専修を受験するために、理科が必修科目になっているわけではないし、数学専修でも数学ではなく、社会で受験する受験生が多数いる。そうした理科専修や数学専修卒でも、必ずしも理科や数学が得意な教師ばかりではないのだから、私が所属していた学部のように、専修制度をとっておらず、満遍なく薄く教科の授業をとっている場合は、ほとんどが理科苦手教員となっている。そして、それでも、理科専科となっている教師もいる。
 これが何を意味するかというと、小学校のころから、理科や数学が不得意な教師に教わり、中学や高校では理科嫌い、数学嫌いに多くがなっており、特に私立大学を受験する者のほとんどは、高校で理数を受験科目として勉強しない。受験勉強を主体に学習するのだから、わずかな必修以外は、まったく勉強せずに、文系の私立大学に入学していくわけである。こういう状況を改善しない限り、大学の理数科の定員を増やしても、特別大きな成果を望むのは難しいのではないかということだ。もちろん、増やすこと自体は、最初に書いたように、賛成であるのだが。
 
 ではどうしたらよいかを、次に考えたい。
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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