井上道義氏の指揮者引退説明

 厳選クラシックちゃんねるというyoutubeで、井上道義氏がインビューを受けていて、2024年暮れに引退する理由を述べている。
 指揮者の晩年という文章をいくつか書いている関係から、興味をもって見た。
 だいたいにおいて指揮者は生涯現役の人が多い。指揮中に倒れて、そのまま亡くなる人も何人かいるくらいだ。私の知る限り、世界のトップ指揮者で、明確に引退宣言して、事実引退した人は、トスカニーニとジュリーニくらいだ。ワルターは引退宣言をしたあと、コロンビア・レコードの説得で、ステレオで主なレパートリーを世に残すために、録音活動を最後まで行い、ごくわずかな演奏会にも出演した。つまり、引退後に復帰したわけだ。
 トスカニーニは、何度も引退の意思を固めたが、自分が引退するとNBC交響楽団が解散になることがわかっていたので、なかなか踏み切れなかったところ、ある演奏会で、本番中に記憶を失ったために、引退を決意し、イタリアに帰ってしまった。ジュリーニの引退の理由はわからないが、活動をかなり制限していたので、純粋に自由になりたかったのだろう。
 
 井上氏へのインタビューは、好きな作曲家の話が大部分を占めているが、最後のほうに、引退理由を述べている。そのなかで、大指揮者の晩年をみて、あのようになりたくないと思っている、という理由をひとつあげていたのが、面白かった。

 カラヤンは、ベルリンフィルと争いになり、結局民主的運営を求めるベルリンフィルに、カラヤンは敗北したのだという。私は、双方の痛み分けではないかと思っているが、少なくとも、カラヤンが相当ストレスをため込んで、死期を早めたことは間違いない。ベルリンフィルとの喧嘩後は、ウィーン・フィルと指揮活動をしていたから、活動上の損失はあまりなかったし、ベルリンフィルとしては、看板指揮者を失ったわけだから、大きな痛手だったわけで、井上氏の見方には多少疑問を感じるが、カラヤンの晩年が、かなり哀しいものだったことは確かだ。
 チェリビダッケは、晩年あまりに太ってしまって、椅子に座って指揮をしていたが、立ち上がろうとしても立てなかった。
 カルロス・クライバーは、晩年、自分の指揮のコピーになりさがっていたという。おそらく、バイエルン歌劇場のオケを振ったブラームスの4番を念頭においているのだと思ったが、あの演奏は酷い、とにかく、生気が感じられなく、過去にやっていた自分の指揮をなぞっているだけの感じだという。あの演奏を高く評価する人は、目を剥くような話だが、実は、私もあの演奏は、クライバーの躍動感が感じられない凡演だと感じている。
 これらの指揮者を、井上氏は大変尊敬しているというし、それだからこそ、逆に、あのような晩年を迎えたくないということなのだろう。それなら、ブロムシュテットをめざすことはできないのだろうかとも、思うのだが。ブロムシュテットは95歳なのに、まだかくしゃくとしており、舞台にも、普通に歩いて出てくるし、指揮中もずっと立っている。こういう大指揮者もいるわけだ。
 
 もうひとつあげていた理由は、オペラを完成させたからだという。幸福と降伏をかけた題名のオペラだそうだが、父との関係を、井上氏なりに解決するための作品だったそうだ。深い事情はわからないが、これで、満足したという。何故、それが指揮者の引退につながるのかは、いまいちわからないが、作曲家になりたい指揮者はたくさんおり、マーラーのように兼ねていた指揮者もいるが、だいたいの指揮者は、作曲家になることについて挫折感を味わって、指揮に専念している。カラヤンやトスカニーニがそうだ。しかし、作曲したいのに、なかなか時間がとれないと、いいわけをしつつ未練がましい感じだったのが、フルトヴェングラーだ。作曲というのは、本当にすごい才能がないとできないことだから、やはり、指揮者として認められるほどの人は、作曲への意欲を捨てない人は、たくさんいるに違いない。もしかしたら、井上氏もこれからは、作曲に専念したいと思っているのかも知れない。それなら、ぜひ傑作を生み出してほしいものだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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