五十嵐顕考察23 教育の自由2

 前回は、自由という思想的系譜において「意思の自由」という系譜と、不当な干渉を受けない自由というふたつ系譜があり、それぞれ現代社会において、重要な、かつ実質的な意味をもっていることを指摘した。
 そして、更に、「意思自由」の系譜においては、必然性の認識論と存在被拘束性の論があることを確認した。
 
 さて五十嵐は、教師の研究の自由を根拠づけるのに、かなり複雑な論理構成をしている。この根拠づけは、五十嵐に限らず、一筋縄ではいかないのだが。
 まず、基本は、大学の教師や専門研究者に認められる学問の自由、そして、その系としてでてくる教授の自由が、高校・中学・小学校の教師にもあてはまるのだ、という構成をとっている。しかし、私の見る限り、大学と高校~小学校においては、異なる意味づけをしている。そもそも、大学については、伝統的に承認されている論理があるから、特別に論証する必要があまりないと考えられている。しかし、高校~小学校については、決まった教材を教えるのだから、学問の自由と、教授の自由は、そもそも問題にならないというのが、大学限定論(宮沢俊義)である。

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五十嵐顕考察22 教育の自由1

 五十嵐の論文で、教育における研究の自由に関する論文があった。極めて、興味深い論文で、五十嵐の若いころのものだが、私の考えとは完全に異なるものであることが、明確になった感じだ。
 「自由」という概念は、実に多くの切り口、あるいは側面をもっている。そして、現実の生活や社会のありかたに多大な影響をあたえているし、また、もっとも論争点となっている概念でもあるだろう。
 私の理解であるが、極めて大きくふたつにわけると、ひとつは「自由意思」に関わる問題であり、もうひとつは「国家的干渉からの自由」という問題である。

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五十嵐顕考察20 戦争責任2

 関係ないことから書くが、昨日は五十嵐著作集の編集委員会で一日でていた。だから、このブログを書く時間がほとんどなかった。しかし、毎日書くというノルマを課しているので、結局、電車のなかとか、昼食を食べているときに、カフェに陣取って、スマホで書いた。実はスマホで文章を書くのは初めてだった。以前、ゼミの学生で、通学の電車の行き帰りで卒論をだいぶ書いた者がいて、そんなこと可能なのかと思っていたが、スマホの日本語入力は、私がパソコンで使っているものより、何倍も優れていて、長めの文書を書いていると、入力の途中で、どんどんそのつもりの変換が示されて、速く書くことができる。もちろん、パソコンには及ばないが、意外と書けるものだとおもった。
 さて、戦争責任論についての続きだ。五十嵐は、終戦後1年後に、帰国している。だから、東京極東軍事裁判などの進行はリアルタイムでみることができたから、はっきりと知っていたとおもわれるが、東京裁判についての言及は、私がこれまで読んだなかでは、ほとんどない。逆に、東京裁判に充分意識がいかなかったことを反省しているくらいだ。前回書いたように、日本に対して行われた裁判については、学徒動員されて処刑された木村がほとんど唯一の関心で、五十嵐が言及した「わだつみ」関連の戦死者のほとんどは、戦死ないし野戦病院での病死である。

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五十嵐顕考察20 戦争責任問題1

 五十嵐は戦争責任について問題にし続けた。しかしその重点は変化した。
 当初は戦前の軍国主義への批判であった。専門の財政学の観点でも有効な批判をした。たとえば義務教育費の国庫負担をしたとき、あわせて思想取り締まりの部局を文部省は設置した。これは国家が必要な政策をとりつつも軍国主義を進めるという両面の事実を指摘する優れた分析だった。当初、地方に義務教育の費用までも負わせていたのを、調整という合理的な目的があるにせよ、国家が補助をするという形をとって、教育費を国家管理するようになり、そのことによって、国家の観点から重視したい分野に多く配分できる体制を構築していったわけである。思想局を設置するというのは、極めて例外的な、しかし露骨な教育費を媒介にした国家統制であった。そうした財政の流れを的確についていたわけである。

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遊びは権利か? 2

 では、遊びは権利ではなく、何なのか。それは、通常の人間がだれでももっている欲求であるから、欲求を満たすために、だれでも自分の意思で行うものであり、権利・義務関係とは無縁であるべきだということだ。遊びの定義は、いろいろとあるが、私なりにまとめると「自分のやりたいことを、自分の意思で(他人からの誘いからでもよいが、最終的には自分の意思で)行うこと」である。仕事と別に考える必要もないし、そのことによって、リラックスできること、などでなくてもよい。多くの人にとっての理想は、遊びを仕事として、それで生計がたてられることだろう。ニューヨークフィルの常任をおりて、フリーとして主にヨーロッパで指揮活動をするようになったバーンスタインは、自分の指揮活動は、すべて遊びだ、だから、ギャラはすべてアムネスティに寄付する、といって、アムネスティに振り込むようにさせていたという。「ウェストサイド・ストーリー」で一生贅沢をして暮らせるだけの資金を獲得しているので、やりたいことだけを指揮者としてやる、ということだった。

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遊びは権利か 『教育』の特集に関して1

 『教育』2023年6月号の第二特集は「子どもの権利としての遊びと越境」となっている。前々から、あまりに「権利」という言葉が安直、不明確に使われていることに危惧の念をもっているが、「遊びは権利だ」などといわれると、それは違うのではないかといわざるをえない。
 「子どもの権利条約31条と日本の子どもの生活・遊び」と題する論文で、増山均氏は、「子どもの権利条約」を基準にして、権利としての遊びを主張していて、日本の現状がそれとほど遠いと批判している。
 子どもの権利条約31条とは「締約国は、休息及び余暇についての児童の権利並びに児童がその年齢に適した遊び及びレクリエーションの活動を行い並びに文化的な生活及び芸術に自由に参加する権利を認める」というものだ。しかし、増山氏はこうした考えに、日本人は違和感をもつ人が多いとしている。

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大学での全盲学生の学習保障

 私が定年退職した大学の学科に、今年度全盲の学生が入学したということ聞いた。どのような支援がなされているかはわからない。だから、以下書くことは、現状批判とかそういうものではなく、こういうことが必要ではないか、と私が思っていることを書くだけだ。私が在職していたときには、他の二学部に全盲の学生が在学した。最初は文学部で、受け入れに教授会は猛反対だったというが、志望学科のある教授が、自分が全部責任をもつからということで説得し、受験が認めれ、合格して入学したという経緯があった。そして、その教授が、テキストの点訳などを自分でしたかどうかは正確に知らないが、とにかく、責任をもって実施したということだった。4年間、本当にたいへんだったと思う。もちろん、学生の支援はあったろうし、そのうち、教授たちの協力もできたに違いない。他学部であった私たちには、教育上はなんの関係もなかったが、キャンパス環境に対して、非常に大きな影響があった。それまで、キャンパスは、たいした広さではないが、通学や部活の離れた運動場にいくために、自転車に乗っている学生が非常に多かった。そして、無造作に自転車をあちこちに放置していた。とくに、校舎の入り口には多数の自転車がとめられ、とても危険な状態だった。健常者でも危険なのだから、全盲のひとにとっては、命懸けで校舎にはいるような気持ちだったかも知れない。そこで、大学として、学生たちに訴え、また、自転車置き場を広めに設置して、そこに自転車をとめるように、厳格に指導した。そのために、キャンパスはすっかり歩き安くなった。障害者のために行う施策は、一般的な普遍的な有用性をもつ、と実感した体験だった。その後教育学部の音楽専攻に入学したひとが複数いたが、音楽なので、耳のよい全盲学生は、かなりうまく適応していたようだし、支援もスムーズだったようだ。

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五十嵐顕考察20 教育委員会5

 今回で「教育委員会」は最後とする。
 現在、公選制教育委員会の復活をもとめる明確な主張は、あまり存在しない。あまりにも長く、任命制教育委員会が続いてきたこともあるだろう。しかし、やはり、その根底には、アメリカ民主主義との風土的相異のために、日本には、公選制が根付かなかったと思わざるをえない面がある。アメリカの公選制教育委員会は、「公選」「選挙」によって選ばれる唯一の組織ではなく、他の分野にもあるのだということは、考慮しなければならない。日本では、地方公共団体を、単純に地方自治体と称して、同じものの違う呼び方のようになっているが、アメリカでは、地方公共団体(政府・行政機構)と自治体とは違うものである。自治体とは、ある領域の住民が、自治体であることを住民投票によって議決し、自治体としての条件を整えて運用している行政機構のことをいう。そして、現在でも、たまにではあるが、新たな自治体が生まれている。つまり、自治体ではない行政区域でも、また自治体の行政区域でも同じだが、そのなかの一定の領域のひとたちが、別の自治体になりたいと思って、住民投票で賛成となれば、あらたな自治体が生まれるわけである。近年では、比較的大きな行政区域のなかに、地域的な貧富の差があり、豊かな地域の住民が、自分たちの払う税金が、貧しい地域に過度に費やされると、それを嫌って、豊かな地域でまとまろうとして、新たな自治体をつくろうとするような例がけっこうあるとされる。

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五十嵐顕考察19 教育委員会4

 教育委員会について考えるということは、学校単位、地域単位、国家単位で、教育をどのように運営していくか、という問題である。この問題を考える第一歩は、学校がかなりの程度異なった個性をもった存在であることを認めるか、あるいは、社会のなかで、程度の差はあれ、できるだけ共通の形とるべきものかということがある。オランダのように、「100の学校があれば、100の教育がある」という原則が、社会に根付いているとすれば、その運営は、なによりも学校独自の部分が大きく、地方行政や国家行政は、最低限の基準を決め、財政補助にかなり限定されることになるだろう。他方、学校教育は社会共通であるべきだと、という原則であれば、教育内容の基準、教員養成機関、視察等々に、行政が深く関わることになる。もちろん、その中間的な形態もある。
 また、別の側面として、初等・中等・高等教育という三段階が存在することは、歴史的に形成され、現在でも国際的に採用されている段階区分になっていると思うが、そうすると、当然初等から中等、中等から高等教育への進学を、どのように行うかということの問題がある。これは、最初の問題の如何にかかわらず、発生する問題である。そして、常識的にみて、上級にいくにしたがって、人数は減少するから、希望しても上級にいけない者がでてくることになり、なんらかの選抜が必要となる。

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五十嵐顕考察17 教育委員会3

 教育委員会制度が、公選制から任命制にかわって、変更された要点はいくつかある。
1 委員が選挙ではなく、首長の任命によって選ばれるにようになったこと。
2 予算案提出に関する優越権が廃止されたこと。
3 市町村教育長は都道府県教育委員会の、都道府県の教育長は文部省の承認が必要となったこと。
 教育委員会は、まだ慣れないとしても、劣悪な教育条件をなんとか改善しようと頑張るところが少なくなかったといわれていた。しかし、任命制になって、ほとんど例外なく、単に事務レベルの計画した案をそのまま承認する機関になってしまったといわれている。おそらく、これが最も大きな変化といえるだろう。
 予算は最終的には議会の承認が必要だから、別建ての予算案を提出できることは、もちろん一種の特権であったが、しかし、議会の議員も首長も、住民の選挙によって選ばれているのだから、地方自治のシステムが機能していれば、教育委員会の予算優先権(拒否できる強いものではなく、単に独自提案ができる)がなくなっても、それほど大きなことではなかったと考えられる。

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