福井大学での論文査読の不正

 
 学術雑誌の査読不正は、しばしば起きるが、福井大学の教授が、査読担当者であった千葉大学教授にコメントを求めたという不正が明らかになった。
 大学では、教員の業績を審査する上で、査読付き論文の数を、最も重視する。そして、その雑誌の権威が高いほど、業績が高く評価される。理系の研究者であれば、Natureなどに論文が掲載されると、就職に極めて有利になる。学術論文といっても、まったく査読がない、フリーパスの雑誌もある。ほとんどの大学の紀要はそうだ。しかし、紀要の論文だから、水準が低いとは限らない。私自身就職が決まってからは、研究論文は原則学部紀要に書いた。他に応募する必要もないし、特に、私自身が委員長になったとき、紀要の規定を変更して枚数制限をなくしたこと、マルチメディア機能を付加したことで、他の学術雑誌に執筆する意思はまったくなくなった。それから、日本だけでも、膨大な学会があり、それだけの学会誌があるから、査読といっても、厳密でない場合も少なくない。査読論文だから質が高いとは、必ずしもいえないのだ。
 
 査読不正だが、注意しなければならないことは、問題になるケースが多いのは、査読を受ける側の不正だが、査読をする側の不正も少なくないとされる。多くは闇のなかだから、表面化することは少ないと考えられるのだが。

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給食を喉に詰まらせて死亡した特別支援学校での事故と裁判

 大分県の特別支援学校で、2016年、高等部3年の女子生徒が、給食を喉に詰まらせて死亡する事故があった。
 重度重複障害の生徒のクラスで、4名の生徒に4名の教師がついていた。この生徒は、食べ物を噛まずに飲み込んでしまう傾向があるので、食事中はずっと見まもっている必要があったという。ところが、当日は、一人は出張で、担任が別の生徒を教室につれていくために離れ、その間にこの生徒が喉に詰まらせて死亡したことになる。新聞記事では、正確なところが、わからない。例えば、4人体制で、出張が一人なら、担任がその場を離れても、もう二人担当者がその場にいたはずであるが、もう二人の担当者のことは、いろいろな記事をあたったが、書かれていない。場所は、クラスの教室ではなく、ランチルームだった。そこには、2名の養護教員がいたが、担任が声をかけていかなかったので、その養護教員は、異変に気付かなかったという。(養護教員が4人のメンバーであるとすると、この生徒の噛まずに飲んでしまう傾向を理解していなかったはずはない。 https://news.yahoo.co.jp/articles/c94459c1c842b345215acaab153680a90393ec1a
 第三者委員会の報告によると、異変に気付いたあと、AEDを使うなどの措置をしなかった。そして、この学校には、食べ物が詰まったときのための吸引装置などもなく、また、そのための訓練もされていなかったという。https://mainichi.jp/articles/20190716/k00/00m/040/221000c

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部活の地域移行に関する全教の見解について

 スポーツ庁が部活の地域移行に向けての提言をしたことについては、6日のブログに書いた。http://wakei-education.sakura.ne.jp/otazemiblog/?p=3393
 それに対して、全教(全日本教職員組合)が疑問を呈する談話を発表した。ここに大きな論点が含まれているように思われるので、その点について考えたい。
 談話は「すべての子どもたちのスポーツ要求を権利として保障することと、教職員の長時間過密労働解消の両面から、条件整備と合意づくりを」というもので、6月8日にだされている。

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スポーツ庁が部活の地域移管を提言

 スポーツ庁の有識者会議が、中学の部活をとりあえず土日の分を地域に委託し、将来的には平日もそのようにするという報告をだした。悪いことではないが、不徹底だという感じがする。詳細はまだわからないし、また、実施の段階で変更があるだろうが、不徹底さを指摘しておきたい。
 
 記事としては、以下があるが、スポーツ庁のホームページには、詳細な議事録も掲載されている。
「中学校の部活動 休日はスポーツクラブで 3年間で“地域移行”提言を提出 少子化・教員負担で方針転換」https://news.yahoo.co.jp/articles/d919aeda0e3247ad84c2cdf241a096b51082801f
 報道によって、提言を整理しておくと
・3年かけて休日の部活を地域に移行する。
・その後平日も移行していく。
 その理由は
・少子化の影響で、中学校だけで、運動部の活動を維持していくのは困難
・教員の負担増と教員不足の深刻化

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教育学を考える30 教育の定型化2 名字+さんの校則

 コンピューターにおける教育を続きとしていたが、それはいまいろいろと整理している段階なので、今話題の「苗字にさんづけ」校則について考えたい。
 youtubeでも話題になっているようだし、かなりの批判がだされている。私も、この関連のニュースをみて、実際にどうなっているのか、現場の教師たちに聞いてみた。私のゼミの卒業生たちだが、やはり、かなり普及している校則だという。ある教師は、自分の赴任した小学校で、この校則が存在しなかったところはない、と言っていた。しかし、逆に、この校則に共感している人もいなかった。誰しもおかしいと思いつつ、校則としては表立って反対していないのかも知れない。しかし、厳格に運用しているかどうかは、また別問題だ。つまり、授業中の発言のなかでは、誰かの意見に対して反応するときに、「名字+さん」で呼ぶように指導するが、休み時間などは自由という運用もありうる。休み時間まで、干渉する必要はないというのもありうるからだ。

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非常勤講師が上智大学を訴えた 大学と講師のどちらも是と非がある

 上智大学が訴えられて、話題になっている。「上智大学を「賃金不払い」で刑事告訴、労基署からの「是正勧告」に応じず 「そんな前例聞いたことない」」の記事だが、コメントには正反対の見解が並んでいる。https://news.yahoo.co.jp/articles/4a1b16bc23d6c69450d92f20f9262401cac653c1
 60代の非常勤講師に、賃金を支払われていないとして、中央労働規準監督署が、是正勧告をだしたが、大学は勧告書を受け取らず、当然是正勧告に応じないので、講師が加盟する「首都圏大学非常勤講師組合」が、中央規準監督署への告訴をしたということだ。
 では、未払いの賃金とは何か。記事によれば、
・2019年~2021年に、会議への参加、学科コース全体で他の講師も使うオンライン教材の作成で、205時間の授業外労働があった。
・大学は会議への参加費は払ったが、教材作成は払わなかった。
 大学によって、異なるかも知れないが、私自身が経験した非常勤講師や、私の所属していた大学での非常勤に対する経験から考えてみる。この問題は、単純にはいえない面がある。そして、理系は実験等もはいるし、この事例は語学教師なので、文系を前提に考えてみることにする。

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熊本丸刈り訴訟判決 繰りかえす歴史の茶番か

 5月30日に、熊本地裁で、丸刈り訴訟ともいうべき裁判の判決があった。
 
「部活で丸刈り強制され不登校に 元県立校男子生徒の1円損害賠償請求を棄却」と題する読売の記事は以下の通りである。
 
 「熊本県立 済々黌(せいせいこう) 高(熊本市)のソフトテニスの部活動で丸刈りを強制されるなどしてうつ状態になり、退学を余儀なくされたとして、元男子生徒が県に1円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、熊本地裁は30日、原告側の訴えを退けた。
 同校は明治時代からの伝統校で、原告側は「バンカラな校風で知られ、『シメ』と呼ばれる強制行為で不登校になった」と主張していた。」

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出生数80万人以下の予想 教育には大きな影響

 まだ予想ではあるが、2022年の日本の出生数の予測値がでた。80万を超えているけれども、予測値より実数はたいへい少ないので、80万人を下回る可能性が高いと報道されていた。80万というのは驚きだ。
 私は団塊の世代真っ只中の生まれで、所謂団塊の世代の出生数は平均で278万人ほどになる。80万というと、30%未満ということになる。それだけの少人数で高齢者を支えるのは大変ということは、多少割り引く必要がある。現在でも団塊の世代は人口比で大きな割合を占めているが、今年生まれたひとたちが20歳になるときには、団塊の世代は90歳代の半ばに達しており、かなり死亡して、少なくなっているはずだからだ。それにしても、この少子化は、様々な面で大きな影響を与えるに違いない。

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教育学を考える 29 授業の定型化1

 先日、臨床心理学の専門家と意見交換する機会があって、心理臨床分野でも、カウカンセリングの定型化を進めるような動きがあると知った。私は、精神の問題というのは、千差万別だから、カウンセリングの基礎として、定型的な方法を学ぶことは有効だとしても、現場では柔軟さが不可欠と思っていたのだが、どうも、とにかく、統合的、定型的な手法を絶対視するひとたちも出てきているらしい。臨床心理は、私の専門ではないので、触れないことにするが、教育の世界では定型的な教え方を求めることは、昔からある。そして、定型的な教え方を可能にする技術も進歩している。そこで、授業を忠臣に定型化に関して考えてみたい。
 
 何故、定型的な教え方を、教わる側から求めるのか。それは、教師の質に対する不信感があるといえる。優れた教師に教わればいいけれども、教え方が下手だったり、教える内容そのものをあまり理解していない教師がいる。そういう「はずれ」にあたってしまったときには、がまんするしかない。今はどうかわからないが、私が子どものときにも、新学期の担任発表のあとは、あたりとか、外れとか、いいあう人たちがいた。

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すっかり変質した筑付?

 筑波大学付属高校(筑付)で、SNSが禁止されたと、ネット上で書かれている。悠仁親王関連の情報が、SNSを通じて拡散しないようにということらしい。実際に、それでもあえてツイッターに書かれた文章が、削除されたという。現在ではネット上での情報だけのようなので、真偽のほどはわからないとしても、その内週刊誌が取り上げるようになるに違いない。本当だとしたら、そこまでやるかと驚かざるをえない。また、筑付生や親がだまっているとも思えない。理由は、当然、悠仁親王に対する否定的な情報が、国民に拡散しないようにと、紀子妃が圧力をかけたということになっている。親王に関しては、作文コンクールの件は、弁護のしようがないことだろう。当人だけではなく、宮内庁、両親、そしてコンクール主催者すべてが、社会的な規範、道徳を蹂躙したことを意味している。また、予想されたことではあるが、授業内容がまったく理解できなくて、頭を机に伏せた姿勢をとっていた親王に、教師が注意をすると、汚い言葉で教師にくってかかったという情報も出ている。

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