非常勤講師が上智大学を訴えた 大学と講師のどちらも是と非がある

 上智大学が訴えられて、話題になっている。「上智大学を「賃金不払い」で刑事告訴、労基署からの「是正勧告」に応じず 「そんな前例聞いたことない」」の記事だが、コメントには正反対の見解が並んでいる。https://news.yahoo.co.jp/articles/4a1b16bc23d6c69450d92f20f9262401cac653c1
 60代の非常勤講師に、賃金を支払われていないとして、中央労働規準監督署が、是正勧告をだしたが、大学は勧告書を受け取らず、当然是正勧告に応じないので、講師が加盟する「首都圏大学非常勤講師組合」が、中央規準監督署への告訴をしたということだ。
 では、未払いの賃金とは何か。記事によれば、
・2019年~2021年に、会議への参加、学科コース全体で他の講師も使うオンライン教材の作成で、205時間の授業外労働があった。
・大学は会議への参加費は払ったが、教材作成は払わなかった。
 大学によって、異なるかも知れないが、私自身が経験した非常勤講師や、私の所属していた大学での非常勤に対する経験から考えてみる。この問題は、単純にはいえない面がある。そして、理系は実験等もはいるし、この事例は語学教師なので、文系を前提に考えてみることにする。

 まず、どこの大学でも同じだと思うが、常勤にせよ、非常勤にせよ、授業を規準にして、賃金の基本が計算されるが、そして、身分や経験などによって、一コマあたりの講義支払いの額に差があるにせよ、授業準備、教材作成、試験問題作成と採点などは、その講義の対価に含まれるものであって、特別な手当てなどはでない。また、常勤の教員は、会議や委員会などを分担し、それに応じた手当てがでるが、非常勤講師に、会議出席や委員の分担が課されることは原則としてない。だから、通常であれば、会議出席や教材作成での手当てが出る余地はないといえる。
 しかし、この時期には、コロナ禍で通常の授業が不可能になり、特別な体制が取られたという事情がある。それは「オンライン授業をするためのハードやソフトの、新たな準備が必要となった」ということだ。そのために、この非常勤講師が引き受けている学科では、会議を開いて、オンライン用の新しい教材を、共同で作成することを決めたということだろう。従って、常勤ならだされる可能性のある会議参加費用、共同で使用する教材作成という、個人が請け負っている以上の作業が、非常勤講師にも必要となった。そして、大学は「会議参加費用」は認めたが、教材作成は、授業準備に含まれるとして、認めなかった。だから、教材作成について見解が分かれたことになる。
 私自身の経験では、似た状況として、小中高の教師のための「免許更新講習」がある。ほとんど大学の常勤の教員で埋めたが、そうでない人に依頼したこともある。その場合、特定の数時間だけを講義することになるので、通常の非常勤講師の学期よりも、もっと行う授業は少ない。しかし、講義のコマあたりの講義料は、身分等にかかわらず、全員同じ額であった。
 そして、免許更新講習のために、印刷教材が作成され、原稿依頼がなされた。そして、規定の原稿料が執筆者全員に支払われた。つまり、講義のなかに、自分が独自に使用する教材のための準備は、講義料に含まれるが、講習会全体で使用するための印刷教材には、原稿料が払われたのである。ただし、時間換算などはしていない。
 こうした、私の経験からすると、学科として作成するために、会議まで開いて、統一教材を作成したのだから、それなりの作成料を、学科予算のなかから支払うべきであったと考える。
 この新しく作成した教材というのは、おそらく通常の授業では教科書として指定する教材だと思われる。もちろん、大学の授業では、教科書以外の教材作成が必要となるが、教科書指定のために、労力は通常使わない。あるいは、個人的、ないし集団で教科書を作成して出版する場合には、出版社からの印税収入を期待することになる。だから、この非常勤が参加した教材作成は、やはり、「教科書作成」に伴うなんらかの対価を、作成者は求めても自然なことだといえる。
 しかし、それでも、教材作成にかかった「時間を規準」に計算することは、適切とはいえない。この非常勤講師が、教材作成のために、15時間使ったとしても、その大部分は本来の準備作業なのであって、大学として特別に求められたことについての準備部分は、かなり小さいとみるべきだからである。一コマが、8000円で、15時間使ったから、6万円払え、という要求は、おそらく大学としても、また私も認められない。同じ量の教材を作成した分担の人が、4時間で済んだとしたら、16000円になるが、同じ量なのに、こうしたおかしな計算になってしまう。予めアウトプットの量(ページ数等)で単価を決めておくべきなのである。記事によれば、105時間の労働があったので、75万円払えという要求だが、私には、説得性のない要求だと思われる。
 しかし、まったく支払う必要がないというのはおかしなことで、大学側に不手際があったことは間違いない。
 
 さて、ここでは触れられていないが、もうひとつの重要な点がある。
 オンライン授業をするためには、必要な機材がある。機材(通信も含む)がなければ、オンライン授業ができないのは自明である。
 通常、パソコンなどの機材が授業で必要であれば、大学側が教室等に用意してあり、それを常勤も非常勤も使う。オンラインになっても、講師が大学にきて授業をすれば、機材の問題はおきない。しかし、大学への入校を制限していて、自宅でオンライン授業をしなければならないことになれば、機材をもっていない講師は、それを準備しなければならない。常勤であれば、そうした自宅で使う機材についても、大学の公費で揃えることができるから問題ないが、非常勤にはそうした手当てはだされていない。しかし、大学がオンラインで授業をするように強制したら、そうした機材を所有していない人のためには、公費で準備をすべきであろう。あるいは、大学の教室を使うことを認める必要がある。そうしたことはどうだったのだろうか。争いになっていないのか、書かれていないだけなのか、気になるところだ。もっとも、これから、大学でのポストをえようと思う人は、普段から通信機能を、自宅でも使いこなせるように、機材だけではなく、技術・能力も満足できる状態にしておくことが、常識になるのかも知れない。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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